せっきーの世紀末

/(^o^)\日本ヲワタ/(^o^)\

2011/10/31(月)   まさかの結果

 カンタスが全面ストに突入した。日本便は成田=シドニー便1便だけだが、ロサンゼルスやシンガポール、ロンドンなどで乗客が取り残されている。もちろん日航など、他の航空会社を使うという選択肢はあるものの、割引運賃が当たり前のようになった現在においてその10倍以上の価格である通常運賃で利用するなんてのはありえない出来事だろう。
 本当に選択肢がカンタスしかない限りカンタスは使うな。オーストラリアではそう言われているぐらい、実にストの多い会社である。それでも全面ストは久しぶりではなかろうか。労使裁判の結果、労働者側の全面敗北になり、2日ほどでストは解決の見込みだけれど、カンタスのほかの労組も新たなストを企てている。まだまだ予断は許さないだろう。
 オーストラリアと言えば法律で超過勤務は5割増、休日出勤は2倍増。残業の単位も5分単位。そういう風土で働いてきた自身が再び日本で働くことには相当違和感があった。労働者の権利が保護されなさすぎのように感じるのである。しかし、逆にオーストラリアの労働者が手厚すぎるのかもしれない。主だった第二次産業のない国だからそれぐらいの保護は必要なのかもしれないけれど、観光で稼ぐ国なのに土日はお店が休み、じゃ、なにか変な気になる。
 今の日本は本当に労働者は奴隷のようなものである。一方、ギリシャやオーストラリアは労働者天国。家に帰って2時間かけて昼食を取り、のんびり戻っても誰ひとり文句さえ言いやしない。っていうか、できない。日本航空や国鉄などが破綻した理由の一つにストを挙げる人は多いけれど、実際のところどうなんだろうね。とにかく利用者としてはストは迷惑なので勘弁してほしい、としか言えないのだが。

2011/10/30(日)   車社会

 地方の道路は、昔は実に劣悪だった。そのことを思えば、今は逆に恵まれ過ぎているとしか言えない。道路ができ、橋ができ、トンネルが開通しても、利用実績は予測を常に下回っている。95%とかならまだともかく、50%とか、ひどいものになると10%台なんてのもある。どういう前提でその公共事業を組んだのか、理解できなくて困る。
 道路も増えたけれど、車の総数も増えたなぁ、と思う。昔は1家に1台の車をなんとかやり繰りしていたという家が普通だったと思うけど、今や2台3台抱えている家も普通である。車が趣味の家庭ならともかく、そうでなくてもなんだかんだ言って遊んでいる車があるのである。
 当然、逆に電車バスの利用が減っているわけであり、本数も減っているわけである。これもストライキのつけというものか。関西圏なんて、あれほど国鉄私鉄のストが頻繁でなければ、もっと利用者はいたと思うものね。和田岬線や南海高師浜線、多奈川線など、維持する価値のない盲腸線も増えたと思う。
 そう考えれば、ストライキのつけというのはいつ現れるのか、わからないということになろう。日本ではありえないことだけど、ギリシャをはじめ、海外では教員や消防や病院のストなんてのも極めて普通の出来事。日本では車社会という形でつけが表面化したけれど、海外でのこれらのストはどういう形でつけが現れてくるのだろう?

2011/10/29(土)   ストライキ

 日本では昔はよくストが起こったものだった。国鉄・私鉄はその代表格だった。近鉄のようにストライキをしても電車は動かす、なんて会社はごく少数で、ほとんどの会社ではストになれば電車は運休。利用者はストの寸前まで妥結に関して気を揉んだものだった。
 9月の渡豪時、19日の月曜日にカンタス航空がストライキをしていたけれど、その後も断続的に行われており、あわや全面スト突入か、という情勢になっている。経営陣は全便運休で対抗するなどと述べているけれど、今年に入っていきなり役員報酬が倍増したりしたから、なんだか利用者としては腑に落ちない。子会社(ジェットスター)への路線網移譲も増え、経営陣としてはいずれ雇用体系を東南アジア主体にするつもりなのだろうね。
 こういうときに役立つのがTPPである。ジェットスターは豪州人の雇用が少なく東南アジア系が多いものの、現在まで大事故は起こしていない。TPPに参加すれば経営陣は従業員の国籍を変えることで給料総額を減らすことができるから。笑いごとではない、日本でも全く同じことが起こるのだ。コールセンターに電話したらもはや日本人は誰ひとりいない、なんて状態にさえなるかもしれない。
 日本ではストが起こらなくなった。たまに航空会社などでストが起こりかけると「ふざけるな」という論調になるのだけど、労働者としての正当な権利行使に対して他人が文句を言う筋合いがあるのだろうか。日本の労組トップは完全に保身に走っており、もはや経営陣となあなあになってしまった印象がある。経営者の飼い犬で満足してしまうほど、いまや雇用情勢は非常に厳しい状態。こんな状態で国内の雇用をさらに減らすTPPなんて論外であり、正気の沙汰とは思えない。

2011/10/28(金)   (続)貧困ビジネス

 無知な人たちが負担を強いられ続ける、という構図は不愉快に思えてくる、ということを書いた。しかし、世の中には強制的にそうなっている世界もいくつもあるのである。
 例えば電力がそうである。経営陣の給与賞与はおろか、自民党への寄付金すら電力計算に不可欠なコストとして計算されている。現在発表されている決算では各電力会社が燃料負担増に苦しみ大赤字、などと言われているけれど、現行法ではいくら燃料費が上昇しても決算には影響しないどころか、逆に好影響を与える仕組みである。電気会社が赤字になったのは、節電のせいで総販売電力が減ったからに他ならない。
 NHK受信料なんてのも半強制的に取られているけれど、あれも極めて不透明なもの。予算は国会で承認することが必要になっているけれど、番組構成費と人件費が異常に高いように思える。総額としては妥当に見えても、番組当たりあるいは人員あたりで見れば非常に高い。例えば平均給与1000万というのは独占事業として妥当なのだろうか。
 最後になったが、全国紙もそうである。新聞に記載している情報は今や信憑性を失っていて、当事者の読売の調査でさえ、新聞記事は信頼できないと答えた割合は前年比50%も増えた。飛ばし記事(根拠のない記事)と希望的論説(事実と異なる・あるいは事実を隠す論説)を読んで、まさに官僚の愚民化政策の餌としか思えない哀れな人たちなのに、読んでいる人たちは自分たちは知識人だ、と勘違いしているのである。騙されながらカネを払い続ける人たちが本当に不憫でならない。

2011/10/27(木)   貧困ビジネス

 派遣切りという言葉が話題になった時期があった。自民党が経団連にすり寄る形で派遣緩和をしたものだから、いまや通訳や研究職といった専門的な仕事さえ派遣がほとんどになっている。単純事務はほとんどが派遣に切り替えられており、職場の半分以上が派遣というのは極めて普通の状態になっている。
 かつては日本は終身雇用と言われたのだが、もはやそれも完全に崩壊してしまったということだろうか。人材の流動があるということは雇用を増やす上でも生き方のチョイスの面でもメリットだとか、いろんなことが強調されて緩和されたけれど、現状をみれば貧富の差が拡大する契機となったようにしか思えない。官僚の詭弁などいつもこんなもので、TPPや原発問題などを官僚主導にさせれば国家が崩壊する結末は火を見るより明らかである。
 そんな派遣業界も、経営者だけは潤っている。いつでも解雇できることを条件に、企業からは常勤の人件費より高い額を受け取っているにも関わらず、支払額は正規の半分ほどに抑えているのでぼろ儲け状態である。なんとか仕事をしたい、と思っている人たちから金を搾取する、貧困ビジネスと言えようか。
 しかし、派遣だけではないのかもしれない。FPみたいな資格ビジネスもそうである。煽られて資格を取れば、馬鹿高い更新料に教育料など、不要なコストを計上させられ続ける。麻雀プロなんてのも囲碁将棋とは異なりその肩書だけで給料がもらえるわけではなく、底辺は金を搾取されるだけの存在。無知な人たちから搾取するという構図はどんな業界を見ていても不愉快である。

2011/10/26(水)   サイバー攻撃

 webページを開設したばかりのころはアクセス数というものがとにかく気になるのである。昨日は何件、今日は何件だなんて、無駄な心配をしてしまう。営利サイトでアクセスが少ないのであればともかく、非営利のサイトでアクセスを求めるのは無駄である。
 とはいえ、現在は無償ページを含め、アフィリエイトが実に増えたもので、本当に実質非営利のサイトは激減した。このページなんてレアな例で、アフィリエイトなんて全くしていない。すれば儲かるのに、とも言われるけれど、お金にするべきコンテンツではないからね。中身でお金が取れるぐらい文章などがうまければ、それこそ作家やライターに転身している。
 サイバー攻撃が盛んである。f5アタックなどと言われる原始的な方法でさえも、サーバーに過負荷がかかってダウンしてしまう。それだけでなくスパイウェアを埋め込んで、情報詐取を試みる動きも出ている。取り締まる側は法的な根拠もあいまいだし、新手の敵に苦労しているようだ。
 探偵というのは人や情報を見つけ出すための職業だと思われがちだが、探偵のところには失踪させてほしいという依頼も多く来るのだと言う。それと同様に、サイバー攻撃に本格的に備えるためにはハッカーを雇わないとダメだろう。ハッカーはすべて敵、と決めつけている時点で本当の解決を放棄しているようにしか思えない。

2011/10/25(火)   分散

 滅多にアメリカの番組は見ない。Diane Sawyerのニュースを見ることがあるぐらいだろうか。そんな自分が本当に久しぶりにアメリカのバラエティ番組を見た。ある大家族が引っ越すという話で、大荷物をすべて車に積んで運び、それを新しい家に運んでいく。そういう番組である。
 それだけであれば何一つおもしろくも何ともない、普通の一光景である。番組が何をやったのかといえば、家具や持ち物などを搬出する際に、いちいちそれがどこの国で作られていったのかを調べたのだ。中国、日本、バングラディシュ、インド、パキスタン、インドネシア、タイ、フィリピン、メキシコ、ブラジル、パナマ、チリなどなど、いろんな国は出てくるけれど、何一つメイドインアメリカのものは見当たらない。そしてすべてを積みだしてから、「家はどちらもメイドインアメリカだ!」というオチが待っている番組である。
 アメリカやイギリスにはまともな製造業がない。だから金融国家として軸足を移したけれど、金融そのものは製造業の裏方的なものであり、それ自身が何か付加価値を生み出すものではないからね。もちろんそのことはアメリカやイギリス自身がよく知っていて、だからこそサブプライムのような欠陥商品やデリバティブなどを次々と生み出し、詐術で世界の金を巻き上げていった。貿易赤字を金融詐欺と軍事力で穴埋めしている国家、それがアメリカやイギリスである。
 日本も経営者は無能極まりないので、円相場が業績を大きく暗転させてしまう会社ばかり。人件費削減のため労働者を派遣に切り替え、租特なども受けているのに、それでも介入しないからと海外に進出していく。今回、タイで大水害があり、多くの日本の企業が被災したけれど、残念ながら被災日本企業に同情するつもりはない。なぜなら本当のリスク分散とはどういうことか、理解できていないからである。

2011/10/24(月)   変わる?

 久しぶりに人にあった時、どう思うタイプだろうか。「変わったね〜〜!!」と言われるのが良いのか、あるいは「変わらないね〜〜!!」と言われるのが良いのか。ついこの前は名古屋で古い知人に会ったんだけど、そのときの第一声は「老けたね〜〜!!」だった。もちろん、彼一流のユーモアが混じっているので、なんとも思わないのだけど。
 自分自身は、一日一日、進歩を続けていたいと思っている。そうじゃなきゃ、あれもこれもと欲張らないし、しかもほとんど毎日のようには続けないよ。仕事はゼネラリストだけど、それ以外の面ではスペシャリストを目指している。妥協という言葉など存在しない。貪欲というか強欲である。
 しかし、会って話をする分にはまだしも、新聞記事やテレビで一方的に自身が映ったり載ったりするのというのは苦手である。なんだかんだで有名人?だし。ケーブルテレビとか地方紙ならともかく、全国放送のテレビ局や全国で売っている全国紙となれば相当なインパクトだからね。
 とはいっても、いずれはそういう苦手な気持ちも変わっていくのだろうか。でもなぁ。なでしこの川澄が「川澄と呼んでほしい」と言ったように、自身もテレビ慣れや取材慣れなどをする気など、さらさらないのだけど。そんなこと言っても、先のことは先にならなければ分からないというものか。果たして自身は変わるのか?

2011/10/23(日)   三流新聞

 本当に親しい人を亡くしたらいったいどう思うのか。信じられない・・・・・。その一言に尽きる。とはいえ遺体と対面し、通夜や葬儀を経ては、信じられないとも言っていられない。なんで・・・?どうして・・・・?うそだ・・・・・。自身のときはこんな感じだった。一週間ほどは本当に何も食べられず、身体を壊したほどだった。
 交流関係の広い芸能人などであれば、弔問にも幅広い人たちが訪れる。俺より先に逝きやがって、バカヤロー!!なんていう弔辞だって、しょっちゅうあるとは言わないけれど、そんなに違和感のないものである。
 平野大臣の親友が、避難を誘導していたら逃げ遅れ、津波に飲まれて亡くなった。自分が逃げればよいのに、人を気遣って逃げ遅れるなんて、バカヤロー!そんな印象だったのだろう。気持ちは痛いほど分かる。
 それなのに、逃げ遅れた被災者に馬鹿と言ったと産経が一面トップで報じ、その他の新聞も大きく扱った。発言の前後は一切カットし、逃げ遅れた被災者は馬鹿だ、とだけ報じた。それは発言の本質と正反対の行為。日本語のできない新聞社が日本で新聞を売っているという事態が信じられない。江沢民も勝手に殺したし、天皇も被災地も被災者も政治利用する。それが現在の全国紙である。こんな報道機関は絶対に許せない。

2011/10/22(土)   なぞのなぞなぞ

とあるところから見つけてきた。

Q.キリンの模様は何色?
々と黄色
黄色と茶色
C秧Г版

2だと思ってた。
でも、答えは3。

きりんの画像を見ると、確かに3だ。
でも、なんか黄色っぽくみえるせいか、少なくとも3とは思わない気がする。

っていうか、きりんを久しくみてないなぁ。
動物園に行ったことなんて、いつ以来だか・・・って感じだし。
タロンガとかローンパインとかメルリンとかばっかりで、見るのもいつもコアラ・カンガルー・タジー・ディンゴ・エミュー・ウォンバット・ペンギンって感じのものばかり。

きりんさんが好きです。
でも、ぞうさんがも〜〜〜っと好きです。

そんなところに電話をかけなければいけなくなってしまったのであった。

2011/10/21(金)   老人の怪

 年老いるといろんなことをしてしまうものであり、介護の人たちは大変である。おもらししたり、いきなり行方がわからなくなったり、奇声をあげてみたりなどなど。自身も将来、どうなるかわからないし、そういう人たちを非難するわけにもいかないしね。
 健康診断のとき、職場にくる老医師がいつも謎である。聴診器で診断するときにシャツを上げようとすると、「ああ、いい、いい」などといいそれを制するのである。そして何をやるのかと言えば、シャツの上から聴診器をあてているのである。自身は半そで1枚だからそれぐらいなら経験上、わかるのかな?とか思っていたのだが、二枚重ねの人でもそのまま同じことをしていたのだという。うーん・・・
 献血した時も、女性の老医師が体調について確認していた。毎回、海外渡航歴については聞かれるのだけれど、その老医師は指を指しながらいろんなところをチェックして、「海外はどこにいきました?何日間?」と聞いてきた。「オーストラリアに15泊17日間」です、と答えて終わりかと思っていた。
 そしたらその人は、またくるくる同じところを指さして戻ってきて、「海外はどこに?何日間?」と聞いてきたのでまた同じように答えた。それだけならまだしも、またくるくる同じところを指さしてまた同じ質問を・・・・。脇の看護師さんが制して終わったけれど、この人の医師免許はどれぐらい妥当なものなのか、不安が残ったのであった。

2011/10/20(木)   献血

 献血をした。日本では200mlと400mlしかないので楽である。これがほかの国でとなると500mlとか600mlなんてのも普通。というのも、外国の場合には、献血を受ける人のことを最優先にしているから。たとえば2Lの献血が必要な人がいたとして、200mlずつ集めたとすれば10人分である。500mlだったら4人分で済むわけで、余計なリスクは半減していることになる。
 とはいっても自身は後天的な低血圧。両親は高血圧なので、自身も当然当初は高血圧であった。食生活の改善から始め、高かった最高血圧も気づけば一番高い時期の半分以下。今では60前後である。最低血圧は20台なんてのもザラ。血圧・血液・血管だけが誇れる要素であろうか。超低血圧・血液超さらさら・血管は超柔軟。マラソンもこの三要素だけで走っているようなものであり、プロのアスリートがこの三要素を備えていればフルマラソンで2時間は楽に切れるだろうなどと言われる。
 しかし低血圧なので、なにぶん献血に時間がかかるのが困る。自身は一番先に並んでいたはずなのに、なぜか多くの人に追い抜かれ、終わったころには6番目だった。10回記念で何か記念品を貰ったんだけど、なんだったっけ?って感じ。もちろん売血は違法行為なので、たいそうなものなど期待していないのだが。
 そんな自身も、某国で600mLの献血をしたときは唖然としたね。さすがに気持ち悪くなり、その後は遠慮している。ワシズ麻雀ではないけれど、やはり採血というのは気持ちのよいものではないのだし。それでも出来る限り協力していきたいと思っている。

2011/10/19(水)   矛盾

 趣味を仕事にするとうまく行かなかったということは往々にして聞く話。車が好きな人でも自動車会社に勤めたら車が大嫌いになってしまったとか、先生になったのに教壇に立つことが大嫌いになってしまったとか。趣味としては簡単でも、仕事にするというのは実に大変なものである。
 今の日本がなんでこんなにダメなのかと言えば、一言でいえば官僚の腐敗がひどいからに尽きる。今、官僚になる人間というのはどういう人なのかと言えば、単純に試験マニアと言われるような人たち。どんな試験でも好成績を収めてきたから、難易度が高いと言われる国1を受けようというぐらいのもの(はっきり言ってそれほど難しいわけでもないのだが)。日本をよくしたいと思って官僚になる人たちもいることはいるけれど、だいたいはやめてしまうね。
 無駄遣いの方法を考えられる人ほど出世できるというのは霞ヶ関の常識。もちろん、世間的、そして国家的にも支出を減らすことが求められているのに、である。組織の目標と個人の目標が違うということに気づいたとき、人はどう思うのだろう。自身も大企業に二度も勤め、大学の助手なんかもしたりした。でもそこで気づいたことは、自分がやりたいことをやるためにはその仕事についていては無理ということが分かっただけだった。
 例えば大学でも成果主義が導入されている。学生の面倒を見たなんて、何一つ反映されない。それでも学生の発表前にはとことん付き合って、指導するのが普通というもの。そんな教員は成果主義では糞食らえで、学生のことなど無視して自分の研究をする人が数少ない出世コース(教授など)に乗るのである。先日は仕事でテレビや新聞の取材を10社ほどは受けたけれど、今は組織目標と自身の目標が合致しているのでそうした矛盾を感じることがない。心身の負担なく仕事に没頭できるという意味では最適の職場である。

2011/10/18(火)   新聞の膨張

 テレビに出て語っていた自身だったが、ひとつだけ言葉足らずなところがあったのだった。あっしまった、まあいいや、ぐらいに思っていたのだが、放映されたところをみるとそんなところもお構いなしにノーカット放送。しょうがない、悪いのは自身なのだけれど、やっぱり心臓に悪かった。
 これが政治家だったら、まず間違いなくクビを取られるんだろうなぁ。言ってもいない発言を勝手に言ったことにされ、クビを取られた大臣までいるご時世だものね。国民が選んだ代表を、マスコミが気に入る気に入らないでクビにできてしまういまの時代が理解できない。なんかの勘違いだとよいのだが。
 自身のことはちょっと説明が足りなかったぐらいであって、別に言っていることが間違っているわけではないんだけどね。それはもちろん、常に万全に答えられるに越したことはない。しかし取材対応なんて所詮は仕事のごく一部であり、そんなものに忙殺されるのは無駄である。政治家だっていっぱい仕事はあるんだもの。地震は天罰だとか愚か極まりない発言なら絶対に許せないけれど、言葉尻を捏造してまで大臣を辞めさせるなんて尋常じゃない。自身が過敏になるのも魔女狩りのような現代を痛切に実感しているためであろう。だいたいこの日記の文面がありえない(笑)。ほんの4年ぐらい前まではストレートにばんばん書いていて、読者大爆笑状態だったというのに。
 なんでもかんでも攻め立てる攻撃的な社会になってしまったものだから、政治家も安全答弁に終始している。メッセージを出してもマスコミに捏造されるだけだしね。新聞は事あるごとに知る権利・知る機会などとほざくのだが、知る機会を損ねているのは異常なほど既得権益が膨らんだ新聞自身にあるとしか思えない。

2011/10/17(月)   オンエア

 酔った時の人の行動を見ていると面白い。無口になる人、顔が真っ赤っ赤になる人、熱く語りだす人、眠りだす人などなど。このあたりまでは普通だと思うのだが、上着を脱ぎ始める人、ドアや電柱などにキスしまくる人、ひたすら指をパチパチ鳴らしまくる人など、迷惑な人も見かけてきた。
 あるとき、酔っ払った父親から電話がかかってきた。なにかと思えば、スポーツ紙の裏表紙にカラーで映っているという。酔うと何を言い出すか分からないというか、酔っ払うと誰かれ構わず電話をかけるという悪癖があるので相手にしなかったのだが、後日図書館でその写真を見たときはドびっくりした。なんでこんなところにっていうか、全国紙にも普通に載ってるし・・・。知人の記者経由でカラーの大判の写真を手に入れた記憶がある。
 さすがに1面最終面にカラーなんかで出ることはないけれど、なんだかんだでメディアに出ている自分がいる気がする。写真も年に2〜3度。記事なら10回近く出ているような気がする。それだけ経験していても、取材を受けるたびに神経を使うのは事実である。
 さて。とある番組で5分ほど語っていた自身がいる。今日放送されたのだけれど、やっぱり恥ずかしいったらありゃしない。それでも今年は楽だった。去年は一人で対応していたし、なによりもあり得ないと思ったのは知人のテレビマンに遭った瞬間、「あっ、せっきーさんこりゃどうも。2分ぐらいしたらスタートしますんで」と言われたのだから。おいおいそりゃなんだよ、って感じ。今年は5分ぐらいは余裕があったのだった。え?2分も5分も変わらない?そんなことはない。

2011/10/16(日)   テニス大会

 テニスの大会に出た。ダブルスの団体戦後、ダブルスの個人戦を戦うというもの。参加費に見合う活躍ができればよいが、鈴鹿にいたころと違いテニスをする機会も少なくなっている。あの頃は毎日3時間を週に4〜5回と、本当に狂ったようにテニスばかりしていたものだった。
 結果はなんともいいところなしというところだろうか。1勝2敗。個人戦ではベスト16で敗退と、まあ無難というか、予想通りの結果である。もう少ししっかりできればよかったけれど、こればかりは練習不足というもの。冬にできないのがいろいろと痛い。
 将棋の高橋道雄は「惜しかったね」と言われるのが一番悔しいのだと言う。中原名人に挑戦し、3勝1敗と王手をかけた。誰もが高橋名人の誕生か、と思っていたものの、中原は横歩取りという戦法を取り、高橋得意の矢倉を避け続けた。その結果、中原が4勝3敗と逆転防衛を果たす、という、実に名人位に肉薄した瞬間があったのだ。
 惜しい=負けた、ということだから、何の慰めにもなっていない。しかし、だからと言ってなんと声をかければよいのか、というふうには感じる。主催など関係者であれば、声をかけないわけにもいかないし。しかし今日の自身はまさにいいところなしであり、なにひとつ惜しいところなどなかったのであった(笑)

2011/10/15(土)   独占事業の逃げ口上

 オーストラリアの電話料金は昔はほんと高かった。テルストラという会社の独占体制で、昔の日本のNTT(日本電信電話)と何一つ変わらなかった。固定電話の通話料はずっと80セント。高すぎるという批判があっても、これが真に必要なコストを反映した価格なのだ、の一点張り。実に異常な状態だった。
 その電話事業への新規参入が認められ、ボーダフォン(イギリス)、オプタス(シンガポール・テレコム)、3(3という新設電話会社)などが参入した。そのとたん、あれだけ値下げを頑としてしなかったテルストラは、いきなり固定電話料金を30セント台にまで値下げした(現在は40セントを経て50セント)。もっとも、それまでの強弁にも論拠を示していたわけではない。競争相手の台頭によって値下げしたのは明白であった。
 東電が勝手に電気料金を値上げし、しかも公的資金の注入までも求めている。はっきり言ってとんでもない話としか言いようがない。日本は先進国の中で唯一、発送電分離が行われていない。電話でさえ自由化したというのに、電気ガスを自由化できない確たる理由でもあるのだろうか。数年前までのテルストラの強弁のように、何一つ根拠がないのである。
 東電が潰れそうなら、潰れても利用者が電気に困らない仕組みを整えればよいだけの話である。東電の債権は膨大だからそこらじゅうに飛び散っているけれど、そんなものは庶民には関係のない話。今まで散々甘い汁を吸ってきて、いざとなれば補てんを求めるというのは単に傲慢なだけだし、それに応じるのがスマートなやり方だとは到底思えない。

2011/10/14(金)   よもやま話

 たまに人と食事をしにいくと会話に困る。なにせ、自身など持ちネタのレパートリーがないからね。面白い話ができるわけではないし、なにか芸ができるわけでもない。困ったものである。
 それでもたまにはなんとかついていける話題が出てくる時もある。もちろん、相手が気を使ってくれているからなのだが。どういうわけかイケメン二人と食事をすることになってしまった今日もそうだった。
 プロ野球の選手のネタならそこそこ分かるかなぁ。種田とか八重樫とか大道とか梨田のフォームとか、グリーンウェルとかカステヤーノとかハドラーのようなマイナー外国人とか。応援歌も独特なのはあったなぁ、と思いだすけれど、言われなければ思い出せない。
 そういえば、昔は大リーグにいる日本人なんて新庄とイチローだけだったのに、いまや随分増えたものだ。それでも今でも活躍できているのは黒田と斎藤隆くらいなものなのだろうか。井川とか川上とか、名前もきかなくなってしまった。まだ何年かやってる選手ならばともかく、西岡のように一年目で忘れられた存在になってしまった人もいる。みんな頑張ってほしいが、なかなか難しいんだろうね。

2011/10/13(木)   コスト

 松本、甲府、長野まで自家用車で行くとそれぞれ3000円、5000円、6000円かかると書いた。そんな金額ありえない、と言われてしまうのかもしれないが、しかし実際にそうである。電車で行けばそれぞれ約3分の1で済むのも確かである。
 車のガソリン代や駐車場代はもちろんのこと、取得費、維持費なども考慮しなければならない。運転途中で事故に遭うかもしれないから、その分のリスクを考慮しないといけない。往復で2時間かかるというのもコストのひとつ。ほかのことにかけられる時間を使ってしまうからである。
 これが電車移動なら、移動中に勉強しようと思えば出来る。寝ようと思えば眠れる。事故に遭うリスクはなくなりはしないけれど、自動車事故の確率よりはよほど低いし、賠償もしてもらえる。鉄道運賃は保険金込みであの金額だと思えば安いものである。飛行機なんて、航空保険は自腹だものね。
 原発のコストが最も安いなんて言っているのは、廃棄物の処理コスト、賠償や除染などにかかるコスト、役員のロビー活動のコストなどを考えていないからそうなっているだけである。いまだに官僚のほとんどと一部の新聞が原発の再稼働をひたすら求めているというのが理解できない。論理的に説明できないことでも、強引に推し進められるというのは原発もTPPも同じなんだろうか。はっきり言ってやっていられないというものである。

2011/10/12(水)   八百長(やや長編)

 八百長と一言でいうけれど、厳密にいえば何が八百長なのだろう。たとえば今年の地震の前までは非常にホットな話題だったカンニング。あれは八百長なのかと言われれば違うと思う。では、裏金を渡して入試問題を前もって入手したり、あるいは下駄を履かせてもらって合格したらどうか。やはり、八百長とは言えないだろう。
 サッカーのワールドカップで、日韓共催になったことがあった。あのとき韓国はベスト4まで進んだが、一部では八百長疑惑が消えなかった。審判が非常に韓国よりの裁定を下している、というもので、実際にそう思えたときもあった。審判を買収する行為は八百長に当たるのだろうか。
 八百長ってのは、あくまでルールに則ってプレイしている人が、その最中にわざと何かをやらかすことを指すんじゃないのかな?と思う。たとえばプロ野球でいえばわざと後逸したり、サッカーならPKのときに球を蹴られる前にわざわざキーパーが動き得点を許してみたり、相撲でいえば投げられるのが分かっていながら敢えて抵抗してみたりとか。
 どれを取ってみてもルール上は問題のない行為だけれど、故意であればゲームの行く末を左右してしまう卑劣な行為。自身はオセロや将棋、バドミントンやテニスや卓球なども含めていろんな分野の大会に出るけれど、どんな小さな大会に出てもいつも全力を尽くすことにしている。たとえ消化試合であっても、である。
 それでも困るときが出てくるのは事実である。たとえばオセロのリーグ戦で、自身は単なる順位争いだけど、対戦相手に優勝がかかった勝負なんてこともあるわけである。全力で勝ってしまえばどういうわけか「空気読め」などと一部の心ない人たちに言われてしまうのが現在である。しかし空気を読んで負けてしまったら、それこそほかの優勝争いをしている人たちに申し訳ないし、そもそも全力を尽くしても負けてしまうときだってあるのである。それでも「空気読め」と言われるのだから、勝っても負けてもひどい結末しか用意されていないのである。
 特定のプレイヤーに有利にならないようにするために、常に全力を尽くしているのである。全力を尽くすと言ってもいろいろである。例えば麻雀の大会だったら、特定のプレイヤーに有利にならないように打牌をし、和了の際も同じように留意するべきである。そうできなければ八百長と言われてもやむを得まい。どんなゲームでも、大会で納得のいく説明ができない行為をしてしまうぐらいなら、はじめから棄権するべきというもの。
 どんな大会でも主催者というのは大変ということは身にしみて知っている。自身のプレイは主催者が第一に大切であり、第二は自身を含めた参加者全体、そして第三には応援や観戦している人たちである。だから、観戦している人が大会をぶち壊しそうになると必ず強く注意する。主催者に顔向けできないものね。あいつは狭量だと陰口を叩かれても気になどしない。
 しかし、参加者同士で組んで(八百長して)いるのを見たことも残念ながらある。参加者同士だと注意はできないし、みすみす不正を働いた人が優勝してしまうのを指をくわえて見てるだけ、なんてときもあった。こういうときには主催者が厳罰を下すようにしないとほかの参加者は白けてしまうよ。
 ルール上問題ない、などと開き直るのではなく、自身は少なくとも、明快に説明できる行為しか、大会ではしないことにしている。大会となれば食事はおろか、水すら飲まないものね。それも尿意のせいで負けた、などと言いたく(言われたく)ないからである。ルール上問題なくても、ルールよりはるかに大切なものというのはいっぱいあるのだ。そんなことにすら気づけない人間にまで落ちぶれたくはない。

2011/10/11(火)   小人の集まり

 アメリカのデモが止みそうな気配がない。そのちょっと前にはロンドンでもデモが勃発したりした。アテネのストライキも相変わらずで、アラブの春と言われる民主化運動は世界的な機運を高めるばかり。いったい今後、どうなっていくのだろう。
 デモの根源は生活の困窮である。アメリカの格差社会は一昔前でこそ、再チャレンジの機会(セーフティネット)があるから問題ない、と言われてきたけれど、いまやチャレンジする機会すら与えられない。失業率は9〜10%。金持ち優遇の共和党政権に代わろうものならさらに格差が広がることは必至である。
 アメリカの著名投資家であるウォーレン・バフェットは金持ちはもっと税負担を負うべきだ、と主張してきている。我々が庶民より税負担率が低いなどありえない、とも述べている。オバマが雇用拡大の財源として富裕層増税を打ちたてたのは当然のことである。それでも所得税率は40%にしかならない。この税率で社会が機能するのか、判然としない。
 方や日本ではどうなのだろう。一番の金持ちといえば新聞社なのだが、揃いも揃って消費税増税、所得減税を訴え続けている。東電の腐った役員を筆頭とする経団連の連中も、企業負担を減らすべく新聞社と全く同じ主張。自分たちの痛みは絶対に受け入れられない、実に小人の集積体である。野田政権は消費増税と合わせて一律4%の所得増税をも打ち出しているけれど、寛容な日本人に対する挑発なのだろうか。日本でも大規模なデモが発生する日が来るのは遠いことではないのかもしれない。

2011/10/10(月)   構造的腐敗

 ネットなど、発言権のない人たちの吹きだまりのような場所である。わがもの顔でいいたいことを主張することは理解できても、そのことと相容れない、他人の考えを貶めることも平気でするのは理解できない。そもそもネットは同時性がなく、1:1あるいはそれに近い論争のために意見を述べるのには不適当な場である。反論がないから自分の意見が正しいなど、正気のコメントとは思えないものもいっぱい見受けられる。
 そのような、大した知性を持たない衆愚を扇動するというのは多くの国々で過去に行われてきたことであり、そして現在でも一部の国では行われていることである。中韓の反日思想なんてまさにそうだ。経済的には日本抜きには成り立たなくても、国内のいびつな構造に対する不満が高まると、ガス抜きのように反日政策がなされる。日本でも既得権益が膨らんだ新聞社が自らに批判の的が向けられるのを避けるため、執拗に公務員批判をしたりする。例の小沢事件でも説明責任など、意味の分からないことを堂々と述べたりする。
 説明責任が必要なのは検察の側である。何十億も小沢捜査につぎ込んで、何一つ成果を残せなかった。それは税金の使い道として正しいのか。今までにどのような証拠を積み上げてきたのか。検察官を呼んで証人喚問しないのは西側先進国では日本ぐらいのもの。被疑者のほうを証人喚問しろなどと不毛なことがなされる。いまの国会は復興のことなどまったく考えていないとしか思えない。同じように虚偽に固められた新聞報道も検証されてしかるべきなのに、誤報を重ねても謝罪ひとつしない。異常としか言いようがない。
 4年前、1歳上のとある知人の新聞記者の給料は年に千数百万円だった。そこまでもらえる人は少数派なのだが、初任給さえ600万いくらかで、手当も大量にあるので、ほかの人たちでも東電社員の収入などはるかに凌駕している。既得権益に囲まれているのは電力も新聞社も同じだけれど、新聞社がどんな不祥事を起こしても日本人というのは寛容なのか、疑念の声を上げることすらない。日本の病巣はかくも深いものなのか、と溜息が止まらないというものだ。

2011/10/09(日)   ゾ、ゾンビだ〜〜



 少し前、今年の七夕のこと。産経新聞が号外まで配り、「江沢民氏が死去」と報じた。日本では産経だけが報じていて、あんなに人員削減で必死で、まして中国政府に忌避されている産経がスクープを取れるわけないでしょ、と書いた。
 海外紙がすべて誤報を認め、謝罪、訂正をしているというのに、産経はまったくそんなそぶりを見せなかった。それどころか自社の記事で海外紙が誤報と述べ、方やコラムでは産経の記事は正しいという趣旨のものを書くなど、支離滅裂な会社であることを内外にさらけ出す有様。醜態としか言いようがない。
 そんな江沢民が辛亥革命100年の式典に出席し、祝辞などを述べていた。脳死という説も産経は流していたが、それもまるっきり当て外れな推測、いや産経の願望であった。ここまでのものを見せつけられても産経は誤報を認めないのかと思ったが、他紙に遅れること3カ月以上、小さくお詫びの記事を載せた。
 会社の存続のために右傾し中立を捨てた報道機関らしいといえばらしいのだが、日本人としては全く情けない。ここまでひどくはないにしても、ほかの新聞社とてろくに取材を行っていないことは鉢呂の放射能発言を見ればわかるというもの。国家の存続のために共産党独裁をおこなっている中国のことを、どうすれば産経が批判できるのだろう。自民党・電力会社・フジサンケイグループからの資金、あとは捏造のちょうちん記事でかろうじて持っている産経だけど、ゾンビが誤報で世論を弄ろうとするのは目に余る。早く完全に倒産してほしい。

2011/10/08(土)   リバウンド

 リバウンドという言葉は本当は元の方向に戻るという意味である。そうでありながら、日本では基本的にダイエットで減らした体重が回復したことを意味することがほとんどである。そもそも痩せるという行為が不毛である。無理に痩せても、しわ寄せが出てくるのは当然の話というもの。
 渡豪して6kg太った。牛乳は飲みまくるわ牡蠣に牛肉に生野菜は食べまくるわ、そりゃ日常よりも食事が増えるのだから、太るのは無理のない話。しかし帰国して、いつも通りの生活をしていたらそれだけでもう4kg痩せてしまった。これこそが本当のリバウンドというもの。
 自身の生活が本当に一週間周期でぴったり決まっているからこうなるんだろうね。献立も一週間周期という恐ろしい生活で、職場での昼食でも毎曜日決まったものを食べている。月曜はテニスをして火曜・水曜・土曜はジムに行って、木曜・金曜・日曜は諏訪湖を一周(たまに二周)する、とすべて決まっているのである。
 同じ生活をしていれば同じ体重に収束する。極めて当たり前のことなのである。無理に痩せればいずれその無理のツケが出てくるというもの。ダイエットしようなどと思わないほうがいいと思う。

2011/10/07(金)   プロ対プログラム

 2007年3月21日。将棋の渡辺竜王(当時22歳)と、コンピュータ将棋選手権を制したプログラムのボナンザの対戦が行われた。もちろん平手であり、人工知能業界にとっては非常に価値のある対局だった。一方のプロとしては負ければ面目丸潰れであり勝って当然と想定されている、実に割にあわない対局。結果は渡辺が勝ち、プロの貫録を見せた。
 しかし、途中まではプログラムもやれているという評判であったし、渡辺もそう感じていた。人間には想像できない手だけれど、指されてみればなかなか、と感じた手もいくつかあったという。そういう手が将棋の新たな可能性を創っていく。盤面五分で進み、プログラムがプロよりも強いと言われる終盤の入り口。ボナンザが渡辺玉に強襲をかける。渡辺はプログラムがこう指すのだから何か自分が見落としているのかと述べたが、結局のところボナンザの無理攻めだった。
 あれから5年。プログラムの進歩はさらに進んだ。ハードの進歩だけでもただならぬものなのに、ソフト的にも進歩している。思索型からボナンザという全探索型に変わることで大きく強くなったプログラムは、いまは両面を備えた協調型のアルゴリズムを搭載しているものもあらわれた。ボンクラーズもその一つで、今年のプログラム大会で優勝したものである。
 5年経って2012年の1月。予定より遅れたが、そのボンクラーズとプロの米長会長との対戦が行われることが決まった。プログラムが進歩しているというのに、プロの対戦相手は最高峰だったプロからとっくに引退した老棋士に変わってはプロに勝ち目はないと思うのだがどうだろう。米長が勝利すれば腰を抜かすかもしれない。結果が楽しみだ。

2011/10/06(木)   ジョブズ氏死去

 マッキントッシュで知られたアップル。ビルゲイツ率いるマイクロソフトに完全に飲まれる勢いだった。そんな中、アップル設立者の一人でありながら放逐されたジョブスが復帰するとアイマックを発表。反撃の嚆矢であった。その後もiPod、iPhone、iPadなどヒット作続き。マイクロソフトに飲みこまれるどころか、あのエクソンモービルさえも追い抜いてしまい、世界一の会社にまでしてしまった。
 アップルは別に、技術的に難しいものをしているわけではない。ごく当たり前の商品を作って、それが高い値段で売れたのだからそれは業績もうなぎのぼりというもの。持っていたいと思わせるものを作るのが天才的だったのかもしれない。自身は氏のかかわったものを買おうと思う気すらないので分からないのだが。
 欲のない人で、報酬も年1ドルなど、ありえない金額。東電の社長は何億の退職慰労金を踏んだっくったのだ、などと思ってしまう。国関係でいえば神戸空港を作った兵庫県知事や、エネ庁長官などがそう。方や県に無駄な箱モノを作りまくり、方や原子力行政をろくに監督もせず、財政が傾いたのが目に見えていながら両者ともに規定だからと述べて満額の退職金を受け取り去っていった。
 かつてはソニー製品が持っていたいものNo.1などと言われた時代もあったけれど、今では違うよなぁ、と思う。ジョブズいわく『海岸のごみ』こと日本の製品が世界の人たちに持っていたいと思われるような時代は来るのだろうか。世界を席巻できるだけのものなどそうは作れまい。だからこそ、ジョブズは偉大なのだ。故人のご冥福をお祈り申し上げたい。

2011/10/05(水)   名古屋のいろいろ

 三重に住んでいたころ、名古屋には滅多にいかなかった。四日市から近鉄で30分足らずだと言うのに、である。もちろん、名古屋駅から先(例えば栄とか大曽根とか)に出るのが面倒くさいというのはあったけれど、そもそも名古屋というのが好きじゃないのかもしれない。ちなみに名古屋市浄心に住んでいたこともあるが、やはり滅多に名古屋駅には行かなかった。
 そのせいか、いまだに主要駅で名古屋駅だけ構造がさっぱりわかっていない。大昔に書いたけれど、新幹線に乗り換えようとしたときに正反対の方向に向かったほど何も知らない。今では1〜13番線こそ正しく把握しているものの、名鉄や近鉄、地下鉄の位置関係となればさっぱりである。
 そんな自身が久々に名古屋に出たものだから、もう頭がパニック状態。えっと、まずはエスカに行ってその次はサンロードに行って・・・あとは何だっけ?みたいな状態。近鉄のホームに行かなければいけないのに出くわしたのは名鉄の乗り場。名鉄と近鉄は連絡改札があるぐらいだから近いはずだけど、全然近鉄の乗り場にたどりつけない。
 やっとのことで近鉄にまで辿り着いたころにはもうへとへとだった。なんとか特急に乗れたものの、電車の発車音楽がありえないぐらい憂鬱になる音楽で凹んでしまう。ドナウ川の漣(さざなみ)という音楽なのだけど、いったいいつになったら変わるのか。曲そのものは非常にいい曲なんだけど、ありえないぐらい暗いトーンなので『GAME OVER』というような気持ちになってしまう。ピアノ版とかオーケストラ版に変更してほしい。

2011/10/04(火)   インフルエンザ

 冬が近づくと気になるのはインフルエンザである。科学的には予防接種を受けるメリットなどないことは分かり切っていながら、それでも予防接種を受けることにしている。なぜなのかと聞かれるとプラシーボだと答えることにしている。
 プラシーボとは偽薬という意味である。たとえば、頭痛に悩む未開人に歯磨き粉を飲ませたというエピソードがある。とんでもない話だと思うが、その歯磨き粉が効いて頭痛が治ったのである。飲んだという心理的な効果だけでメリットがあるのである。そういうわけで、臨床試験で新薬の効果を確かめるときには、新薬を飲ませるグループと、何の効果もない炭水化物を飲ませるグループと2つにわけることが行われている。
 昔は義務だった小学校での予防接種は、医療ミス以来、任意性になった。研究が進んだ結果として、接種を受けても受けなくてもインフルエンザにかかる確率には有意差(意味のある差)がないことが分かった。接種を受ければ医療ミスの可能性もあるし、将来的に禍根を残さないとも言えない。だから受けないに越したことはないのである。
 1本当たりの製造費用20円のワクチンは、1000円程度で病院に納入される。都市部で3000円前後、長野だとだいたい4000〜5000円はするのでなんともひどく高い商品を、しかも効き目がないと分かっていながら打つのである。それでも今年もきっと打つんだろうなぁ。宝くじが当たる確率よりも予防接種が効く確率のほうが低いというのに・・・。接種したからインフルエンザにはかからない、と思っているからなのか、今までほんとにかかったことがないんだよね。

2011/10/03(月)   紙一重

 ノーベル賞の季節になった。最近は日本人の受賞者も増えているものの、率直にいえば彼らの業績は20年30年、いやもっと前からの業績が評価されてのものであり、最近の科学技術政策の恩恵によるものではない。ノーベル賞を受賞する前からほかの有名な賞を多く受賞してきた人たちなのである。
 だからノーベル賞というのはしょせん、多くの偉大な業績を持つ人に対し、ノーベル賞なるものを改めて授けるということに他ならない。ノーベル賞をもらったから偉大なのではなく、偉大だからノーベル賞を貰えたのである。そのあたりのことがわからない人も多いのだろうけど。
 判断基準も実にあいまいである。たとえば去年の平和賞。ノーベル財団は政治的な思惑を賞に込めたと言われてもおかしくない行為をしたし、場合によっては世界の政治と経済に混乱を与えかねない愚かな行為だった。いや、多少の混乱は実際に起きたことで、仮定の話では済まされないかもしれない。ほかにも故人には与えられないとか、実によくわからない決まりがある。
 ノーベル医学生理学賞の授与内定者、スタインマン教授が3日前に亡くなっていた。さてどうなるのか。規定を厳格に捉えるのであれば授与することはできないということになるけれど、存命か否かだけでスタインマンの功績は変わるものなのだろうか。個人的な意見を述べるとスタインマンの功績はたとえ亡くなっても変わらないのだから、別にノーベル賞うんぬんはどうでもよい話なのだけど、それでもノーベル賞を最終目標に置いている研究者というのは野依などのように多いのが実情である。内定の電話を受けたとき、スタインマンはどのように思ったのだろうか。野依のように思ったのなら与え、田中のように思ったのであれば与えなくてもよいのではなかろうか。

2011/10/02(日)   世代交代

 羽生が最近不甲斐ないと書いた。やっぱり対局の内容がよくないものね。単純な見落としがあったり、僅差のままごり押しされてそのまま押し切られたりなど、らしくないことが目立つ。それでもまだ7つのタイトルのうちの2つを維持しているというのは良いほうなのかもしれない。
 十数年前、一世を風靡した20代と言えば武豊、羽生善治、イチローの3人だった。イチローは200本安打の連続記録が途絶えた。安打数に気を取られるあまりかボール球に手を出して凡退を繰り返した印象。四球を選べないトップバッターなんてクビだと思うのに。来日しているプロ野球の外国人選手を見ている思いだった。
 武豊も天才騎手と言われ、G1を大量に勝ち、最年少でリーディングを獲得すると、その後もずっとその地位を守ってきた存在だった。乗っている馬がいいだけ、だなんて言われたけれど、それでも結果を出し続けるのは並大抵のことではない。そんな武豊も40代に入り、今年は中央G1獲得の連続記録がいよいよ途絶えようとしている。
 一世を風靡した存在が衰えていくというのはどうしようもないことなのかもしれない。若い世代も大量に出てくるわけだし。一流として活躍できるのはどれぐらいの期間なのかは種目によっても異なるのだろうが、まだまだ三人とも老けこむには早いような気がする。個人的な願望込みなのだが。

2011/10/01(土)   大赤字

 なにしろネタがないためいつも書くことは似たり寄ったりで、同じ例が書かれることも少なくない。例えば主婦が安売りのために遠くまで買い物に出ることなどがそうである。車でスーパーを2軒回ると、1軒回る場合より150円前後高くなる。特売商品にしがみついてもとんとんか赤字である。多少の価格差には目をつむり、一店舗で買い物を済ませることを第一に考えるべきである、といつも書いている。
 車は便利だが、その分高いということでもある。たとえば自宅から松本に行くと1回3500円、甲府で同6000円、長野だと同7000円弱はする。電車で移動すればだいたい3分の1で済むので、東京でさえ往復8000円前後でいけてしまう。家電などは別にして、薬など細かいものに関しては買い物リストを控えておいて、いったときにまとめて買うというのも述べた通り。
 そういえば、今の自宅のテレビ(DVD内臓27型)は松本で買ったんだった。2万円ちょっとだったからである。同じものを近隣で買うと4万円前後で、さすがに2万円ほども差がつくと交通費3500円を差し引いてもメリットになる。これが例えば100円安いだけの特売の大根のためだけに行ったとかならほんと袋叩きものなのだけど。
 移動と言う手段には思うよりコストがかかるもの。それに見合う対価が得られるのならば良いけれど、そうでないのならただの愚行である。風邪気味のため早めに寝ているところをたたき起こされ遠出して懐を痛めて寝不足になって、あわや交通事故というシーンも2度も・・・・。なんだか踏んだり蹴ったりの一日だったが、これも自身の不徳の致すところだろうか。

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