初心への回帰

ガキのころのおいらは完全情報ゲームが好きだった。
父親は麻雀、母親は花札っていう非完全情報ゲームが好きだったけど、推察力のないおいらには「他人の手を読んで、読んだ上でどうするか考える」ってな複雑なことが苦手だったのだろう。
もっぱら将棋をやっていた。
奨励会(プロ組織への入り口)へ入ろうかと思ったぐらいやったから、小学生でも県代表クラスの力はあったかな。
それでもやっぱりそんなところは層は厚く、とてもじゃないけどプロになるなんて無理だったろうね。

ほんと、(相手の手が)見えないってのがいやっていうか苦手っていうか。
あけた(手牌オープン)で麻雀をやったときは強かったけど、周りに「何が面白いん?」って言われたっけな。
全員の手牌をオープンにして麻雀をやっても、それはそれでアツイ勝負ができるんじゃないかな、なんて思うのはおいらだけなのだろうか。
見えているから、2次元の読み勝負じゃなくて1次元の読みの勝負になる気がする。
当時の自分は、低次元の斬り合いの直線勝負に持ち込むとほんと強かったです。
その才能に関しては完璧に早熟人間でした。

それでも麻雀をずっとやってると、いやおうなく2次元の読みに対応しなきゃしょうがなくなる。
この切り出しで9筒が後だしだから、○○○あたりは手の中にありそうやな。。。。そしたらこの手は△で討ち取りを考えたらこれを切るかな、とか。
しかしいかんせん、二次元三次元の読みの基本的なことは身についても、上級層には到底かなわない。
足元にも及ばないね。
下手の考え休むに似たり。苦手な読みの組み立てをしても、頭の中で限界がありますわ。。。。。。

あと麻雀やってて自分が嫌になるのは、相手の手が見えてないからって「○○だから▼▼はいけると思った」とか、「点数がなかったからこれはいくしかなかった」とか、いくらでも言い訳がつけちゃうことかな。
負けているのに、心の中でそれを認めないで済むことができるっていうかなんというのか。
実力のなさが影響しているのは目に見えているのに、どこか運のせいにしたり。言い訳たれてみたり。
そんな自分が情けないのもあったね。

将棋をやる。チェスをやる。オセロをやる。
誰がどうみても、盤面は同一です。
これらのゲームは、いいわけきかんからね。
「えっ、そんな手見えてなかった」って言ったところで、明らかに見えてないほうが悪い(弱い、読みが浅い)のだから。
相手に「これもみえんようじゃ酷すぎ(弱すぎ)」って言われるのがオチです。

オセロは8×8で狭いようでも、コンピュータに解析され尽くしたゲームってわけでもないし、いまやってて面白いね。
しばらくは言い訳の世界から遠のいてみよう。
もっと言えば、自分の弱さを身にしみて分かる環境に移ってみよう。って感じかな。
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