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Last Update Dec. 1, 2014

 通称「せっきー」。本名「とり」。

 関西の出身。しかし、普段の言葉は流暢な標準語であり、関西出身というと驚かれることが多い。標準語を使う理由は、通称「関西弁」は関西圏でしか通用しない言葉であるのに対し、標準語は日本人1億人に通用する言葉だからである。また、英語ペラペラなどと言われるが、自身はそんなことを思ったことなど決してない。英語をちょっとだけ使える理由は、英語圏に住んでいたからというのはもちろんだけど、関西弁でなく標準語を用いるのと同様に、英語を理解できないと、世の中の情報の入手に苦労するからである。英語を日本語に直すために通訳や翻訳本を使うことは、お金の使い方としてもったいないと思っている。まして、その通訳や翻訳が間違っていても、それを知る手段がないというのは大きなリスクである。
 一人称は珍しく、「自身」。関西の人間は「自分」という言葉を一人称にも二人称にも使い、非常に使い勝手のよい便利な言葉ではあるが、上述の理由から使わないことにしている。文面では「おいら」という一人称を使うこともある。口頭では絶対に話さない言葉であり、誤って使ってしまうということを防ぐためである。  子供のころから思考系ゲームに凝り、小学校の卒業の際には文集に「将来は将棋棋士になりたい」と記した。将棋やオセロの大会では優勝経験も多数。ただ、単純なミスで負けてしまうことがままあり、その無惨の姿が当時の幼かった自身には耐えられなかったことから、勝負の世界を志向することは断念した。いま思えば、単純に勝つ回数が多いわけだから他流試合の回数が多くなるからで、決してミスの率が高かったわけではないのだよね。
 電車でGo!で全国一位(全一)。XOR2さんらと攻略本の作成の協力に携わる。その後、他のゲームでも何度か全一を達成し、この世界における有名スコアラーとは言わないまでも、無名の存在とは言えなくなる。表敬訪問(不正をしていないかどうか、他のスコアラーから確認を受けること)を受けることもあったし、ギャラリーを抱えてプレイすることは大好きだった。水道橋のゲームセンターでは、ほぼ毎週末数十人に見られながらプレイしていた。その他、アクションゲームと思考系ゲームを好んでいた。アミダー、フロッガー、ミスタージャン、ワンダーボーイモンスターランド、クイズ殿様の野望など。コンシュマー(家庭)向けゲームでは、シミュレーションゲームを好んでおり、CPUの思考、チート(バランス・リバランス)の解析などを好んで行っていた。
 課金制オンラインゲームは好きではなく、買取制オンラインゲームを好んでいた。もっとも、当初は完全無料の東風荘別館で、麻雀をたしなんでいた。総対戦数約12000、レーティング最高約2150。東風荘のRの計算というコラムは、いまだに参照されることの多い記事である。そのほか、三国志インターネットと信長の野望インターネットで全国一位。反面、ロールプレイングゲームとシューティングゲームは好みではなく、全くやらなかった。
 コンシュマーオンラインゲームでは、海外にいたときに起きたことだが、通信が極めて遅く、切断されることもままあり、友人に激怒されたような事態を招いたことから、それ以来、全く行わなくなった。日本でADSLのころ、海外ではISDN、日本で光通信の今、海外ではやっと容量制限付きのADSLが可能になったというところであり、一世代遅いのである。しかしそのことは、日本に住んでいない当時の自身には全く分からなかった。
 それ以降、通信切れが自身の責任ではない店舗系の思考系アーケードゲームに手を付ける。ネットセレクトサラリーマン金太郎のリバーシではぶっちぎりの1位。CPUの最強キャラクターである大和社長相手でも、普通に勝利。対戦相手不在で、裾野の狭さを痛感した。当時、将棋ゲームがあれば、もっとのめりこんでいたと思う。現在では天下一将棋会というゲームがあるが、強い人の分布が麻雀などの分布とはけた違い。天下一将棋会が近くにあればプレイするのだが、近隣に設置店がないため不可能(たまにしかプレイしないと、いつも弱い人としか当たれない)。その他、麻雀格闘倶楽部では近代麻雀杯で優勝。黄龍王(ネタ)、滋賀総大将(当時はエフェクトがなかった)など。
 運動神経は子供のころから悪く、いじめに遭っていた。虚弱体質克服のため、自宅では腹筋と腕立て伏せは毎日100回以上は行っていた。高校2年2学期の体育のサッカーの授業で計11得点を決めたころから(体育の教師が一番驚いていた)、徐々に上向き始める。大学入学時の身体能力検査では、腕立て伏せ、前屈は同期入学の最高記録。このころから、運動能力がないことに対するコンプレックスが薄れ始める。もともとは遠泳を好み、3.8kmの大会に主に出場、最長で22kmの大会に参加した。オーバーワークにより右肩の腱板が切れクロールができなくなり、日常生活にも支障を来たすほどの事態となったことから、競泳は引退。陸上に転向し、年に数度マラソン大会に参加している。過去の経緯から怪我しないことを第一に取り組んでおり、記録は二の次というスタンス。マラソンでは優勝1回。肺活量6000cc(最高値、競泳時代)、HDL/LDL=1.5、肺能力と血液で走るランナーである。普通に走ると、まず中性脂肪の低さ(毎年15〜25程度)からハンガーノックになり、次いで肉体(関節、腱など)がついていかずに故障する。
 趣味、特技は特にない。自身の取り柄を上げるとすれば、第一は精神力の強さ。第二は、論理的な思考能力と計算能力(非算術的な意味で)。自身の地盤は、手酷いいじめに遭っていた時期を乗り越えるために身に着けたと言って過言ではない(天性ではない)。自他ともに認める極度のストイックである。座右の銘は質実剛健。
【参考】旧プロフィール(2007年ごろ)
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