通貨は幻想である


この日は、有休を取って病院へ。
それにしても子供が多い。夏休みってことだけなんかな?

ある子供が親に「なんでおかねでものが買えるの?」と聞いていた。
親は返事に困っていたようだった。
お金は一体なんなのか、って聞かれて、すぐに答えられる人間は少ない。
このときの親は、国がきめていることなのよ、とか、挙句の果てには「子供はそんなこと考えなくていいの!」なんて言っていた。
日本人だけなのかどうか、おかねの話=こぎたない話、と扱われて、嫌悪される傾向が否めない。

お金は、なんなんだろう?って言われると、紙切れである。と答えざるを得ない。
義務教育の社会の内容を覚えていれば、兌換紙幣・不換紙幣っていうのがでてくるはずです。
昔、兌換紙幣時代は、お金を持っていくと政府がそれに相当するだけの純金(Gold)をくれた。
そうすることで、通貨の価値を守っていた。
兌換紙幣っていうのは、(純金との交換の権利を持つ)日銀の借用証書だった。
それは不換紙幣になって、どう変わったのか。
簡単に言うと、福沢諭吉さんとか新渡戸さんとか夏目さんは、(純金との交換の権利を持たない)日銀の借用証書でしかない。
っつーことは、周りの人間が「札束なんて価値ねぇや」と言って受け取らなくなってしまえば、紙切れでしかありません。

お金はなにか、っていうと、日銀の借用証書。
お金に価値があるのは、受け取り手が価値のあるものだ、と思ってくれているから。
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