せっきーの世紀末

/(^o^)\日本ヲワタ/(^o^)\

2011/05/31(火)   短絡的

 最近の大人というのは論理的思考能力を著しく欠いていると思う。自分の言い分を通すこと以外のことを考えていない。筋が通らないことをしても胸を張り、非難されれば逆切れ。それがまだ巷の大人の行為だけなら許せるのだが、新聞社や総理大臣まで全く同じなのだから困ったものである。
 JR北海道の特急電車が脱線し炎上した。40時間経って牽引されてきた燃えカスの電車の様相が事態の深刻さを物語っている。かつて韓国で地下鉄が炎上した際、韓国のテレビ局は日本の電車の床を燃やそうとしていたりした。もちろん難燃剤を使っているため燃えなかった(ということを報じたかった番組だった)のだが、特急の内部は窓ガラスを残すのみで、座席の残骸もない。壁面のポリカーボーネートを炎が伝って行ったのだろうか。
 北陸トンネル火災という事故がかつてあって、トンネル内に緊急停止した電車は架線にまで延焼した炎のために身動き不能になり、多数の犠牲者を出した。あの教訓があってトンネル内では停車しないということになったはずなのだが、異常事態となればそういうことも起こりうるだろう。動けなくなったときにもっと早く脱出させるべきだったのではないかと思う。トンネルの中では火災を把握するのも大変である。
 いまの報道を見聞きして何が異常かといえば、振り子式特急だからこんな被害になったと述べているジャーナリストや新聞社があること。そういう可能性は排除しないけれど、具体的な状況がいま一つつかめないなか、なぜそんなに結論を急いで出す必要があるのだろう。振り子が悪となればスーパーあずさももちろん駄目であるし、ほかの多くの特急も運行不能になると思う。振り子の危険性に関する論拠がしっかりしているならばともかく、何もないから困る。
 むしろ事故と直接の関係はないにしろ、長大トンネルのほうが問題だと思う。トンネルとはまさに移動距離を短絡する手段であるが、移動距離面では便利でも、安全性という意味では多くの問題を孕んでいる。脱出経路、換気、水まわり、坑道の強度もろもろ、挙げていけばきりがない。
 リニアの建設の話が盛んで中間駅の構想も取りざたされているけれど、あんな長大トンネルのど真ん中で車両が立ち往生したら全員ガス中毒になりはしないか。停電になれば真っ暗で、避難もおぼつかない。何にしても巷の短絡的思考が問題の本質から目をそらすことを危惧している。

2011/05/30(月)   ノーマイカー

 個人が効率的に行動するためなら自家用車を使うのが最も便利に決まっている。しかし夜間などすいている時間帯ならばともかく、通勤時間帯などでは多くの人がそう考え行動している結果として、道路渋滞などが発生し、行動の効率が落ちてしまう。
 待ち時間の生じる電車移動はある意味では無駄である。まず電車を待つのが無駄である。次に、目的地以外の駅に止まる時間はその駅に用のない人にとっては無駄である。乗換の時間も無駄であり、どの2点間も直通できるようにすればよいだけの話である。
 そういう理想とは程遠くても、電車バスというのは不特定多数の移動を考えた場合には実に効率的な乗り物である。バスに20人が乗っていると想定すると、もしこれが個々の移動であれば20台の車が移動していることになる。渋滞は減るし、免許のない人も移動できる。電車も同じである。個人の移動としては厳密な最効率とは言えないものの、集団の移動としてみればもっとも効率的であるといえる。
 県内ノーマイカーウィークが行われている。個人的にも自転車通勤に切り替え、活動に協力せねばなるまい。自動車利用というのはやはり便利で、だからこそ多くの人が自動車通勤をしているのだが、春の風に吹かれながらの自転車通勤も良いものである。いかんせん12kmという通勤距離がネックなのだが。

2011/05/29(日)   縁結び

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 結びというのは縁起のいい言葉なのだろうか。結びの一番だなんて言葉があるけれど、とくに縁起がいい言葉ではないように思う。ほかには「おむすび」というのも結びという言葉が起源なのだろうが、やはりこれもどうなのか、分からない。
 梅雨前線が台風に刺激されるという悪天候の中、出雲大社に赴いた。前回は一畑電鉄で来たのだがもう10年以上は前だろうか。乗継時間がわずかで、境内まで全力疾走したことはよく覚えている。今日は時間もたっぷりあるのでのんびりと境内を巡回。広すぎて靴下がずぶ濡れになってしまった。
 この結び目が出雲にきたなぁ、と思わせるシンボルのようなものである。ひどい豪雨の中、ときおり雷が走る。出雲のイナズマ、といううたい文句の有名人がいるけれど、彼女ほど切れ味の鋭い人間になれればよいのだが。
 帰りは蒜山高原でのんびりと乳製品。加工乳が故意に薄められて引き上げられた基準値以下になる時代である。もっと安心してクリームやチーズなどの乳製品が食べられる世の中になればよいのだけど。

2011/05/28(土)   松江城

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 現存12天守という、昔のまま残っている12城がある。弘前、松本、犬山、丸岡、彦根、姫路、松江、備中松山、丸亀、松山、宇和島、高知の12城のことである。このうち弘前、丸岡、備中松山、松江の4城だけはいったことがなかったので、高速が1000円のうちに行ってみようと思っていたが全然いかなかった。そうこうするうちにもうすぐ1000円が打ち止めということもあり、行ってみることにした。
 あいにくの大雨。本当は備中松山に向かってから行くつもりだったが、交通の便の悪い山城を訪ねられる天気ではないので断念。松江につき、とりあえずは堀川めぐりである。宍道湖の水が入り込む海水だけに、海水魚もいたようだった。
 天守の大きさは松本と同じぐらいだろうか。しかし城内公園は広く、松本の倍ほどはあろうか。三の丸には県庁まであり、市役所のある松本とはまた別の趣である。天守からは大雨で見晴らしが悪かったものの、嫁が島までは見えた。
 玉造温泉に泊まり、夕食は島根牛。安来節にどじょうすくいを見て一日が終わりという印象である。なんだか久々に休日らしい休日を過ごした気分である。

2011/05/27(金)   小型は必ずしもエコならず

 大は小を兼ねるというけれど、大きいことは良いことなのだろうか。たとえば車を運転するにしても、大型車は基本的に燃費が悪い。大型のテレビは小型のテレビより消費電力が大きい。そんなことは当たり前のことである。
 それでは小さいことは良いことなのだろうか。それもまた、単純には言えない面も孕んでいる。確かに車よりもバイクのほうが小回りが利き燃費も良い。電化製品だって小型のほうが設置場所にも困らないし、消費電力も小さい。しかしそれはあくまで、大きいものがこなせる役務と同様のものをこなせるという前提に立った話である。例えば原動機付自転車で長野から東京まで行けるだろうか。たとえば小型のオーブンで食パン10枚を焼くとき、大型のものと比してどれぐらい時間がかかるだろうか。単純比較ではクリアにならない問題も多いのだ。
 昔あった8インチフロッピーより3.5インチフロッピーのほうがはるかに小さい。同じように、SDカードよりマイクロSDカードのほうがはるかに小さい。それでいて容量は同等か、小型のもののほうが大きかったりするのだからこういった分野では小さいもののほうがすべてにおいて秀でているように感じる。でも実際、はたしてそうだろうか。
 カードリーダーに突っ込んでいたマイクロSDが異常なほど熱をもっていた。配線が3分の1の太さになったとすると電気抵抗は少なくとも9倍になるわけであり、流すのに必要な電気量も9倍になる。小型のもののほうが電気は多く消費するのである。それは携帯電話や携帯音楽端末などでも同じであり、小型になればなるほど、ファンなど余計な部分でエネルギーを食ってしまう。なんでも小型が叫ばれている時代だけれど、本当にそれで良いのだろうか。

2011/05/26(木)   弱い六段

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 白黒をつけるゲームには実にいろんなものがある。対外試合も積極的にこなすオセロならそれなりの自信がある・・・と言いたいところだが、リーグ戦で全敗なんてこともあるのでそんなことはとても言えない。チェスも趣味レベルならそこそこなのだろうけれど、チェス自慢と対戦してもやられるだけである。ちなみに囲碁は全くしない。
 将棋も子どものころなど、昔は非常に熱心だったけれど、いまやタイトル戦の観戦ぐらいである。もちろん自身には指せる棋力などないので、ただたかって面白がっているだけである。とあるときに将棋●段のお偉いさんと新年会のときに対戦したが、うまく指し回されてやられてしまった。あのときの対局が何年ぶりだったか、という印象である。
 将棋の段位認定は一応四段はもらっている。一応というのは、到底自身の棋力に見合わない段位なので、免状などはもらっていないということ。なんかの間違いで取れてしまったけれど、実際にはそんな力などなく、せいぜい初段あればよいところである。そんな漫然とした思いを抱いていたころ、羽生善治特別認定という段位認定があり、最盛期から10年以上たった今頃になってやってみようと思い、やってみることにした。
 その結果は上の通り。よりによって認定可能な最高段位である六段の認定を受けてしまった。100点満点で最低でも65点はあるかなぁ。。。というぐらいの印象だったのだけれど、ふたを開けてみればこんな状況だったなんて・・・。しかし実に難問揃いで、やはり出来過ぎの成績であることに変わりはない。アマ最高位の免状など、身の丈に合わなさ過ぎてとても申請できないというものである。

2011/05/25(水)   ETC

 一応ETCカードを2枚持っている。ほとんど使うこともないが、かつては通勤割引が100km以内限定であったので、複数枚を持っているメリットがあったのだ。たとえば諏訪南から小布施まで行くと100kmを越えてしまう。1枚目のカードで100km限界まで行き、もう1枚のカードで残りも半額にすればかなり安くあがったのである。
 しかし無駄な割引制度が増えすぎて、複数枚持っている意味もなくなってしまった。休日1000円というのは個人的には愚策というほかないが、それでも履歴を見ると1000円で済んだ利用というのは結構多いものである。もちろん県内移動がほとんどなので、1300円かかるところが1000円で済んだ、といレベルである。割引前の利用額が3000円を超える例など、2年間で3回しかなかった。
 しかしそのETC割引も多くが終焉を迎えそうである。当然のことであり、なぜこんなに時間がかかったのか分からぬが。高速1000円のおかげで鉄道やバス、フェリーといった機関はどれだけダメージを受けたか分からない。
 通勤割引は残るという。ということは、久しぶりに2枚目のカードが日の目を見るということだろうか。財布の中を占領するだけであった1枚だが、これだけ使わない期間が長引くとは思っていなかった。いったん廃止にして今から申し込んでも十分間に合いそうなものだから。

2011/05/24(火)   知らない?

 新しい上司がお酒好きで困る。お酒が好きなのは至極結構なことなのだけれど、それはあくまで自己完結していればの話。もちろん酒飲みで毎日のように飲んでいるのだが、そんなのはかわいい話。事あるごとに飲みに誘われるから困るのである。
 それだけならまだしも、飲むことよりも注ぐことのほうが好きなのである。下手をすれば1分で2回は日本酒を注がれる。ビールはもっぱら乾杯ビールぐらいであり、その後すぐに日本酒か焼酎などに走ってしまう。先日など日本酒をひたすら頼む上司を尻目にひたすら輸入ビールを飲んでいた。ちょっぴり不満そうであった(笑)
 この時期と言えばプロ野球ではトレードが行われる時期。順風満帆というチームもあるけれど、たいていはそうではないからね。阪神が江草を放出しけが人続出の内野手を補強したというのに、阪神の真弓監督は「誰を補強したの?誰それ?知らない。」という返答だったとか。なんともあまりなやり取りである。自身はお酒こそ注がれてもあまり飲まないが、まだ名前を覚えてもらえているだけマシというものか。

2011/05/23(月)   良好

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 職場の四人で昼にラーメンを食べに出かけた。行く先は岡谷の蔵人である。なんといってもこの4月にオープンしたばかり。茅野の焼き味噌ラーメンは有名である。
 とかいいながら、ほぼ必ず醤油ラーメンを頼むことにしている自身が恨めしい。当然残りの3名は焼き味噌ラーメンである。焼き醤油、焼き味噌ということばがどういうことを意味しているのか分からないが、なにかを加熱したりしているのだろうか。
 海鮮魚醤系のラーメンが好きなもので、そうだったらもう言うことないなぁ、と思っていたものの、出されたものは極めて普通の醤油ラーメンである。実に良好な味わい。ハ●ピンなど、味の素入りました、という感じのラーメンとは全然違って、化学調味料の感じはしなかったかな。

2011/05/22(日)   八百長の日

 角界が八百長と騒がれ続けた中、本場所ではない、珍しい場所が設けられた。結果は白鵬の優勝と目新しくはなかったが、なによりも目新しかったのは歯抜けのような番付表である。今後がどうなるのかも見通せない。さらなる除名勧告もあるのだろうか。
 この世界では千秋楽で7勝7敗の力士の勝率が異常なほど高いということはよく知られてきた。それを避けるには7勝7敗同士で取組を組むしかないのだが、いかんせんすでにあたっている組み合わせも多いし、なによりも千秋楽の取組は14日目の取り組み前に決まってしまう。今回も7−7対決はたった2番のみ。そうすると残りの力士は全勝しそうなものだが、はたしてどうなったか。
 意外にも、勝率5割という結果に終わったのである。負け越しの力士が圧勝する光景も見られるなど、かつての様相から一変した。だからといって八百長がなくなったと言われても否定するしかないのだが、なんとも違和感を感じたのは事実である。
 大相撲がテレビ中継されなくなっても、新聞での扱いが小さくなっても、別に何の問題もないなぁ、というのが正直な印象である。仮に大相撲がなくなったとしても、「ああそんなのあったなぁ」というぐらいの印象ではないだろうか。地盤沈下は深刻な様相である。

2011/05/21(土)   残していきたい風景

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 日本は随分と殺伐とした世の中になってしまったなぁ、と思う。ただただ他人に対して攻撃的すぎる人種が増え続けた結果だろうか。キレる子どもたちといいながら大人もキレまくる。冷静さなど持ち合わせてないし非論理的。思う通りにいかなければ逆切れに八つ当たり。どうしようもないというものだ。
 知人の子どもがシドニーヘラルドの紙面に載っていた。なにかの間違いかと思い親に問い合わせたところ、間違いないという。紙面が毎日100ページぐらいありながら主要記事は10面程度しかないのだから、残りの90面は生活欄が占めているのである。ドキュメンタリーも多いし、コミュニティの話題も多い。紙面構成そのものが日本の新聞と全く異なっている。あの写真を載せるにしても、日本だったら「許諾はとったのか」とひと悶着になるんだろうね。
 日本では社会というものが完全に壊れてしまっていると思う。残っているのは個だけである。知らない人と何かをするというシーンが本当にないと思う。登下山のときに挨拶しても無言が関の山。自己中心的なだけでなく、干渉を極限まで嫌うようになっているのかもしれない。
 日本でも昔は大道将棋なんてものが普通に見られたのに、もはや新橋駅ぐらいでしかみられなくなってしまった。写真はある日のウィーンの光景である。知らない人同士が対戦し、それを多くの通行人が目をとめて見ている。歓声があがったりなんてこともある。勝ったから帰ろうと思ったらオレと一局やらねぇか?と言われて対戦する羽目になり、ホテルに帰るのが遅れたのが懐かしい。いろいろとあったが楽しい想い出である。

2011/05/20(金)   噂と真実

 何の関係があるのかといわれそうだが、狂牛病と放射能汚染というのはきわめて近似した世界である。医学的に極めてBSEになりやすい肉骨粉を飼料としてアメリカ産牛は育てられている。骨近傍の肉はもちろん、すべての部位が危険なのだが、そのことを指摘する学者は食肉団体はおろか、連邦政府からさえ訴えられかねない。同様に、今まで日本では放射能ND(非検出)が出荷の前提であった生乳は、いまや数百ベクレルという値が暫定規制値になっている。生乳の場合は輸入品との競合にさらされることもないし、安全と言ったところですぐに健康被害が出るわけではない。米牛の狂牛病も同じであり、10年後などに被害が明確になるのだ。国家ぐるみの詐欺である。
 長年フッ素に関する研究は盛んであった。単離に成功したモアッサンはノーベル賞を受賞したが、片目を失明したうえ、受賞の翌年にはなくなっている。他にも数百名単位の研究者がフッ素の研究の際に爆発に巻き込まれたり失明したり寝たきりになったりした。フッ素の化合物であるフッ化ナトリウムはネズミ捕りの薬剤であり、明確な猛毒なのだが、どういうわけかこのフッ素、アメリカでは水道水に溶けているのである。
 インドや中国ではフッ素症という病気が蔓延している。これはフッ素を多く含む井戸水を飲んだ住民が関節痛になったり骨粗鬆症になったり歯をなくしたりという症状を出す風土病である。中国では1ppm以上のフッ素を含む水を有害とし、極力0.7ppm未満に抑えるように努力しているが、アメリカではわざわざ水道水に添加してまで1ppmにしているのである。
 なぜこんなことをするのかといえば、ひとつは原爆との関係である。原爆を作る途中では大量のフッ素ガスが必要になる。フッ素製造工場付近の住民の多くがフッ素症にかかったが、こんなことを表面化させるわけにはいかない。実際、ウィキリークスがなければ表面化しなかったと思われるし。そこで学者を抱きかかえ、フッ素は健康によい、歯によいなどと喧伝しはじめ、水道水にも故意に添加し続けている。そういう経緯がある。
 アメリカと同様、イギリスはいまだにフッ素添加を続けているが、カナダやドイツやフィンランドではやめてしまった。しかしやめても肝心の虫歯発生率はほとんど変わらない。権力に阿る研究というのは実にいい加減なものである。何のことはない、原爆製造による健康被害賠償の回避のためにつまらぬ噂が流布されているのだ。しかしつまらぬ噂に踊らされる人間が多いのは日本も同じである。自分で思考しようとしない日本国民は官僚の格好の洗脳の対象である。

2011/05/19(木)   16周年

 このサイトはとにかく古い。4度の移転を繰り返し、現在は5代目のサーバーでの稼働だけれど、やっぱり昔はいろいろと大変だったね。そもそもネットにつなぐことそのものが大変。通信も遅いし、そもそもヤフーみたいな検索エンジンはなかった。インタラクティブがほとんどない時代に自作CGIで必死にプログラムを組んでいたものだった。
 容量が一番最初のものの約300倍にまで膨らみ、通信速度も飛躍的に向上した。とはいえ自身はいまだ光ファイバーなど使っていないのだが。テレホーダイの時間に合わせて東風荘に突撃していたのが懐かしい。このサイトでもそうだし、他のサイトでも多くのオフを企画し、参加したものだった。
 いまや単なる一方通行のサイトと化している。もっとも、それは歴史的な推移を考えればしょうがないことなのだが。いちおう双方向のページも残してはいるが、いつまでもつのか分からない。そもそもこのサイト自身がいつまでもつのやら、という印象である。昨年も更新は2週間遅れたのだった。そして、今年もまた、更新期限が近付いてきている。
 個人的には続ける、やめる、どちらも普通にありだと思っている。フラグを立てる気はないのでそれ以上触れないが、あと3週間後には寿命がきてしまうのである。先のことなど考えず、今まで通りにあと3週間、ひたすら日本語を書き続けることが自身にできる唯一のことである。

2011/05/18(水)   昭和がまた遠くなる

 昔は視聴者参加型のテレビ番組というのは実に多いものだった。自身もひとつだけ出たことがあるものね。もっとも競争倍率の高かったものは「クイズ百人に聞きました」であったそうだが、他にもいくつも優良なクイズ番組はあった。しかしいつのころからか個人情報保護を名目として、視聴者参加型の番組はどんどんと減らされていった。芸能人がばかげたやり取りを繰り広げる番組を見ても低俗だと思いこそすれ、気品があると思うことなどない。
 いまだに続いている視聴者参加型のクイズ番組と言えばなんと言っても「アタック25」であろう。先代の円楽さんが司会していた笑点とあわせ、日曜日の顔とも言うべき番組であった。パネルの取り方が問題であり、必ずしも正解数が優勝とは直結しない番組であり、とくに代名詞ともなった「アタックチャンス」はその最たるものであった。一発逆転をなしえた例も多く見たし、逆にパーフェクトを達成するほど強い人も2年に1人ぐらいの割合で出てきただろうか。
 そのアタック25の司会を務めてきた児玉清さんが亡くなった。巷ではただ他人に対して攻撃的なだけの司会者や出演者が増え続けるなかで、一般の参加者を引き立てスムーズな進行を務めてきた名司会だった。「その通り」「結構!」という定番のせりふも絶妙な間合いで挿入されていた。かれこれなんと36年も続いてきたというのである。アタック25は5×5のパネルを争う番組だが、36年といえば6×6の大きさにあたる。すごいものであり、まさに一回り大きな番組である。
 児玉さんは昨年も大河ドラマにでていたし、ドラマでも名脇役などを務めてきた。殺人事件の犯人役をこなしているところも見た。本人は役者になる気はさらさらなかったようだが、実直な人柄が奏功しこのシビアな世界で表舞台に立て続けたのだろう。朗読や滑舌でも有名で、大読書家ゆえの知的な部分も兼ね備えていた。またひとり、亡くなってほしくない人が亡くなってしまった。謹んでご冥福をお祈りしたい。

2011/05/17(火)   厳罰志向は無能の証

 ずるずるとかごくごくというように音を立てて食べ物を食べたり飲み物を飲んだりすることを英語でバープ、スラープというが、多くの日本人が海外で冷たい目線を向けられる理由の一つである。無意識のうちに出てしまうのであるが、もちろんそれを許容してくれる人たちもいっぱいいる。文化が違うのだから、押しつけることはよろしくない。彼らはその人たちがそういう行為をすることは許容しても、自分たちの子供たちにはそういうことをさせないように論理的に説いている。多様な文化を認められる懐の深さがあると思う。
 そんなふうに、いろんな思想の持ち主がいてよいと思う。アメリカはビンラーディン殺害をアピールしたものの、領内で敵軍が奔走し火器を使用されたパキスタンをはじめ、他の国家、他の宗教のアメリカへの反発は必至だろう。アメリカにとっての善は世界にとっての善とは一致しないのである。そもそもアメリカに他の文化を受け入れられる受容力があれば、テロなど起きていなかっただろうに。ブッシュを大統領に選んだ米国民が悪いとしか言えないのである。
 あれ以来、空港の警備などは厳重にされ、持ち物に対する罰則も厳しくなった。自身も何度か被害にあったことはここに記したとおりだけれど、いくら厳しくしたところで航空会社や空港会社の職員が寝返ればすぐにそんな包囲網など食いちぎられてしまう。アメリカのみならず、イギリス、ニュージーランドといった厳罰傾向にある国家の治安は一向に上向かない。日本もそうだろう。
 国旗の掲揚、国歌の斉唱のときに教職員の規律(起立)を義務付け、違反したものは免職にするとどこぞの知事が述べた。強制させることは好ましくない、という天皇陛下のお言葉を引くまでもなく、問題の大きすぎる条例である。起立を強制させれば全職員に国旗や国歌に敬意を払わせることが可能だという考えなのだろうか。現代の踏み絵というのか、そんな手法は問題の解決方法としてふさわしくない。視野狭隘の無能知事を抱えるのは東京だけではないようであり、もはや全国的な苦悩である。厳罰へと安易に走ってしまうのは、職員相手のみならず大衆に対しても説く能力が著しく不足しているからである。

2011/05/16(月)   地ビール

 日本のビールは基本的にラガーである。ラガーというのは下面発酵のことを意味しており、商品名のことではない(K社のラガーも良いけどね)。他にも日本で一番売れているとされる某ドライビールなどもラガーである。日本の4大メーカーから出されているビールはすべてラガーであり、それ以外の商品などない。
 しかし以前この欄で紹介したように、世界ではいろんなビールがある。前回紹介したのはエールビールであるトラピストのシメイであるが、あれもおいしい。ラガーとの違いは、エールは上面発酵させていることである。ラガーのような苦味もなく、すっきりとしている。個人的にはチーズとよく合うと思っているが、肉に合うと思っている人が多いようである。
 しかし世界のビールといえばやはり裾野が広い。やはりラガーであるトゥイーズニューも好きである。どうやら自身には日本のビールがあっていないだけなのかもしれない。たとえばサントリーのウーロン茶が微妙に苦いのであれがウーロン茶と思っている人が多いのだが、中国や香港などでウーロン茶を飲めばもっとすっきりしている。それと同じで、日本のビールは全般的にあの苦いビール味なのだが、世界ではそうではないのである。果汁入りビールなんてのも結構あるしね。
 岩手でちょっとしたボランティア活動をしていたのだが、そのときに銀河高原ビールを数本いただいた。飲んでみると軽いのどこしで程よい味である。軽井沢のよなよなエールは個人的にはいま一つだったものの(ごめんなさい)、これはよい被災地支援になりそうだ、ということで一ケース24本をを注文。先方の用意した陥穽にはまったのかもしれないが、それもまたよしというものだ。

2011/05/15(日)   事件の爪痕

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 あまりに暇だったので東京に出かけた。いつもであれば東京週末フリー切符を利用することにしているのだが、利用日当日は販売していないという欠点がある。そこで仕方なく、車と電車を併用することにした。
 とりあえず高速で八王子まで向かう。これ以上都心に入ると駐車場料金が高いうえに(安いところもあるのだろうが)高速料金も別料金になってしまう。駐車場も八王子ではなく、敢えて一駅離した西八王子。ここなら丸一日とめておいても800円で済むからである。東京都内を広く巡るのであれば大月下車でホリデーパスを買うのが良いのだけれど、今日はそんなに散策する予定はなかったのでこれぐらいでちょうどよいのである。
 そして中央線に乗り、一駅乗って八王子で下車、金券ショップで京王の土休日回数券とメトロの土休日回数券を買う。京王には久し振りに乗車したが、車内の暗さに驚いた。そう言えば自身が子供のころはトンネルに入る直前にしか電気がついていなかったのに、いつの間にか常時点灯するようになっていたのだった。混雑区間に入り電気が点灯するようになっても、電灯が何本か抜かれていてやはり暗い。それでも気にならないレベルであり、やはりもともとが贅沢すぎたということなのだろうか。
 末広町で降り、購入したい商品を探すものの、値段が高すぎたため結局見送ることに。それにしても歩行者天国が復活したのはよいけれど、以前はこんなにものものしい警備だっただろうか。自転車を見かけただけでも何人もいる警備員が一斉に笛を吹き注意していた。自由を守るためにこれだけの規制が必要なのかと思うと悲しくもなるが、致し方ないと受け入れるしかないのだろうか。

2011/05/14(土)   消える比喩

 少し前まではサラリーマンは奥さんのことを「我が家の大蔵省」などと言っていたりしたものだった。本物の大蔵省が金融財政分離で解体されたのは浪費をひたすらし続けたからだが、それと比して自宅の大蔵省の財布の紐が固いのは勤労者世帯の悲哀である。
 しかしだからと言って、今では「我が家の財務省」などと呼んでいるかと言えばそうではない。そんなことばを使っている家庭もあるのかもしれないが、個人的には一度も聞いたことがない。通産省や厚生省や自治省など、言い回しなどで旧省庁名のほうが今でも残っているところは少なくないと思う。
 その一方で、行政文書になると新呼称に統一しなければならないので、当然新省庁名が記載されている。たとえば紙幣を取ってみると昔は大蔵省造幣局製造だったのに、新紙幣になってからは当然財務省印刷局製造あるいは国立印刷局製造になっている。
 手元にある2000円札を見てみると、大蔵省印刷局製造となっていた。なんともまあ古い時代のものが残っていたものである。紙幣の寿命は2〜3年なのだから、もうとっくに2000円札とて財務省のものに変わっていないとおかしいわけだが、そうはならないというのは使われていないことを如実に示すものだろうか。2000円札というもの自身がいまでは比喩の一種になっている気持ちにもなる。

2011/05/13(金)   16周年

 いつも開業記念日に表紙を差し替えることにしている。しかし今年は3月にも書いたように、唐突に変更したいと思ってしまった。それだけなら例年通りだが、例年と違って実際に変えてしまった。そういうわけで今年は仕様変更は一切ない予定である。
 更新する時はして、しないときは全くしない。実にいい加減で気楽なサイトである。それでも年月が長いというだけでデータ量が膨大になってしまった。無駄な画像の多さがすべてだけれど、テキストの分量も負けてはいない。動画を10個ぐらいはおけそうな容量があるけれど、実際のところおいてあるのは7年前の動画一つきりである。
 容量がそれなりにあっても、動画をアップロードするとなるとそれはそれで困る。バックボーンが細いからあんまり負荷をかけたくないのだ。そうするとニコニコ動画やユーチューブに投稿するという形になるのだろうか。しかしどうにも外部サイトを使う気にならないのが実態であり、ミクシィこそ使っていてもニコ動もユーチューブも使っていない。
 それでもせっかくの記念日が近づいているので、なんらかのことができればいいなぁ、とは思っている。しかし思ってはみたもののやることが・・・・。今更新しいコンテンツを作ろうとは思わないし、荒らし排除に汲汲としている毎日である。平穏なのがよい便り、ということにしておこう。

2011/05/12(木)   農政に全力を

 開幕前に騒動があったせいか、プロ野球というものがどうでもよくなってしまった。ああやってるな、とは思っても、結果すら知ろうとは思わない。いまや国家存亡の時である。第三次産業より第二次産業、そして第二次産業より第一次産業が優遇されるべき時である。野球なんかをしている場合ではない。
 同じことは相撲に対しても思う。五月技量審査場所などというものが行われているそうだけど、ふーんとも思わない。穴のあいた番付表がどうにも不自然だ。本当に残った全員がガチの力士なのかと聞かれても、100%違うと断言できる。大相撲がどこに向かおうとしているのか分からなければ見ても意味がないだろう。
 電気が足りないというのが詭弁だというのはよくわかっている。原発を止めるとうんぬんなどと言っても、原発を作るのと同時に水力火力を閉鎖しているだけだからなのだ。核燃料税はずっと本則の半分に抑えられてきたのだし、どれだけ国を挙げて原発を優遇してきたのか、分からない。しかも某新聞社は野球のために電気を浪費するなどと平然と述べたのだ。
 製造業の稼働を犠牲にしてまでレジャーを楽しむというのは本末転倒もよいところだろう。外貨を獲得できない社会にそんな贅沢が許されるはずがない。同様に、農作物の自給が非常に困難な時代に突入しそうである。当然製造業の稼働より農政のほうが優先されてしかるべきである。衣食足りて礼節を知るというけれど、食がなければ何にもならない。優先すべきものを間違わないでほしい。

2011/05/11(水)   不買運動が最善の抗議

 小泉政権によって100年安心と言われた年金改革は、たった1年で頓挫した。もっとも、官僚依存の政権がやることなどこんなことばかり。日本の年金は積み立て方式ではなく賦課方式なのに、なぜか積立金がある。しかもそれを100年かけて取り崩すことも決まっている。積立金がなくなる世代(いま生まれたばかりの子たちの子どもが年金をもらうぐらいの時期)が最も悲惨になるのは目に見えている。
 もっとも、目に見えていても今さえしのげれば良い。まさに官僚政治というのはこういう無責任主義で成り立っている。現受給世代は報われているが、その後はどんどんと減っていく一方。その積立金も全額が給付に充てられるのならばまだ救いもあるが、厚生官僚が無駄な箱ものを作ったりカラ出張で浪費したりとろくなことがない。もっとも、官僚と政治家による無駄遣いがなければ、日本の年金制度は変革する必要もなく、穴もあいていなかったのだが。
 静岡の隣、南足柄市の茶葉から放射性セシウムが検出されたという。その前には静岡産のほうれん草がシンガポールで輸入停止処分にされている。まさに官僚政治そのもので、どれだけ汚染されていても公表しないことで事態を切り抜けようとする。基準値を引き上げることでごまかそうとする。世界の標準的な基準値の100倍の暫定基準値に一体何の意味があるというのだ。そして国を信用してガンになったところで、国は原告の寿命を早く尽きさせるべく、愚劣な裁判引き延ばしに走る。裁判所も当然グルで、国の瑕疵を認めることなどしないだろうし、何度も高裁差し戻しなんてことをするかもしれない。
 福島では校庭活動が問題になり、20ミリシーベルトだなんて規制値を作ったけれど、どんなに譲っても5ミリシーベルトと述べた学者が抗議の辞任をした。似たようなことは以前もあり、10年以上前に今回のような原発の大地震被害の可能性を提起した神戸大の先生が抗議の辞任をしていたりした。発表しないから安心、ではないのだ。くどすぎるほど発表をし、実被害の生じそうな食べ物はすべて東電と経産省職員に購入させることで、国民の口に入ることを断固阻止しなければならない。

2011/05/10(火)   車検

 自動車に乗って丸三年が経ってしまった。二輪派だった自身が車にはじめて乗ったときの感想は「かったるい」「面倒くさい」だったのに、なんだか生活必需品になりそうな勢いである。贅沢も過ぎるというものか。
 そんなわけで車検である。バイクの場合は車検の手続きもほぼ決まったようなものだが、車の車検というのはいろんなところで宣伝がある。しかもそれらの違いが全く分からないと来たものだ。面倒くさいのでディーラーに丸投げである。
 とくに支障があるわけではなく、何か言われたかと言えば走行距離が少ないと言われたぐらいだった。普通の人って年にどれぐらい乗るんだろう?バイクのころは1年で25000kmというところだったけれど、いまやそれの10分の1ぐらいだろうか。そういえば保険もいろいろとあって、走行距離が短ければ安くなるとか聞いたことがある気がする。
 そんなわけで、保険のこととかユーザー車検?だとか、自身が知らないことばを根掘り葉掘りディーラーで聞いておく。相手はもう「ああもう面倒くさいやつだな、そんなことも知らないのか」って感じだったけれど、本当に知らないのだからどうしようもない。そもそも車に乗る前まで、自身が知っている車種と言えばマツダのMPVとホンダのフィットだけだったぐらいなのだ。2年後の車検までには少しは進歩しているだろうか。

2011/05/09(月)   ラーディン殺害の謎

 個人的にはイラク大統領だったフセインが生け捕りにされたことは驚きだった。もちろんイラク戦争においてはイラクの劣勢はアメリカによる印象操作がなくても明白だった。世界的に米軍のプレゼンスが低下してくるとアメリカは窮地に陥る。隷属外交の日本からすらも金を引っ張ることが難しくなる。最新鋭兵器がイラク大統領府を正確に襲撃している映像は編集されたものかもしれないが、恐ろしいものであった。
 しかし米軍が勝利するということと、フセインの処遇を米軍が決められるということはイコールではない。あれから10年近く過ぎても戦争の大義名分が出てこない時点でフセインには何の罪もないことは分かり切っている。生かしておいては米英にとって不利な事実や証言が飛び出さないとも限らない。銃撃に来た兵士に対し「イラク大統領フセインだ、撃つな」と述べたが、窮地にあっても実に老獪というか、聡明な大統領であった。
 ビンラーディンは抵抗したため銃撃戦の末に殺害したとされたが、人工透析が必要な同氏が強固な抵抗を取ることは考えづらい。疑義が呈されるとアメリカは銃撃戦の末、という表現を取り消した。それでもおかしいと思っていたら、無抵抗なのに銃殺したに変わっていったのだから何をかいわんや、である。生け捕りにすればいろんな情報を聞き出すことも可能になり、徹底的に情報を洗い出したほうがアメリカはテロとの脅威から遠ざかることができただろう。それなのにそうはしなかった。いや、できなかったのだ。
 もし捕獲していれば、そののちフセインのときと同様に裁判をしなければならない。法廷で米軍にとって不都合なことが多く明るみにでてくれば、殺害することが難しくなる。フセインのときも出来合いの裁判で中東の顰蹙を買ったアメリカである、同様の事態を招くことは想像に難くない。それでも裁判で死刑にするというのは目に見えており、だったら最初から殺害したほうが好都合である。土葬が常識のイスラム教において水葬にしたというのも遺体が見つかると不都合なことがあるためなのだろう。
 一連の騒動はいかにアメリカが自分勝手な国であるかをよく露呈した。日米同盟を金科玉条にしている日本人も見かけるが、はっきり言って愚か以外の何物でもない。世界におけるアメリカのプレゼンスが低下の一方だからこそ、あれほど存在感発揮に必死なのである。日本が窮地に陥ってもアメリカには救うメリットもないし、そもそも救えるだけの力もない。官僚の愚民化政策に騙されている国民が多すぎて溜息も止まらぬというものだ。

2011/05/08(日)   売国外交

 ウィキリークスがアメリカの公電などを大量に暴露した。ものによっては関与した一般人を危地に陥れるものもあり迷惑な売名行為だと思ったものの、流出された情報に捏造があったとは聞かない。そして、アメリカでは結構な騒ぎになったというのに、日本では内容に関心を示す人は少ない。
 もちろん流出した情報には日本に関する情報も多く含まれている。膨大な情報を3カ月かけて朝日新聞が裏付けを取るなどし、公開した。内容は驚くべきものばかりであり、高見沢将林防衛政策局長、薮中三十二事務次官、梅本和義北米局長、斉木昭隆アジア大洋州局長といった面々がアメリカに利益便宜供与していた実態が明らかになった。個人的に最もおぞましかったことは民主党政権による外交を認めず、外務省が米政府と勝手に外交交渉していたことだった。
 国民が選ぶことのできない官僚が勝手に政治をする。公金着服と権力闘争以外何もできない愚かな官僚がエリート気取りで国民を無視した政策を取るというのは原発も同じ、教育政策も同じ、ほかにも医療政策、年金政策、すべてそうである。アメリカのために数兆円を拠出し、その一部を官僚が着服していれば誰がどうみてもバラマキの極限ではないかと思うが、今のところ朝日以外にそうした論調を立てている全国紙は見られない。読売や日経は官僚政治が正しいと説き、産経はその上に警察検察の権限を強化し、思想統制するべきだとの論調である。
 いかに政治主導が難解なテーマであるか、よくわかるというものか。現状でも異常な権力を誇る霞ヶ関がこれ以上の力を持てば、もはや戦前に逆戻りである。そうした国を読売日経産経の全国紙3紙が目指しているという事実に戦慄を覚えずにはいられない。

2011/05/07(土)   八百長

 大相撲の例の事件の決着がどうなるのか全く見通せなくなってしまった。なにか見えない強力な力が働いて強引に収束させられるかと思いきや、関与したとされる力士が増える一方。それなのに上位陣が揃って潔白というのは奇異に映るし、なにより当事者たちは全員否定しているのである。物的証拠があるならよいが、それもない。理事会の方針というのはどうなっているのか。
 個人的には八百長があろうが全然構わないと思う。むしろ、昔から大相撲というのはああいうものだと思って育ってきたのだから。スポーツではなく興行であり、あれが見られなくなることそのものが大相撲の消滅を意味しているようにすら感じる。強く当たって流れでお願いします、というのが事実かどうかわからぬが、大相撲だけでなく他の世界でも行われていそうなことだし、特に不思議なこととも感じない。
 否認している力士がほぼ全員引退勧告に応じたというのも奇異である。角界のために犠牲になるのだ、と述べていた力士もいたけれど、なぜ後ろめたいこともないのに引退なのか。むしろ角界に残って盛り上げることのほうが角界のためになるというものだろう。口止め料として退職金を支給することでごまかそうとする理事会と、生活のためのお金で手を打つ力士が取引したということだろうか。むしろこういう構図が八百長そのものなのでは、と思えてくる。
 

2011/05/06(金)   人口増

 少子高齢化が進む日本の人口はもはや横ばいの域に達している。経済成長もなく、人口増もなく、今後待ち受けているのは税金の増額だけときたものだ。本当にこのような国家像でよいのか疑問に思う。
 しかしオーストラリアに住んでいたころは実に多くの子供用品店があって、驚いたものだった。洋服もそうだし、おもちゃなどもそうである。多くの家庭で3人以上の子供がいて、野菜の販売は1kg単位、牛乳は3リットルなんていうべらぼうな単位で売っている。典型的な大家族向けスーパーばかりで、しかもそれが拡大していく方向だったから驚いたものだった。はっきり言って単身世帯にとっては負担が苦痛以外の何物でもないだろう。
 人口が増えていく社会というのは実によいものであると実感する。そういえば日本の年金制度はいまだに出生率1.7前後を想定しているのだと思ったけど、もはや1.2前後にまで沈んだまま。オーストラリアぐらい人口が増えていけばそんなことに頭を悩ます必要もないし、食料品や石油ガスが不足すれば輸出をストップすればよいだけである。例えばいまオーストラリアではLPGは1リットル60セント前後だが、日本向けには破格の10セント前後で輸出しているのだから。
 世界の人口が70億人になると発表された。今後、中国もインドもどんどんと人口が増えていけば、食糧や鉱物や原油などの第一次産品の輸出はどんどん減っていくのだろうね。そうすれば日本の加工貿易モデルというのは根幹的に成り立たないということになりはしないか。節電がどうこうと騒ぐのは結構だけれど、もっと大きな問題に目を向けるときではないのだろうか。

2011/05/05(木)   コンピュータ将棋選手権

 大量の電気を消費するため気をもんでいたが、予定通りコンピュータプログラムの日本一を決める戦いが今年も行われた。プログラムの日本一とはいえ、数年前まではプログラムの日本一とアマチュア(人間)の日本一がエキジビジョンマッチを行っていて、プログラムの快勝が続き、もはや行われなくなったという経緯がある。プロにどこまで肉薄しているのかにも興味があるが、まずはそのためにはプログラム同士の真剣勝負が必要である。
 昨年物議をかもした「稲庭将棋」。全く攻めることなく、プログラムの欠点をついて時間切れで勝つというソフトである。典型的な対局例はこの通りなのだが、歩を全くつかず、ひたすら自陣を固めて勝つ。プログラムに勝つということしか考えていないが、これも斬新な思想ではあった。実際、決勝戦でもこの戦術を取るプログラムが現れたのであるから。
 さて、決勝に残ったのはbonanza、ponanza、YSS、激指、習甦、GPS将棋、ボンクラーズ、Blunderの8つのソフトである。このうちbonanzaとponanzaはすべてをしらみつぶしに読むことを特徴としており、他のソフトはそのような全探索ではなく、可能性のある手をより深く読むことを特徴としている。bonanzaは豪華なクラスタで、CPU17個、メモリ300GBと尋常ではない構成である。最も質素な構成の習甦はCPUにcore-i7 980X(3.33GHz)、メモリは3GBである。こういうたとえが適切かどうかわからぬが、サイボーグと赤ん坊が対戦するようなものではないか?とさえ思えた。
 しかしマシンパワーが必ずしも重要とは言えないというのも例年の結果である。今回優勝したのはやはり質素なボンクラーズ。bonanzaと同じく5勝2敗同士だが、大会規定で優勝となった。3位には習甦。稲庭アルゴリズムと対戦し、引きわけがひとつついてしまった昨年優勝の激指が4位に甘んじるという結果になった。YSSは2勝5敗で最下位となったが、20年連続で最終決勝リーグを戦っているというのは実にすごいもの。来年は巻き返しが見られるだろうか。

2011/05/04(水)   再開発

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 昔は運賃改定と言って、だいたい3年ごとに鉄道運賃は上がっていった。いつも値上げ実施前日になると定期売り場が長蛇の列。1日違いで1割前後も料金が変わってくるので当然のことだったけれど、もはやそんな光景も忘れられている。デフレの日本は物価上昇から実に縁遠い存在になってしまったものである。
 デフレと同時に少子化も進行している。鉄道各社からすれば客単価は上がらないわ、乗客数は減少するわのダブルパンチである。そんな中、電気料金は容赦なく上がっていっている。鉄道各社の自助努力のおかげで鉄道運賃は上昇せずに済んでいるけれど、経営努力の限界が来たらどうなることかと気をもんでいる。
 そして少子化ということは、運行本数が減るということである。たとえば南海ひとつ取ってみても、かつては高野線の各駅停車が4両だなんて、考えられなかった事態である。関西では近鉄南大阪線と並んで実質競合のない路線であり、10両編成も真っ先に走った路線なのだから。本線も運行本数が減少しており、20年前が1時間あたり11本であり15年前には同15本と増えたのに、今は同12本と昔に戻りつつある。
 電車が減るということはホーム数が少なくてもよいということであり、JRは大阪駅のホームをひとつ減らしてその跡地に百貨店を作った。デフレで百貨店の売上も伸びない時代なのに、競合する大丸や高島屋の思いはいかなるものだろうか。物珍しさでいまこそ集客できても、これが長続きするような事態が想像できないのが悲しい。良い意味で期待を裏切ってくれるだろうか。

2011/05/03(火)   根来寺

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 織田信長の傘下に滝川一益という武将がいたけれど、彼は甲賀忍者出身の武将である。ほかにも水野勝成、和田惟政と言ったように忍者出身の武将はいて、諜報や工作活動などが重視されていたことがうかがい知れる。当時は宗教や茶道や医学なども重要で、朝山日乗や安国寺恵瓊のような宗教家、千宗易や松井友閑と言った茶人も政治を裏で動かしたり、最終的には大名やそれをしのぐ存在になったりした。
 忍者と言えば伊賀、甲賀といったあたりが有名であるが、ほかにも戦国時代は黒はばきだとか透波(すっぱ)だとか山くぐりだとか外聞だとか、実にいろんな集団があるものである。織田信長は独自の 「饗談」 という名前の忍者集団を率いていて、能力が高く各地の攻略の際に障害となる他の忍者軍が実に邪魔であった。長男の信雄に二度にわたり伊賀に侵攻させ、ついに伊賀は壊滅、その残党は根来や雑賀などに散っていった。
 根来も雑賀も紀伊、現在の和歌山県である。雑賀は和歌山市雑賀崎(和歌の浦付近)、いわば海よりに拠点を構えるのに対し、根来衆は岩出の山奥を棲家としていて、僧兵を抱えて外敵に備えていた。写真はその根来寺の奥の院である。忍者の里らしく、いかにも鬱蒼とした独特の雰囲気。なんとも、伊忍道というゲームで出てきそうな雰囲気である。
 桜とつつじで有名な根来寺だが、さすがに5月上旬とあってはどちらも見ごろではない。人通りはほとんどないものの、駐車場には20台余りの車があり、墓参にきていた家族連れがいたようだった。こうした霊地のようなところがそのままに残っていることを嬉しく思う。

2011/05/02(月)   テロの自作自演

 意外なのかもしれないが、戦争は犯罪でも何でもない。武器を持たぬ民衆にとっては大迷惑な行為でしかないが、それを罰するとなると別問題になる。もちろん戦争には勝った負けたということが表れるので、それで判断するしかないのだ。
 10年前。旅客機がニューヨークのビル街に突っ込んだ映像はいまだに衝撃的で脳内に残っている。あれからもう10年になるのだ。ビンラーディンが犯行声明を出したなどと言ったが、あれも偽物かもしれない。アメリカならそれぐらいのことは容易にやりそうなことだから。テロとの戦いと言ってアフガン、イランと戦端が拡がったものの、明らかになったのはアメリカの劣勢だけであった。しかしそれはまだかわいいほうだったのかもしれない。大量破壊兵器や人道などを大義名分としたイラク戦争では、戦後に米軍が必死になって行ったのは兵器の発見でもなく奴隷や罪人の解放でもなく、油田の鎮火だったのだから。
 ビンラーディンを殺害した、と緊急報道があった。なにしろあれに喜ぶアメリカ国民のことが心底理解不能である。テロの温床となったのは何なのか。根本的にはアメリカの世界に対する立ち振る舞いに対してであって、それは全く変わっていないのだ。アメリカの軍事力と正面切って戦えるのはロシアしかいないが、それでもゲリラ戦術などを取ることでそこまでのものがなくても戦える。ビンラーディンは米軍を釘付けにし、それを証明した格好になった。アメリカのテロに対する脆弱さは何一つ変わっていない。
 ベトナム、湾岸、中東とそこらじゅうでちょっかいを出すアメリカだが、むしろアメリカの行動そのものが世界を不透明にしているような気がしてならない。見方によってはアメリカこそテロの元凶であり、単純に被害者だとは思えない。テロとテロとの戦いはまだ始まったばかりだ。

2011/05/01(日)   難解



 大阪には難読地名が多いと言われるが本当にそうだろうか。地名の難読は当然のことで、どの地域でも読めないものは読めない。いきなり冠着や姨捨と言われてもピンとこないだろう。加太や桂川みたいに場所により読み方が変わる駅も存在するし、むしろ難しくて当然であるという認識をしている。
 大阪で難読と言えば喜連瓜破。八戸ノ里、中百舌鳥、十三、柴島、新祝園、私市なども定番である。出戸や南方などは当たり前の漢字ながら難しい。市町村名とかぶるが、枚方市、交野市といった駅名も意外と難しい。阪急は兵庫県で難読が多く、雲雀丘花屋敷、売布神社、清荒神、小林といった手ごわい駅がある。インチョンとは間違えないが仁川という駅もある。
 閑話休題。東京では貨物路線を旅客線化した武蔵野線という路線があるが、それと同様に貨物線を複線電化して開通したのがおおさか東線である。開通後もずっと乗っていなかったものの、東北新幹線もすでに新青森まで乗ったことだし(いつの間に?)、ここもとりあえず乗りつぶしておくことにした。久宝寺という駅名も難読かもしれないが放出も難読である。
 路線そのものの印象は昼ごろに乗ったためか旅客数も少なく、JR河内永和とJR長瀬で多少の乗り降りがあったかな?という程度。沿線も何度となくみている光景ばかり続いたのだが、それでも眺める方向が東西方向から南北方向に変わっただけで随分と違って見えたものだった。これで未乗区間は博多=新八代の九州新幹線のみ。今後の宿題と言ったところだが、はたしていつになったら達成できるやら。

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