せっきーの世紀末

/(^o^)\日本ヲワタ/(^o^)\

2011/03/31(木)   一部のエゴ

 福島の原発は、名目上は財政難でとくに産業もない双葉町などが誘致して作られたもの。もっとも佐藤栄佐久は原発の新設どころか運転再開すらなかなか認めなかったので、国(霞ヶ関)のためにならないとして逮捕された。知事が変われば多額の補助金で過疎の町を釣ることなど容易だったからである。
 原発が安全なら東京湾に作ればよい、と散々述べている。もちろんこのことは石原慎太郎の「新潟の道路は東京の税金でできている。東京湾に原発を作ったっていいんだ。」という発言を受けてのものである。東京にはほかにも皇居があるし、あれだけの莫大な土地を有効活用しない手はない。安全なら皇居に作れという議論が持ち上がってもよさそうなものだ。
 しかし僻地にできるのはよいが、都会に作ることは認めない。そんなエゴを強く感じるのだが、なんともこういう感情は原発に限らず、普段経験しているものだった気がする・・・と思った。そうである。鳩山が首を切られた沖縄米軍基地がそうである。
 橋下知事は沖縄の大きな負担を理解し、関西での受け入れも考えないといけないと述べたけれど、そのような理解を示した知事はごく少数。米軍基地は自分の町には厭だけど、日本のどこかには必要・・・なら沖縄のままでよい!というようなものである。
 原発がなくても電力需要が賄えるように、米軍基地がなくなっても特段困らないのかもしれない。もちろんそんな話は米側からはするわけないのだから、日本側から持ちかけなければどうしようもないのだけど、撤退を求めようとしただけで首相が首をとられるのである。なんとも、日本全体がアメリカのエゴを押しつけられているという気にしかならない。宗主国と隷従国の関係というものだろうか。

2011/03/30(水)   事実は何処?

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(ドイツのサイトによるヨウ素131のシミュレーション。偏西風にばらまかれ、太平洋は死の海だ)

 福島原発は耐用年数を過ぎて40年以上も動いてきた。なので、最初の地震のときにすでに格納容器、圧力容器とも破損していたのだろうね。だからこそ安全委員長と首相が翌日に査察したけれど、なんとも誠意のない他人ごとの会見のように映った。あの地震がなければ外国人献金の問題で首相が退陣を迫られていたことは明白である。なぜ未曽有の大惨事にこの愚かな首相がトップなのかと呪いの言葉を吐きたくなったものだった。震災をパフォーマンスに利用しようとしているように映るシーンもあり、怒りの行き場に困った。
 パフォーマンスといえば、昔は新興企業の株価操作の典型的な手法だった。プロ野球を買いますと言ったりテレビ局を買収したと言ったり。都合のよいニュースは証券取引中になされる。株価がすぐに反応するからである。しかし不祥事など、都合の悪いニュースはいつも夜中の2時3時。東証は改善を指導したが、その企業のIR姿勢は改善されることなく上場廃止になった。
 原子力保安院の幹部が最近会見を始めるようになった。最初は黒子だったとかのんびり述べていて、今日もまるで他人事のように圧力容器が破損している可能性がある、などと述べていた。あの誠意のない会見も許せないが時間帯も許せない。2週間以上も前に起こったことを、なぜ今頃、しかも夜中に会見して報じるのか(答えは、翌朝の新聞に間に合わないから)。いまの政府の対応には疑問符ばかりだが、東電と原子力保安院がすべての責任を政府のせいにしようとしているのはもっと異常である。現野党の最大会派も、かつて自分たちが政官癒着で金に物を言わせてごり押しした原発政策を反省しようともしない。東電の擁護こそしないが、批判もしない。赤字でも何十何百億も献金してくれる大事な献金元なので、大事にしたいのだろうね。東電を必要以上に叩けば他も献金してくれなくなるという現実的な問題を抱えている。
 圧力容器は無事、無事と言い続けてきたのに、空からの冷却作戦はひた走りに続行された。この時点で何か隠しているなというのは想像できたけれど、海外の最悪シナリオを見れば県内まで死の土地になっていたりする。情報隠蔽は国内ではごり押しできても、国外では通用しない。アメリカ産の狂牛病の肉を、日本人が頑として買おうとしなかったように(小泉と前原を除く)。建設後に断層の上に位置することが判明した美浜、M5の地震でも重大な「事象」を起こした浜岡などをはじめ、どこの原発も第二第三の福島にならないとも限らない。そしてまた今夜、遅くなってから恐ろしい情報が開示されるのかと思うとやっていられない。

2011/03/29(火)   円安の恐怖

 十割そばや八割そば(八二)そばというものがある。それぞれ、そば粉を100%使用したもの、そば粉を8割使用したもの、という意味である。ちなみに自身もそばを打ったことは何度かあるが、十割を打つのは非常に難しい。つなぎがないと短時間でテキパキやれない限り、生地がパリパリになってしまうのである。
 そば粉の価格が上がっている。2年前には倍以上にまで騰がり、45キロあたり20000円を突破した。去年は落ち着いたもののそれでも18000円前後で推移している。そば粉は中国などからも輸入しているけれど、今年は45キロで10000円近くにまで上昇、今後の沈静化も見込めないだろう。県内のそば屋は軒並み1割以上値上げしているが、それでも所得がそれほど伸びるわけではなく、苦しい経営を続けている。
 日本を一番ダメにしている存在は官僚だが、第二は全国紙である。そんなことはもはや世界では常識だが、新聞記事に毒された自称知識人は洗脳されていることにも気づけない。たとえば円高になるたびに「日本経済に深刻な打撃を与える」などと煽るが、日本の外需依存は2割に満たないというのは何度も書いていること。円高になれば大手スポンサーである自動車会社が広告を減らすので、新聞社の経営上、非常に都合が悪いのである。いまだに東電の全面広告を載せている新聞社に東電を批判する記事など、書けるはずもないだろう。
 円が大きく下がり、今後も続きそうな雲行きである。農作物や精密部品だけでなく、鉄鋼のような単純製品まで放射能汚染のため輸出できなくなってきている。日本は加工貿易国であり、輸出ができなければ外貨を獲得できないわけであり、円が安くなったところで何の意味もない。むしろ食糧、資源をはじめ、輸入価格が軒並み上昇し、さらに経済は低迷するだろう。スポンサーに阿る全国紙が日本を現在進行形で食いつぶしている。社益のために国益を犠牲にするなど、日本以外のメディアでは考えられない。

2011/03/28(月)   自販機

 職場の送別会があった。全体の送別会は中止になったので、小ぢんまりとした場であった。あろうことか久々に飲んでしまった。職場で飲むのはおそらく1年半ぶりである。栄転が決まった上司をはじめ、すっかり皆ごきげんであった。
 その後自転車に乗って帰ろうとしたが、どうやらパンクしている模様である。おかげで飲酒運転にならずに済んだが帰るのは大変である。なにしろ自身のみ他の人たちと帰る方向が違うのだ。タクシーで帰れば4000円ほどかかろうか。なんだかそこまでする気になれず、電車と徒歩で帰ることにした。
 駅でぼーっと電車を待っていると自販機が消灯しているのに気づいた。なんでも節電のためなどと書かれている。ほかでも同じなのかと思い外に出ると、アイスクリームの自販機を除いてすべて消灯営業されていた。消灯はもちろん大切だが、消灯よりも営業中止にしたようがよいのではないか。自身が幼いころ我が家は自販機を抱えていたけれど、売上に比して消費電力はかなりの金額になったように記憶している。今後電気代が高騰していけば採算ラインに乗らない自販機も増えていくだろうから、自然に縮小していくかもしれないが。
 思い返せばシドニーやメルボルン近郊で自販機を見かけたことなど本当に稀有である。もちろん自販機ごと盗まれるというような犯罪が結構な割合で起こったからなのだが、やはり同じように丸ごと盗まれるATMの設置数は減らないのである。とは言え自販機がなくて困ることもさほどない。飲みたければ日本で言う個人商店で買えば済む話である。自販機の種類はいろいろあるが飲料もたばこもアイスクリームも、なくなったら即死してしまうというようなものではないと思うのだが。

2011/03/27(日)   洗脳の果て

 春分も過ぎたというのに寒い日が続く。被災地にとってはつらい気象条件であり、苦悩苦衷をお察しする。県内は3月としては異例のマイナス7℃。すでに冬用タイヤをはずしてしまった車が峠道を時速10kmほどで運転していて、それでも事故が多発していたようだった。自身はタイヤをまだ履きかえていない。
 今後どうなるのか、と天気図をみてみると等圧線というものが引かれている。当然のことながらいびつで変な形である。枝分かれなどは原理上、起きようもないが、同心円や正楕円と言った綺麗な形になることもない。仮に一時的にそうなってもおかしくはないが、非常にレアなケースであろう。
 そう考えれば原発から20〜30kmという避難範囲が奇異に映る。風向きなどにより範囲が変わるから80kmほどは一斉に避難させておいて、全容が分かるにつれて避難範囲を狭めていくべきだったのかもしれない。日本の避難網は正反対であるし、どこが危険な地域なのかという情報も断片的にしか得られない。マップを作らなければ話にならない。
 原発事故で対応にあたっている現場の職員が残念なことに数名被爆したとのことである。原発がどれだけ危険かということをよく理解している保安院、東電の幹部などは現地に入りもしなければ近づきさえしない。その一方、そういう人たちは現場で作業に当たる作業員に対してひたすら原発は安全だと説いているのである。そういう教育を受け続けたからかわからぬが、被爆した作業員はあの大音量のアラームが誤作動し続けたと思った、と述べていた。洗脳教育の被害者であり、言葉もでない。
 原発は安全というのも洗脳の結果であるし、原発がなければ電力需要が賄えないという考えも洗脳の結果である。マスコミの報道も、原発の維持・拡大を秘めた報道であり、洗脳と言えようか。秋葉原事件の重要な点がすり替えられているのと同様、今回の問題の根幹はもっと別のところにあるのにすり替えられているのだ。危険な原発を大量に設置しなければ維持できないほど、首都圏は膨張してしまったということである。異常な膨張に歯止めをかけなければこの問題は解決するまい。現在の状態が正常という認識が最も大きな洗脳ではないか。

2011/03/26(土)   物資不足

 モノが足りない。いつも潤沢すぎるほどの在庫を誇っているような量販店もスーパーも空き棚が目立つ。水戸納豆など産地の都合でどうしようもないものもあるけれど、ほとんどは不安による衝動の買い溜めだろう。不急の購買は結果として復興の遅れにもつながるし、なにより無駄である。今日ゴミ捨て場に出されていたごみ袋の一つには、賞味期限が一昨日の菓子パンが5つも入っていた。こういう行動を自制してもらいたいものである。
 ガソリンも少ないため、電車で外に出かけた。1駅ですぐに対向特急とのすれ違い。それはよくあることだが、それに続いて臨時の貨物がやってくるという。陸運に占める貨物の割合はほんの数%。どういう風の吹きまわしなのか、と思ってみていると、ガソリン10車と物資20車を積んだ30両編成の貨物が通り過ぎて行った。さらにはもう1駅進むとまた臨時の貨物の待ち合わせ。今度はガソリン18貨物10の28両編成である。乗っていた電車は20分ほど遅れたが、特に急ぎでもないし、どうでもよいこと。定期列車が臨時貨物に抜かれるというのが今回の災害の大きさを象徴している。
 東北道などは復旧したと伝えられていても、やはり物資が足りないのだろうね。加えて言えばどこが災害支援物資の集積場所なのかが理解できないのが致命的。そのためガソリンなども前日から長蛇の列を作り、翌朝からの整理券のために奮闘しているとか。いったいいつの時代なのかと思わせるが、並んでいる車の半数ほどは10Lも給油しないうちに満タンになるという。言葉も出ない事象である。一部のスタンドはガソリンが半分以上ある車への給油は断っているそうだが、事態が事態だけに当然の措置だろう。そうしたらそうしたで、満タンのガソリンタンクからポリ容器に移して給油に来る家庭が続出しそうで怖くもなる。
 それにしても計画停電で太平洋側の運転の見通しが立たないためか、大阪や名古屋から日本海回りでいろんなものが東北へ流れているようだ。新潟を経て福島や仙台、秋田を経て青森や盛岡へと届くのだろうか。いざというときに別の物流経路が確保できるというのはやはり心強いものである。

(後日註:貨物は2台で1両とのことなので、20両前後の編成だろうか。)

2011/03/25(金)   異動

 春は異動の時期である。未曾有の大惨事を受け内定破棄や派遣切りが深刻化し、ありがたくない異動が増えそうである。一に雇用、二に雇用などといいながら、こういう事態に対して有効な政策が打てているように思えないのが残念極まりない。
 個人的には微妙ながら異動することになったが、それよりもなによりも直の上司がめでたく昇進した。同じ職位にあって何年になるのか、昨年も一昨年ももう昇進などと言われていたのに何も起こらなかったのだった。今年は空きポストが出ないこともあり誰も昇進を予想していなかったので衝撃である。暗い出来事が続く中、ささやかながら嬉しいことである。
 さて、自身も今後はどうなるのか、さっぱりわからない。業務の内容が従来のものに加えて新しいものが増える。新しい上司がどんな人なのかもわからないし、組織の全体像も不明である。しばらくはあわただしい時期が続きそうである。
 それにしてもこんな日に発表というのも微妙である。もう少し早くしてもらえれば引き継ぎなどもスムースにいくというのに。そんな愚痴をここに書いても始まらないが、未知の新しい年度はもうすぐ幕を開けようとしている。

2011/03/24(木)   予言?

 昔は破綻する企業のファイナンスを観察することが趣味であった。連れに「○○、あと2カ月以内に潰れるね」などと言うといつもふ〜〜んなどと言われたものだったが、いつぞやここに「なんであんなに彼の破綻宣告はあたるのかしら?」などと書かれてしまった。50社ぐらい書いた記憶があるが、今確認すると確かにほとんど全部潰れている。
 なんのことはない、実質的に破綻している企業を破綻から守っているものは何なのか。暴力団なのか自民党なのか、それとも海外のファンドなどの大株主なのか。その守っている存在がなくなれば、名実とも破綻するわけである。典型的なのは大株主が売り抜けた、という報告が出たとき。一方、ライブドアの場合は政治的な破綻であった。
 今度は東電が政治的破綻(国有化)の道を辿る公算も高いだろう。さすがに100%とは言えないが。それにしても東電は電力会社の中で最も財務体質の悪い企業であり、だからこそ去年、未曾有の大増資をしたのだ。今回のトラブルで株価が大きく下がったことだけをみれば典型的なMBOコースである。全く笑えない話だが。そもそも沖縄電力以外の電力会社の株を持つなんて真似は自身には絶対にできない。
 最近はむしろ今後の報道方針や将来の社説を予想するのが趣味である。表題だけみて、もう中身を読まなくても何が書いてあるか分かるときもかなり出てきた。社説をまとめはじめて10年ちょっと、これも長足の進歩のひとつだろうか。たまには各紙それぞれの特徴を秘めた、あっと言わせる社説を読ませてほしい。

2011/03/23(水)   金

 オリンピックの表彰式で、メダルを噛む仕草を見せる人を見かけることがある。あれは現在でこそパフォーマンスだが、かつてはそうではなく、金が本物かどうかを確認するために行っていたのである。天然の金鉱石は10%ほどの銀を不純物として含有している合金だがやわらかい。純度100%の金は本当にやわらかく、歯で噛むことにより歯形が残るほどである。かつては比重を計り歯で噛むことで持ち込まれた金が本物か否かを鑑定していた時期があった。
 ちなみに金メダルと言ってもいろいろとある。先に述べたオリンピックの金メダルは純金ではなく、銀メダルに6gの金をめっきしたものである。だから噛もうとしても歯形などつかないのである。それに対し、ノーベル賞などで贈呈される金メダルは純金である。だから噛もうとすればもちろん歯形がつくのだが、そのようなパフォーマンスをしている受賞者を見たことがない。もちろん噛めば凹むのであり、誰も試みないのも無理はないのかもしれない。
 その金の価格が高止まりしている。金めっきや金スパッタなど工業的な用途もあるが、現在の値上がりの背景にあるのは現金あまりを背景とした投機であり、加えて言えば貨幣の刷り過ぎによる現金価値の低下である。現金は利息を生むが金は利息を生むわけではないので、少なくとも利息分以上の価値が現在の金投資には求められているということになる。
 金と並んで投機対象となりやすい原油の価格も下がり始めたと思ったものの、また上昇に転じそうな印象である。被災地ではいまだ燃料の供給がままならず、県内でもディーゼル運行の車両はほとんどが燃料不足で運休を強いられている。もちろん原油の場合は利用する人が多いから上昇するという面もあるのだけれど、あまりにも上昇すると生活への影響が深刻なのである。なんとかなればよいのだが。

2011/03/22(火)   同じ失敗

 人間もいつも同じような失敗をするものである。それも失敗してから気づくのであるから困ったものである。ああそうだった、そんなことあったなぁ、と思ってももはや手遅れ。同じ成功に関しては記憶にほとんど残らないのに、同じ失敗というのはなぜか記憶に残るのである。これも人間の心理のひとつだろうか。
 みずほ銀行。第一勧銀、興銀、富士銀の合併で誕生した銀行である。頭取などの役員人事もいまだに三等分で旧態依然の銀行である。内部抗争だけは盛んなようで、合併のときもどの銀行のシステムを使うかで揉めた。効率化を目指した三井住友とは対極の動きで、合併後のシステムは時代遅れのものが採用された。
 その結果、統合直後にシステム障害を起こし、迷惑千万であった。利用していない自身は別に構わぬが、世の中にはほんの短期の資金ショートでさえ命取りという中小企業、個人事業主はいっぱいいるのだ。謝罪しても銀行の体質が変わらないのは役員人事などを見ていれば、というのは先述のとおりである。
 それどころか、またしても大規模システム障害を起こし、6日間もATMが利用できなくなる始末。なんともまあ、呆れるよりない結果である。勘定系のシステムは昨今のネット取引などが進展した結果としてかなり複雑なものになってきているのは事実だが、それにしても限度というものがあるだろう。三度目がないことを期待するしかないのだろうか。

2011/03/21(月)   ベーカーシート

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 鴬谷駅からみどりの窓口が消えたときは衝撃だった。綾瀬のような自社駅でないところならともかく、都内で窓口がない駅なんて考えられなかったから。最近では機械や電話で指定席券も手配できるようである。しかし音声でのやり取りもなかなか大変である。D席と言ったつもりなのにB席で発券されていた、なんてこともよくある。
 その昔、オンラインシステムが完備される前まで、あるいは完備された後でも四国などの簡易委託駅では電話でセンターに座席を問い合わせていたものだ。ダブルブッキングを避けるため、ABCDEのことをそれぞれエイブル、ベーカー、チャーリー、ドッグ、イージーなどと呼んで綿密に確認していた。しかし客相手に念入りに確かめようとする販売員は残念ながらあまりいないようである。
 久しぶりに新幹線に乗った。前回は500系ののぞみからの引退より前だったから、約2年ぶりということになろうか。その500系、惜しまれながらの引退だったがやはり車内は狭かった。座席は横幅も縦幅もどちらもほかの新幹線と比べて狭く、快適とはとても言えないものであった。スーパーあずさより普通のあずさのほうが快適なのも同様の理由である。そうは言いながら、自身はあずさ2号(始発)とあずさ35号(最終)以外では普通のあずさには乗らないので、ほとんどスーパーあずさを利用しているのだが。
 新幹線の座席はABCの3列とDEの2列、合計で横に5席並んでいる格好になっている。5つとも同じ幅に見える人もいるのだろうが、実はB席だけ横幅が広いのである。自身ぐらい肥満になると駅員氏は「グリーン車になさいますか」と聞いてきて、断ると無条件でB席を取られてしまう。いつの日か見返してやらねばなるまい。

2011/03/20(日)   リベンジの舞台へ

 めったに使わないテレビで、なんとなくNHKをつけてみた。地震関係に加え、最近は政治の報道も増えたように思うが、どこまで事実が報道されているのかわからないのでなんとも言えない、という感触しか持てなかった。農作物から放射能が出たというが、風評被害だけでも大変だろう。自身とて、健康に問題ないレベルだと国が言ったからと言ってどこまで信じられるだろうか、と思うものね。
 疑問を解決するには手持ちのガイザーカウンターで計測するしかないのだろうか、とも思うが、計測したところでその値がどれほど安心なのか危険なのかも分からない。放射性物質は身近なところにもあるわけだし、すべて疑ってかかるわけにもいかないし。いろいろ考えると思考が迷宮入りしそうになり、教育テレビにつけ替えた。
 そうしたら将棋トーナメントの準決勝、丸山=糸谷戦が放映されていた。にしては何か変である。放映時間は2時間(対局は1時間40分)あるはずなのに、なぜか40分も経たないうちに終了しているようである。まさか39手で糸谷勝ちで終了していようとは夢にも思わなかった。
 丸山の構想ミスもあっただろうけれど、糸谷の完勝と言ってよい内容であった。大阪大学の文学部4年生だと思ったが、今後は大学院に進むという。独特の哲学棋士の独特の指し回しに感嘆したのだった。かくして決勝は2年連続同じカード。糸谷のリベンジはなるだろうか。

2011/03/19(土)   致し方なし

 東京から八王子に行く時、一度新宿で降りると運賃が安くなる。大阪圏で言えばたとえば大阪から草津(滋賀県)に行く時、一度京都で下車すると運賃が安くなる。JRではこのように、乗車券を分割することでかえって安くなることがある。しかしJR以外の私鉄ではまれなケースで、京急の例しか知らない。
 先週、大量の乗車券類を手配したと書いた。その直後に地震が起き、現在に至るわけだが、一部の乗車券をご多分にもれず、安く買うために分割して買っていた。たとえば上諏訪→新青森と買うより、上諏訪→東京と東京→新青森に分けて買えば安くなるからそうしていたのである。もっと極端な例でいうと高岡から岡山までは8分割すれば最も運賃が安くなる。自身の乗車区間では6分割が最も安かったのだ。
 しかしこの現状である。とても旅行している場合ではない。そこで駅に行き、払い戻しを受けようとした。だが、一枚で買っていた場合は払い戻しが受けられるのに対し、分割して買った場合は後者(東京→新青森)しか払い戻しを受けられない。だって、東京までは計画停電などもあるけど、いけますよね?というふうに駅員氏に言われた。正論なので困ったものである。
 そういうわけで31枚すべての乗車券類を払い戻したのだが、半分ほどに手数料がかかり、合計で3000円ほどにのぼる始末。事態が事態だけに仕方ない。本当に復旧のめども立たない状態だが、状態は好転しているのだろうか。

2011/03/18(金)   不評

 英語が好きな人で、自宅でCNNなどを引いて観ている人がいた。CNNを引ける人はいいなぁ、と思いつつ、自身は低俗なテレビ番組がどうしても受け入れられなかったので、ずっとテレビを買わなかった。そういうわけでリアルメディアでブッシュの演説を毎日のようにダウンロードして聞いていたものだった。
 そのせいかブッシュのあのフロリダ訛りの英語を真似できるようになった。なにか即興を求められたときに何度かやってみたけれど、日本でやれば何のことだか理解してもらえないという問題がある。そして、海外でやると例外なく不評であった。
 しかし大統領が不評なのはブッシュだけではないのかもしれない。ブッシュ親子は歴代支持率でも相当低いほうだが、現職とてそれに負けないレベルである。先行する理念についていくだけの行動力が見られず、先日の大統領デーでも小規模ながらデモが発生したりした。
 リアルメディアをmp3に変換するというのは結構な手間であったが、いまや大量にポッドキャストを購読しており、CNNやABCをはじめ、無料でもかなりの番組を入手できるようになっている。3gpに変換して携帯で見て、mp4に変換してカーナビで流しているという状況である。日本の大本営発表では「ワガ軍ノ被害、軽微ナリ」という印象だが、携帯で流れるニュースは"This disaster may be out of range."(レベル7など振り切れるかもしれない)というものだから困惑してしまう。緊急事態への手当が先だが、本当に東電の幹部はどこに消えたのか。

2011/03/17(木)   名誉ある撤退

 国鉄時代、電車を止めることは恥とされていた。運行第一、運休論外。尼崎脱線事故もそれが遠因となって起きたようだが、ほんの2年前にもインドのムンバイの激しい通勤事情が報じられていて、司令部は電車の運転士に対しあのインド訛りの英語で「遅れている、急げ」などと指示しているのを目のあたりにしてしまった。どうも社会が歪んでいるように感じる。一方、99年の東海村の事故のとき、JRのある運転士は独断で電車の運転を中止し、それが表彰された。その際に壇上で、「昔の意識ならば恥でありできなかったこと」と述べられていた。それ以来、JR東日本では安全第一に舵を切ったように思う。先日の地震でも即座に終日運転見合わせを決定、都知事は「JR東日本の体質を絶対に許さない」などと激高していたが、強い余震の危険もあり、致し方ない判断だったのではないだろうか。
 1991年、美浜原発で細管が破断し、放射能を含んだ冷却水が日本海に流れ、炉が空焚きになるという事故が起こった。たまたま休日に来所していたベテラン職員が勝手に非常停止ボタンを押し大惨事を免れたが、この職員は当初、上司に強く叱責されたらしい。後日の検証では、非常停止ボタンを押すのがあと0.5秒も遅れればチェルノブイリのような炉心溶融の大惨事になっていたとのことである。福島ではその非常停止ボタンすら押せない(効かない)状態で、外部からの冷却が続いている。ずさんな日本の原発管理体制は果たしてIAEAを迅速に受け入れられるだろうか。酒井法子や小向美奈子が姿を消したときと全く同じようなことが霞ヶ関や東電本社でなされているように映るのは心外である。
 有事になれば延期したり縮小したり中止したりなど事態に応じた対応をするのが当然だろう。米同時多発テロの際、東証は営業停止にこそできないものの、値幅制限を半分にした。それなのに今はなぜか、通常通りの営業を続けている。当然のごとく大胆に売り浴びせられ、逆資産効果による景気落ち込みは避けられない。為替市場も現引きのみやせめて枚数制限をすればよいもののそれさえもできず、リパトリの噂などがばら撒かれた結果、史上最高値を更新する1ドル76円前半にまで円高が進んだ。
 プロ野球では、パリーグが開幕を延期するのに対し、セリーグは読売と中日の強硬主張を受け、当初どおりの開幕をするという。首都圏では計画停電が実施中であり、プロ野球開催のための停電は受容されるだろうか。交通もままならない。球場に向かった結果として帰宅難民も出るだろう。被災地を勇気付けるためなどというが、そもそも現状の被災者がテレビなどを見られるのか。仮にテレビを見られても、野球を見るような心情になれるだろうか。交流戦はどうするのか。野球の開幕は原発騒動が止み、被災者の方々が仮設住宅などで生活できる方向性が見えてからでも構わないだろうに。何事も、止める勇気を持ってほしい。

2011/03/16(水)   原子力政策の破綻

 長野の北部、新潟に隣接するところに栄村という村がある。東北の巨大地震に隠れて報道されることもないが、先日の大地震による地滑りと地割れが深刻である。市役所の人とともに救援物資を届けに行ったが、道路が寸断されていたり、土砂が散乱していてどうにもならないと聞き、隣接する飯山市に荷物を預けて帰った。諏訪の豪雨のときも諏訪市役所を訪ね、ボランティアの一団で泥水の排水を手伝っていた。民家の浸水は深刻なもので、1日半ひたすら泥水を出して、やっとバキュームカーが入れるというものであった。しかしそれでも水位がほとんど変わらぬうちにバキュームカーの容量がいっぱいになって、また別のバキュームカーが来て、を繰り返していた。夏で日差しが強かったおかげでなんとか早く周辺から水が引いたが、雨が続いていればどうなっていたことだろう。顔の皮は完全に剥け、2週間ほどはひりひりした。
 日差しもありがたかったが、やはり明るいということに尽きる。太陽光から1日に得られるエネルギーは、全世界の1年の石油消費によるエネルギー量と比較して遜色ないレベルであるから。それに日没になると、もうそれ以上作業のしようがない。今回の地震・津波の被害でも、夜は様々な不安に苛まれていることは想像に難くない。時期柄寒いうえに、電力も食糧も情報も不足しているのだから尚更だろう。
 石油・石炭を用いる火力発電は二酸化炭素が多いうえに燃料も持続可能でないとして原子力が推進されているが、核廃棄物はどうなるのか。フランスに処理を頼んでいるが、その廃棄物が核実験に使われたこともあった。仮に六ヶ所村に作ったところで、1円たりとも生み出さない半減期の長い放射性物質を何百年単位で監視できるのか。アメリカに押し売りされた欠陥原発が事故を起こした際、アメリカからきた修理の作業員は想像を絶する被爆をして、作業中に危篤になったりした。もんじゅが大事故を起こしても、報道は事故ではなく「事象」。今も東電や東北電の従業員、周辺住民は完全に被爆しており、放射性物質は日本の周辺海に垂れ流されている。原子力がクリーンなエネルギーとは程遠いことは明らかだ。耐用10年の原発が、実に40年も動いてきたというのも異常である。
 電気料金が安すぎる。原発の建設と運転はもちろん、廃止後に必要なコスト、周辺住民への費用など本当に必要なコストを考えれば、原発で得られた電力など天文学的価格になるはずである。アメリカは石油価格が政策的に抑えられているが、日本の電力価格は本当のコストを加味したものではないことは明らかである。電力価格が安すぎるからこそ、太陽光エネルギーなど、代替エネルギー開発も一向に採算に乗らない。旧来の政策の誤りを認め、エネルギー政策が遅滞なく将来世代まで移行、持続できるようにすることが政治の責任ではないだろうか。

2011/03/15(火)   効率的な社会

 世界からみれば日本は実に恐ろしい国家である。ほんの10年前と比べても為替で円は他通貨相手に軒並み3〜6割もの円高、少子高齢化で需要も伸びない、政治は万年混迷、それでいながら企業の利益水準は史上最高益やそれに迫るものであるから。新聞でも日本は必ず震災から復旧し、力強さを取り戻すだろうなどと書かれている。
 企業が高い利益水準を保つために、日本の社会というものは驚くほど効率化されている。そもそもこれだけ鉄道・道路網が発達した国家などほかにない。生産も少量多品種の受注生産になっており、余剰在庫を極力抱えない構図になっている。資金の回転効率もずば抜けており、日本の厳しい消費者の目線に耐え、低い利益率でもやりくりできている。
 もっとも効率化の代償として、地域は商店を大きく減らし、いくつかの大都市への一極集中を招く結果になった。余剰在庫が少ないのは平時ならば良くても、震災などの異常時には供給が不足し、物価の乱高下などを招く。従業員も正社員は極限まで圧縮され、主軸が派遣に切り替えられた。今回のことで雇い止めもまた大きくなろう。噴出する効率化へのデメリットに日本は耐えられるだろうか。
 自転車通勤をしている。11kmもあり多難だが、ガソリンがないためスタンドも閉店、スーパーでは米もカップめんも缶詰もペットボトルも皆無という状態である。被災地にわたっているのならばそれもよいが、本当にそうなのか、分からない。書いている最中にも静岡東部で震度6強の地震があったという。買いだめに拍車がかかりそうだ。
 車がなくても生活できるなら、そうすればよい。米だって、いざとなればミニマムアクセス米を食べればよいのである。多少高くても近くの商店でモノを買えばよい。洗剤なども少なくすればよいし、風呂だって毎日入ってはいるものの、2〜3日に1回でもよいかもしれない。自身の描く効率的な社会とはそういうものだが、今の日本の効率的な社会とは随分異なるものである。自身の描く効率的な社会のためには、今の日本はもっと非効率になっていかなければならないということだから。

2011/03/14(月)   システムの変化

 100円を拾うのと、10円玉を10回拾うのとは収入面では等価値である。そして、1円を100回拾うのも同じであり、100円を手に入れるための経緯が変わっているだけである。可能ならばそれは100円玉を1度見つけるほうが簡単だし手間も少なくて済むが、そうそう落ちていないものであるから妥協するというのはしょうがないことなのだろうか。
 もうすぐ東証が上場するらしい。その東証と大証の合併も取りざたされている。個人的には上場などメリットが見えないため断固反対なのだが、優先出資証券に振り替える案などが国会で提起される見込みもない。電力や鉄道などもそうだが、証券市場もインフラの一部である。万が一外国資本に買い占められたりなどした場合、国内の証券市場は機能不全に陥ったりしないだろうか。
 東証の上場前の株式は日本の証券会社が持っている。野村、大和、日興などをはじめとして、多くの中小証券会社が東証の株主になっている。松井などのようにビジネスモデルの転換によって大きくなり生き残ったところもあるが、現在は中小証券会社の廃業が相次いでいる。それらの中小証券が持っている東証株や、あるいは中小証券そのものが外資系証券に買収されかけたり、実質的には買収されているものもあるという。上場後の東証株がどうなるのか、読めそうな話である。かつては大証株が村上ファンドの標的になったこともあった。
 中小証券が廃業に追い込まれる理由は、大手外資証券の高速売買に太刀打ちできないからだという。1度に100円を儲けるような投資スタイルの中小証券は、1円の利益を100回積み重ねるタイプの外資系の売買システムに全く太刀打ちできないようである。地震に乗じて細かな利益を果てしなく積み重ねた末だろうか、今日の東証の出来高は過去最高を更新した。しかし出来高が増えても潤うのは東証と証券会社だけであり、庶民には何の関係もない。円高と株安の影響により、手持ちの現金の相対的な価値があがったことに満足するしかないのだろうか。

2011/03/13(日)   自給

 200年ほど前、欧州ではフランスが屈指の農業国であったのに対し、イギリスの惨状はひどいものであった。当時は工業化に舵を切り、それが成功を収めたために英仏戦争でもフランスの貿易封鎖を食いちぎることができた。しかし戦後は国内の農業化にも力を入れ、食糧自給率も大きく上向いた。
 一方の日本では減反政策が推し進められるなど、まさに対極の動きである。工業化への対価として米価を維持するための政策が優先され、肥沃で気象条件もよい国家ながら食糧の大輸入国になった。世界を見れば農業をしたくてもできない国家・地域がたくさんあるというのに、なんという贅沢だろう。
 しかし今後は中印をはじめとした人口増加を受け、世界的に食糧が足りなくなるだろう。投機の対象ともなり食糧価格指数は上昇の一途。輸入を確保するための外交政策はもちろんだが、国内でも生産量を上げるために政策転換をしていかなければなるまい。
 日本は食糧と同じく原油や鉱物をはじめとした資源も輸入に頼っている。核燃料もそうだ。長野もそうだが東北各県も発電所が多くあり、首都圏の電力需要を支えている。県内で得られた電力は首都圏や静岡、愛知などに送られている。しかし長野は水力発電がほとんどなのでまだよいが、原発を抱える地域はいくら国が安全宣言していても不安であろう。
 福島県前知事の佐藤栄佐久は情報の徹底開示をし、原発の運転計画は安全性に無理があると断固として反対していた。日経の社説が最もひどいものだったが、全国紙の社説はすべて、首都圏の発展のために僻地は極低リスクの原発を受け入れよというものだった。国の圧力を受けても政策転換しない佐藤は別件逮捕され、東北の原発は増えていき、トラブルがあっても運転休止がほとんどなくなった。四選出馬を決めた前頭葉の退化した老知事(※)は「東京湾に原発を造ったっていいんだ」などとうそぶくが、電力の自給のために早くそうしてもらいたい。首都圏の発展のために地方がひたすら犠牲になるという構図には辟易してしまう。

※1975年の東京都知事選で、対立候補を“前頭葉の退化した60、70の老人”とこき下ろした。

2011/03/12(土)   やりきれない

 阪神大震災の日を思い出す。激しく揺れ、本棚の吉川英治大全集が降ってきた。電車はほとんど運休だったものの、阪堺線のみ動いていたので自転車で浜寺公園まで行き、そこから大阪市内に出かけて行った。しかしそこまでしてたどりついたのは自身ひとりだけだった。兵庫県内に住んでいた何名かは不幸にも亡くなられた。電車の動いていた西端の西宮北口から甲陽園の友人宅まで24リットルの水を持ち運ぼうとしていたおり、途中で何百回も「少しわけていただけませんか」と頼まれ、断り続けるのも胸が張り裂ける思いだった。
 マグニチュード8.8など、想像を絶するものである。それも震源は深さわずか10km。これが内陸で起きていればどれほど壊滅的な被害になったか、とも思うが、海上地震であればこそ津波の被害も深刻である。漁船、タンカー、仙石線の電車などが津波に飲まれる結果になった。一人でも多くの人が助かってほしいと思う。被害に遭われた皆さまにはお悔やみを申し上げる以外にかける言葉もない。ただ、なんとか今後よくなってほしい・・・としか。。。
 東京では電力不足などから電車が全面運休、帰宅難民が多発している模様である。直撃したわけでもないのにこれほどのことになるとは思わなかった。東京の脆さを知ったと言えばよいのか、とにかく今後への教訓にしなければならない。直下型の大地震が起こった折には想像を絶する被害になることは間違いない。
 天災は本当に突然である。2年前には諏訪は豪雨に見舞われ、復旧まで相当かかったものだった。今回の事態は本当に大惨事であり、復旧までどれぐらい時間を要するのかも分からない。一刻も早い復旧をただ願っている。

2011/03/11(金)   みどりの窓口

 JR線は全線乗ったことがあった。なので、鉄道には相当乗っているほうである。そののち、電車でいけないところを訪ねるために二輪に乗るようになり、やはり二輪でも大分県・沖縄県を除くすべての都道府県を巡った。行き残したところなど本当に数えるほどしかないような気がする。
 そういうわけで、しばらくは海外旅行に凝った。国内に行き先がないから海外へ、というわけだったが、なにぶん費用も期間も必要である。それでもオーストラリアやマレーシアは人口1000人規模の都市を含めてほぼ全土を訪ねたくらいである。それでも海外では行ったことのない国が多く、折あらば北欧や太平洋の諸国に行ってみるのもよいかもしれないと思っている。
 いまでは国内をプライベートで回るなど年に1回程度である。そのためにJRの券を買う時があるが、いつも買う枚数が膨大である。切符をいつも最安で買うために乗車券も特急券も複雑な買い方をするので紙に丁寧に書いてみどりの窓口で出すのだが、いつも発券にかかる時間が半端ない。しかも今日は発券後の確認のときに「あれ?この区間は自由席なんですけど?」と不覚にも気づいてしまった。駅員氏のミスであるが、切符を大量に連続発券する場合、ひとつだけを訂正するということができず、すべてを払い戻してまた再度発券するという手続きを取らなければならない。なんだかんだで1時間近くかかってしまい、片田舎の窓口が1つのみの駅で長蛇の列ができてしまう始末。自身が悪いわけではないが、後ろの視線が痛すぎる。
 仕方ないので隣接している指定席販売機で後ろの客に切符の買い方を教える。「木曽福島まで?このボタンで買えますよ。」「愛野?新幹線はどこまで買われますか?浜松?掛川?」「和歌山ですか?しなので名古屋まで特急で、その後新幹線で。京都で乗り換え?できますけど、特急料金高くなりますよ?のぞみの指定席?今日なら自由席でも十分座れると思いますけど?」といった感じで長蛇の列をすべて捌いたが、それでも自身の切符はまだ発券が完了していなかった。なんてこったい、暇つぶしになったからいいのか?駅員氏が合計31枚の乗車券・特急券・指定券類を無難に再発行した後、お互いに「ご迷惑をおかけしました」と言った言葉がハモってしまいウケてしまった。

2011/03/10(木)   減量社会

 物価高が世界的なデモ・内乱の遠因であると思っている。米連邦銀議長のバーナンキほどお金持ちであれば小麦が高値を更新しても「何の影響もない」と強弁していればよいのだけれど、それでも石油だけは関係ないとは言うことができず、「高い税金のようでゆゆしき問題」と述べなければならない。政治的に税金が極めて低く抑えられているガソリン価格は日本などよりも値上がりの影響を強く受ける。アメリカ経済も完全に貧富が二極化しており、貧困層の反発は必至だろう。
 日本でも少し前にレギュラーガソリンがリッター180円になったり、小麦製品であるパン、カップ麺などが値上がりしたりした。一段落したかと思いきや、最近は再び上昇傾向にあるようである。食糧も原油も過去最高の投機資金流入の痕跡が統計上からも明らかになっており、物価鎮静化のためにはヘッジファンドによる枚数制限、回転制限、取引禁止など、抜本的な措置が必要だろう。金融業が最大産業というアメリカに対し、世界で包囲網を築かなければなるまい。
 自身の健康の源泉は何なのかよくわからないが、生野菜サラダがそのうちのひとつではないかと思っている。140gの袋を一日最低1袋は必ず食しており、忙しい日など下手をすれば菓子パンとサラダ2袋で生活する日があったりするかもしれない。偏っているようにも思えるが、豪州人がフィッシュアンドチップスを昼食、ダブルバーガーとフライドチキンを夕食にしているのよりはマシだろうか。
 そのいつも食している生野菜サラダを買いにいくと同じ価格ながらパッケージが変わっている。特に気に留めず購入し、いざ袋を開けてみたものの、なんだか少ない気がする。そして内容量表記を見て驚いた。なんと140gだったのが100gになっていたからである。3割近くのサイズ減というのは個人的にはかなりのものである。1日に2袋食べていたものが今度から3袋必要になるということで、食費が1.5倍になるということでもある。物価高が早く止まれば良いのだけど。

2011/03/09(水)   豹変

 例年5月19日、すなわちページ開設記念日に表紙を変えることにしている。とはいえ使い回しだったりすることもあるしほとんど変わらないこともあるので、そこを突っ込まれると困るのだけど。イメチェンするとそれなりに気分が変わるものかもしれないが、実を言うと自身は管理人用のページから全部を閲覧・変更しているため、表紙を眺める機会が全くなかったりする。
 だからこそ放置し続けてきたわけだが、ひょんなことから表紙を変えようと思ってしまった。季節外れの雪が降ってる〜〜♪、ではないが、本当に季節はずれである。そういえば今日は珍しく吹雪。明日の雪かきは大変だろうなぁ。
 さて。思いついてしまったから困る。最近は知人のページを訪ねることも全くなくなっており、全く一からデザインを組まなければならない。この雑記が今年から白系背景に変わったように、新デザインにするときは白系にしようと思っていた。青空を背景にして左にメニュー、右に説明、上下にヘッダーフッターをつければよいか、という漠然とした案は持っていたのでその通りにやろうとした。ついでにすべてのページを真っ白背景に変更するつもりだった。
 しかし、出来上がったものはなんともまぁ、実に当初の予定とかけ離れたものである。白紙転換もおじゃんになってしまう始末。自身のデザイン力のなさを呪うしかないという印象であろうか。旧表紙と見比べてもやはり古いものは個人的には秀逸で、だからこそ2年以上も使われてきたのである。しかも新デザインはブラウザによっては正しく表示されない始末。スタイルシートを勉強しなければならないか。

2011/03/08(火)   なぜ新聞は無税なのか?

 中東では独裁国家で火の手が上がり続けているようだ。チュニジアやエジプトから始まり、リビアは完全な内戦状態、バーレーンやオマーン、イラン、イラク、サウジアラビアなどでものっぴきならない状態が続いている。前も書いたけれど独裁国家というのは国家が危機の時、あるいは立ち上げる時には非常によく機能するが、長年続くと弊害も出てくるのだろう。米国の金融テロが飛び火したというところだろうか。
 それに対し多くの西側諸国では民主主義が確立し、三権分立、二院制などが採られている。そう、権力の集中を防ぐためのシステムが機能しているが、日本ではイギリスやアメリカなどと違い、官僚が特定の政党やマスメディアと癒着しているので事態は深刻である。幹部の官僚が「民主党政権になって困っている」と述べているのを何度聞いたことか。イギリスならば解雇の上、多額の賠償をさせられるというのに。日本では権力分散のシステムは完全に形骸化しているのがまず不幸だし、それがメディアによって糾弾されることがないのも異常である。
 少し前に政治家の政治資金報告の時期がずれているという報道があった。実際には報告は完全に正しいため大騒ぎする内容ではなく、むしろ外国人からの献金のほうが完全に法令違反で深刻な事態である。期ずれのときも国会はなぜか証人喚問をなどと不毛な議論を提起し、国政を停滞させた。日本のためを思った行動とはとても思えない。
 司法で裁かれるべき内容は司法の内容を注視すべきである。例の事件の公判も4回を終え、検察のあまりに異常、違法な取り調べがどんどん暴露されており、しかも検察にはそれに異議を申し立てることもできないようである。司法を国会で論じよ、と筋違いなことを述べたメディアは、司法が裁判所という最も適切な場所で論じられているのに、記事にする気が全くないようである。それもそのはず、検事がとった調書のほとんどが誘導、切りちがえ尋問による違法なものであり、検察を応援する新聞社にとっては絶対に記事にできないからである。読売の言う通りメディアはもっと抑制的にならなければいけないと思うし、そのためには黒字を出さないと話にならない。赤字のメディアほど扇動的かつ裏付けのない飛ばし記事が多すぎて、日本のためには害にしかならない存在である。新聞が生き延びるためには消費税増税のときになぜか新聞は社会的に必要不可欠であるという存在にして無税にするしかないのだが、そんなことが許されてはたまらない。読売の渡辺会長の論理には無理があり過ぎる。

2011/03/07(月)   年輪

 木の断面を見ると年輪というものが刻まれている。春の成長と夏の成長が積み重なっていくさまが目で見て取れる。大きく成長するときもあればあまり成長していない年もあり、気象条件や土壌条件などを推察することができる。
 しかし人間の断面をみるわけには行かない。それでも年輪というものはやはり感じるもので、この人は年齢の割に経験豊富な人だなぁ、などと感心させられたりする。それでもそれはレアケースで、ほとんどの場合は「年齢の割にアレだなぁ」と思ってしまうのである。自身が子供のころ、大人というものはもっと理知的で冷静であり、そんな人ばかりだと思っていたからであろうか。成長の跡の年輪を見ようにも、元の樹木が腐敗してしまっているのではないか、と残念な気持ちになるときもある。もちろん自身もそう思われているし、率直に情けない限りなのだが。
 それでも文章的にはそれなりの進歩を遂げたのではないだろうか。16年の文章の履歴がまさに年輪であり、昔の文を読めば荒削りながらよかったと思うところもあるし、目を覆いたくなる部分もある。もっともそれはそれでよく、そういう時代があったからこそいまの自身があるのである。どんな立派な樹木でも、最初から根幹がしっかりとしていたわけではないのだから。

2011/03/06(日)   小粒っ子

 子どものころ、頭が大きいことは悩みの種だった。今でこそ自身より大きかった人を何人か知っているけれど、当時は60というサイズの人間など見なかった気がする。やはり何かと目立つらしく、線の細さからマッチ棒などと言われたりした。
 頭ほど目立たなかったけれど、耳もやたらと大きかった。耳を舐められたりするときにこそ「せっきーの耳むちゃくちゃ大きい♥」とか言われるけれど、そうでもなければなかなか気づかないものだろう。あと、気づいたのは理髪店の主。顔そりのときにいつも「ほんと耳大きいなー、福耳なんやなー」と言われたりした。
 思い返せば子どもの頃は少しばかり頭は良かったが、それでもいかんせん自身は努力しない人間であった。天才であればそれもまたよしだけど、天才肌なだけだから困る。わかどし氏などをはじめずば抜けた頭脳の持ち主が多くいる中、自身はなぜか将来を嘱望されながらも実績は全く目立たぬ存在である。
 日本では大臣の辞任など日常茶飯、首相の交代が世界一という国である。ある大臣が辞任に追い込まれ、報道を見聞きするとなぜだか「首相候補、散る」などと書かれている。自殺した永田元議員のことを思いだし、マッチ棒ならぬもやしっ子のどこが期待されていたのか、全く理解できなくて困惑している。自身が言われたときと同じような、ただの世辞だろうか。

2011/03/05(土)   当たり前のこと?

 道の駅が隠れたブームになりつつある。昔は大きなドライブインがそこらじゅうにあったものだけれど、最近はコンビニ全盛のためか苦戦を強いられているようである。大型車が何台も停車可能なコンビニがそこらじゅうにあるものね。そして、道の駅はコンビニとは競合しないが、ドライバーニーズを確かに捉えた存在として台頭しつつあるのだろうか。
 だいたいの道の駅では土地の名物が扱っている。長野だと野菜果物の扱いが多く、たとえばレタスが100円で売ってある。同じぐらいのものはと言えばスーパーで180円ぐらいであり、安いと感じる。しかし農家の取り分は、道の駅での販売では1個あたり80円なのに対し、スーパーへの納入では30円に過ぎない。150円は流通マージンというわけである。農家の方は「大きな流通には買いたたかれるでねぇ」「せめて半値(40円)にでもなりゃなぁ」と不満げだが、じゃあいくらで売ればもとを取れるんですか?と聞いても、即答できる農家はほとんどない。問題はそこである。
 肥料にいくら、ガソリン代にいくら、暖房費にいくら、自分たちの労務がいくら、と計算していけばいくらが損益分岐点なのかすぐに分かろうというものである。しかし、その当たり前のことができない。おそらく税金も適当に言われるがまま納めているのだろう。どんぶり勘定のデメリットである。
 しかしそんなことは製造業でも同じ、個人でも同じである。原料代、電気水道代、人件費を加味した価格が製品の値段になっているだろうか。個人でも、たとえば家計簿をみて費用対効果の低い項目、著しい無駄があったりしないだろうか。そもそも家計簿をきちんとつけているだろうか。そういった部分を点検するのはごく当たり前のことだが、それができる人というのは実に少ないものである。

2011/03/04(金)   市中引き回しの上、無罪。

 時代劇では「市中引き回しの上、打ち首獄門」なんてセリフが出てくるものだ。私腹を肥やす悪人がきっちり時間内で裁かれ、再発防止のために見せしめにされる。幕府に対する不満分子も多くいて、むしろそちらのほうの処刑のほうが見せしめにされてきた。封建社会はその維持が大変であったであろうことは容易に想像がつく。
 例年、この時期になると税理士と公認会計士が何名か逮捕される。言うまでもなく確定申告をさせるための見せしめである。逮捕の理由も実にいい加減で、慣例に則って会計処理をしたら突然脱税扱いされるのである。身近な人でもこの見せしめの被害を直接受けた人を知っており、一人は会計士資格剥奪、もう一人は事業を停止するにまで追い込まれた。最高裁まで耐えればほぼ無罪なのだが、一審二審と敗訴しても検察は執拗である。たとえ有罪にすることができなくても、ビジネスが破たんしたり、被告が病気になったり死去したりすれば、被告側が訴訟を維持できないのだから。被告の寿命と財力と戦うという検察の劣悪な引き延ばし戦術により、無実を勝ち取るまでの時間も長くかかる。今話題の小沢も果たして80近くまで健常に戦えるのか。報道も逮捕するときだけは大々的なものの、最終無罪になっても一行たりとも触れられない。
 中国でデモを取材していた外国人記者が数名拘束された。突然の取材規制の変更に記者たちは大ブーイングだが、中国側も中国の法に従えなければ中国に来るな、という強硬なスタンスである。尖閣問題のときにも日本のフジタ社員が基地を盗撮したとして拘束されたけれど、あれも根は同じである。法に関する裁量の部分が大きすぎる。
 それにしても、受験で不正を働いたから逮捕とは、実に恐ろしい時代に突入したものだ。まじめにやった人が浮かばれない、だなんて、全く論理の体をなしていない。不正を働いた人が見つかって不合格処分になった時点で、ほかの人は損害を蒙ることはないのだから。同様の行為をする人間を減らすための見せしめの一環であろうが、いつもながらの超法規的な措置により失うものはあまりにも大きすぎないだろうか。

2011/03/03(木)   将棋界の一番長い日

 将棋の名人位への挑戦者を決める10人総当たりのリーグ戦、A級順位戦の最終局が一斉に行われた。もっとも応援している最年長の高橋九段は挑戦も降級もないという立場で、もう一人応援していた木村八段は敗れると降級、勝てば残留というまさに天下分け目の決戦だった。
 一般的には名人位への挑戦に注目が集まるのだろう。挑戦は森内九段と渡辺竜王の争いになったが、降級のかかる丸山九段相手に渡辺は痛恨の敗戦。丸山は自力で残留を決めた。一方、森内はやはり同じく降級のかかる久保を相手に完勝の指し回し。敗れれば再度のA級陥落と思っている久保は執拗な粘りを見せるが午前1時半すぎ、ついに力尽きた。
 高橋はと言えば敗れれば無条件で降級となる藤井九段相手に完勝。50歳にして2期連続勝ち越しとは恐れ入る。残念ながら木村はやはり降級のかかる(ほとんど直接対決)の三浦九段戦に敗れ、降級が決定してしまった。残念な結果だが、来季の復帰を願うしかない。同じく降級となった藤井だが、竜王位三連覇のころをほうふつさせる活躍を期待したいものである。
 挑戦、残留をめぐる争いはそれぞれの思惑があったものの、八百長のようなカードなどひとつも見られなかった。むしろ全力で負かしに行っている印象であり、踏み込み過ぎなのではないかと冷や冷やしたものだ。森内九段が羽生名人に挑戦する名人戦はどのような内容になるだろうか。開幕前夜の4月6日から、例年のごとく第一局会場の椿山荘に赴くことになっている。楽しみだ。

2011/03/02(水)   日本と中国は瓜二つ

 野球賭博は犯罪である。しかも暴力団の収入に絡むものである。だからこそ警察が野球賭博に関する捜査を行う令状を裁判所から得て捜査した。そうして押収した携帯電話を解析したら、八百長のメール履歴があった。捜査当局は八百長に関する捜査令状を得ているわけではないし、そもそも八百長は犯罪ではない。それなのになぜか「公益に資する」という理由で八百長に関するやり取りが捜査当局から流出した。単なる詭弁であり、法令無視にもほどがある。
 入試のカンニングは古典的なものとして参考書を忍ばせたり、隣の答案を覗き見したり、替え玉受験というようなものがある。替え玉受験に関しては有印私文書偽造及行使罪で逮捕されているが、参考書をこっそり見たり隣の回答を覗き見したから逮捕されたという話を聞いたことがない。もちろんそれはそういう例がないからではなく、大学側が退場処分、不合格処分にしているから問題ないのである。
 試験問題を盗撮しても、電波で送受信しても、そのことだけでは犯罪ではない。大学側は入試という業務の公平性が侵されたのであり大損害であると強弁するが、個人的には自衛努力が足りなかっただけのように映る。電波暗室での試験や妨害電波を出す、所持品検査を徹底するなどの対策が取られた痕跡などみられない。そもそも公平性に問題の焦点を当てるなら、参考書の閲覧や替え玉受験なども同じである。なぜ今回は刑事事件にする必要があるのか、理解できない。
 入試問題を盗撮しただけで偽計業務妨害など、完全に詭弁である。もし仮にそうならば、ほかのカンニングも、裏口入学などもすべて偽計業務妨害で今まで処理されてきたはずだから。犯罪でない行為に対し警察当局に捜査を依頼するのは筋違いだと思うし、門前払いせず民事に介入する警察も理解できない。今回程度のことであれば入試の公平性は大学自身が守るべきであるし、それほどそれが難題であるとも思えない。個人情報保護法というのは神棚に飾られているだけの情けない存在である。
 なんでもかんでも警察や検察が捜査を行うという風潮は異常かつ深刻である。警察や検察の裁量権拡大により何が起こりつつあるかといえばたとえば政治家の秘書が別件逮捕されて、無罪確実の元の訴訟が訴因変更で立ち消えになりいつのまにか全く別の訴訟になっていたりする時代である。日本でも反検察デモや尖閣デモなどが起こっているが、いつデモ参加者が別件逮捕され、違法に個人情報を徹底的に調べ上げられ捏造までされ重い刑に処されないとも限らない。昔特高、今検察。勘違い組織の暴走は全く笑えない深刻な事態であり、中国で頻発するデモの弾圧を連想してしまう。

2011/03/01(火)   恒常的健康

 生命保険というのはどこか悪いところがあると掛け金率が高くなったり、ときには加入そのものを拒否されたりする。そういったプレミア(割り増し)のない層はもちろん保険料は安いものの、加入する必要性もほとんどなかったりする。保険会社というのは一部の悪徳商法などと同じく、必要のない層に必要のないものを高く売りつける商売であるともいえる。
 しかし人間というもの、いつまでも五体満足というわけにはいかないのである。いま健康である人たちとて、そのほとんどすべては「今のところ」健康というだけである。将来的にはたとえば肝機能が低下したり、歩行に障害が出てきたりなど健康とはいえない身体になってしまう可能性が高い。骨折などの場合は一時的な障害だが、健康であるということそのものも人生という長いスパンで考えれば一時的である、すなわち一時的な健康とも言える。
 人間ドックに行った。低血圧で朝が弱いのも、悩みとしてはたいしたことがないらしい。中性脂肪やコレステロールなどが著しく低いので血液がさらさらであり、だからこそ血圧も低くて済む。心臓の負担をはじめ、他の臓器の負担も適度なバランスに保たれており、まさに五体満足の典型という話であった。恒常的健康とはあなたのような人のことを指すのだ、と言われたときは褒めすぎなのではと浮ついた気持ちにもなったが、悪い気はしないものである。
 なかなか自己管理が徹底できないというのがいまの日本人というものなのだろうか。しかし身体というものはその人の人生にずっとついて回るものなのである。身体がダメと言ってるなぁ、と思えば無理をしないことが大切である。健全な精神は健全な身体に、というのを地でいく人生を貫きたいと思っている。

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