せっきーの世紀末

/(^o^)\日本ヲワタ/(^o^)\

2011/01/31(月)   東京みやげ

 なんとか帰ってこれることになった。いつもであれば荷物などは全部持って運ぶのだけれどなんだかんだで疲労感が相当なものである。やむなく荷物をまとめて送り、身軽になって帰ることにした。
 出張に出かけるのはよいが、お土産を買い忘れてしまうことが往々にしてある。私生活はもちろん仕事上でも質実剛健がモットーとはいえ、そのあたりの人付き合いまで削減できるほどスリム過ぎはしない。今回も特急あずさに乗車中、車内販売がきたときに「あっ、お土産買い忘れた!」と気づいたものの、いつも通りにスルーしてしまう。そして帰着してから諏訪湖SAに行き、そこで東京みやげを買う始末。近くにSAがあるというのは便利なものである。
 それにしても実に寒いこの冬である。日本海側の大雪は20年ぶりと言われる水準でありながら、内陸の積雪は実は例年の半分にも満たないのだけれど、それでも1月の平均気温は例年より4度も低い有様。東京との格差をしみじみと感じる帰還である。

2011/01/30(日)   物価

 世界の広範囲でデモやストライキなどが起こっている。その原因にはいろいろとあるけれど、物価高というのも間違いなく原因のひとつである。日本では考えられないことだが、海外にいれば物価の上昇スピードというものは本当に異常なペースなのである。
 では日本では物価高とは無縁なのだろうか。同じ地域にずっといるとそうかもしれない。しかしながら東京にくるとどうしても物価が高いと思えてしまう。菓子パン食パンの価格は長野よりざっと3割は高い。しかしそれはまだマシなほうなのかもしれない。昼食になると5割高、夕食になると7割高というのが体感である。なんでこんな値段が、と思っても、それでもお店にそれなりにお客はついているのだから、地域の人からすればそれほど高いわけでもないのだろう。
 いまや東京一極集中の時代。軽井沢町はおろか、上田市まで東京の通勤圏になる時代である。あずさ通勤をする人も増えているというし、それだけの交通費をかけても十分ペイできるだけの賃金を受けている証だろうか。国内不均衡が進むさまには違和感も禁じえないのだが、いずれ解消されるときが来るのだろうか。

2011/01/29(土)   ドーハの歓喜

 2022年のワールドカップはカタールで行われると決まっている。オイルマネーにものをいわせた結果だとか、最近はFIFAの汚職がひどいだとかいろいろといわれているけれど、世界的なイベントなのだから世界各地で行われるのが好ましい。2018のロシアも2022の中東も開催暦がないわけであり、開催そのものがひとつの前進であるとも言える。
 ドーハといえばカタールの首都。そして何よりも、1993年の日本=イラク戦、いわゆるドーハの悲劇で知られる都市である。いつまで悲劇がついて回るのか、今回のサッカーアジア杯は日本代表にとってどのようなものだったのだろう。緒戦から気の抜けない戦いばかりが続き、理不尽に思える出来事も多かった。
 オーストラリアとの決勝戦。言葉にする必要もないほどの綺麗な決勝ゴールだった。長友=李のコンビネーションで日本は1−0勝利。やっと悲劇を歓喜で上塗りすることができた、というところだろうか。ワールドカップのころは散々得点力がないと言われていたものの、いつの間にかそういう声も聞かなくなった気もする。ブラジルでも楽しみにしたい。

2011/01/28(金)   格下げ

 金融に関する話のうちのひとつに、かごに盛った卵の話がなされるときがある。ひとつのかごに入れておくと何かあったときに全部割れてしまうけれど、いくつかに分けておけばほかのものは無事である、ということである。要は分散投資の勧誘文句であり、株や債券、ときにはもっといかがわしい商品を売りつけるための口上である。
 残念ながら自身の金融資産などほぼ皆無であり、預貯金以外で運用することなどない。ひとつの卵を分散することなどできないからである。しかしお金持ちにとってみれば株や債券に投資する価値はあるのだろう。しかし例えばA社の社債とB社の社債はどちらが良いのか。そんなことをいきなり言われても理解できないだろう。
 そのようなものを判断するために格付け会社というものがあって、ここは安全だとかあそこは破綻寸前だとか、いろんな情報を出している。ひとつ疑問なのは格付け会社はどこから利益を得ているのかということ。基本的に債券の発行会社しか格付けを取得するメリットがないのだから、販売者に阿た格付けになり、公正性に欠けるのではないかと懸念している。
 ある大手格付け会社が日本国債を格下げした。外貨建て債務がほぼ存在しない国家の債券が最上位でないという事態が信じられないが、それを納得させる説明などないままである。かつて格付け会社はサブプライム債の格付けを高くしすぎて、問題を膨張させた張本人でもある。格付け会社の存在そのものがなんとも納得できないのは自身だけなのだろうか。

2011/01/27(木)   還付金

 振り込め詐欺が止まらないらしい。あれだけニュースにもなり社会問題にもなって広く認知されているはずなのに、手を替え品を替え、で続いているようである。例えば品がどのように変わったかといえば、大阪の主婦層には従来型の振り込め詐欺(オレオレ詐欺)はあまり通じなかったらしいが、還付金を受け取れるというと他の地域以上に引っかかったとのことである。還付金を受け取るために先に振込みが必要になるなんておかしいとは思わないのだろうか。
 それにしても振り込め詐欺の舞台では医者、弁護士、警察官、消防隊員など、実に多彩なスタッフが登場するものである。テレビドラマも顔負けの陣容で、なんとか目をつけた相手からカネを略取しようと試みる。それだけのエネルギーがあるのであれば他の事に使えば日本も良くなるかもしれないのに、と思ってしまう。
 確定申告を済ませ、国税の還付金が振り込まれた。昨年分の確定申告は厳密には2月からだが、還付金を受け取る場合は1月1日から有効である。加えて言えば納付額が出る場合でも1月中に申告することも可能である(国税当局で2月1日まで預かり扱いになる)。長年還付ばかりで納付になった覚えがないのだが、いずれそういうときも来るのだろうか。

2011/01/26(水)   水面下の連鎖

 物事を単純に考えることにしているとは言っても、実際には様々な要因が複雑に絡み合っており、単純には言えないことも多いのも事実である。重要なことはどれを重要視し、どれを無視するかという取捨選択のステップである。
 しばらく前はヨーロッパで緊縮財政に対するデモが多く繰り広げられていたけれど、今度は地中海を渡ったエジプトで大規模なデモが起こっている。一時期のタイやミャンマーのようなことが起こらないように祈るばかりだが、市民の不満の鬱積は相当なもののようである。大統領に退陣要求が突きつけられるなど、日本では考えられないこと。予断を許さない状況である。
 エジプト国民(カイロ市民)の不満のうちのひとつは、物価の高騰にあるのだろう。食料品や原油の高騰が庶民の生活を大きく苦しめているのは事実である。もちろん輸入大国の日本も大きな値上げのあおりを受けているが、一方で円高のメリットも享受しているだけである。
 しかし物価の上昇と言えば、もとはアメリカがドルを刷りまくったことによるインフレである。通貨政策が親米国家に飛び火して、イスラム原理系に転換してしまったとなれば笑うに笑えない。ドルを刷りまくるQEという未曾有の政策であるが、意外と歯止めをかけるのは政治家ではなく、米軍なのかもしれない。

2011/01/25(火)   無知は罪である

 一時間早く目的地に着けるぐらいの時間に駅についた。ホームで電車を待っていると、どうも人身事故の影響で西武新宿線が遅れている模様である。3分も待てば電車がくる東京ながら、そのまま25分待っても来ない。ちょっとこれは異常なんじゃないか?と思っているとアナウンスが流れ、振り替え輸送をしているのでバス利用で他路線を使ってほしいとのこと。
 しかし見知らぬ土地でいきなりバスと言われても困る。どこに行くバスに乗ればいいのか聞こうにも、ホームも改札口も人でごった返しており、聞いてみても無視される始末。無視というよりは喧騒で聞こえないのだろう。やむなくロータリーに出て、石神井公園ゆきのバスに乗ればいいんだっけ?と思いながらひばりが丘行きのバスが来たものの、見送ってしまう。
 どれがどの路線の駅なのか・・・と悩んでいるうちに今度は久米川駅行きのバスがきた。また微妙に分からない行き先で困る。それは見送って結局飛び乗ったのは東村山行き。なんとか座れて一息つき、バス車内の路線図を目にして愕然とする。
 そうなのだ。久米川も東村山も西武新宿線の駅なのだ。ということは利用しても何のメリットもないということになってしまう。35分かけて終点についたものの、やっぱり東村山でも待ちぼうけを食らわされる始末。挙句の果てには所沢についてみたら池袋線も遅れており、1時間早く着く予定だったのが30分も遅れてしまうという大失態を演じてしまったのであった。最初のひばりが丘行きに乗っていれば・・・。西武の利用経験のなさがこれほど災いするとは思わなかったのであった。

2011/01/24(月)   瓶ビール

 出張先で交流会があった。前回の2週間あまりの出張でもそうだったが、とにかく知らない人と会うと飲む。身内の席だと全く飲まない。もうそれが定番になっており、今週も毎日泥酔しそうである。
 そういうわけでまた派手に飲んだ。全国から地酒が持ち込まれる始末で、手ぶらの自身が情けなく感じてしまう。それはともかく、一次会についで二次会、それも済めば居酒屋に10人余りで三次会に繰り出す始末。なんともまあ派手に騒いだものである。
 そのときにどういうわけか瓶ビールの話になり、目隠しをさせられた状態で瓶を触り、銘柄を当ててしまう。何のことはない、キリンを除く各社の瓶は共通で、少し膨らんだ形をしているということだけ知っていれば、宴席には一番搾りとスーパードライしかないのである。どちらがどちらかというのは容易に分かるというもの。匂いを嗅ぐふりをしながら、実は必死に瓶の形状を手探りしていたのである。マジックの種はいつも単純である。
 昔は瓶に各社のメーカー名が明記されていたが、いまやそれもなくなった。他社瓶のリサイクルでもコストがかからないようにするための合理化策の一環である。ほかにもたとえば瓶に張ってあるラベルの粘着剤の寿命は浸水条件で29時間と決まっているなど、知らぬところにいろいろと話はあるものである。小ネタが豊富な自身は寸興に富んでいるというべきなのだろうか。

2011/01/23(日)   日本のネックはどうなるのか

 パソコンと言えばPC88であった。もちろんその前には8001があり6001もあったのである。その次の時代、PC98と言えば本当にNEC全盛の時代であった。エプソンが互換機を発売していたのだが、SIPというプログラムを適用しなければ動作しないように改変されていたりした。そんな傍若無人が許されるほど、NECの優位は揺るぎないものであった。
 その後、コンパックなどが売りだしたDOS/V機が主軸になるようになり、NECもDOS/V機を発売するようになった。そのころからNECのシェアは落ちる一方。過半を優に超えた時期などいまや昔、国内シェアは19%あまりである。それでも1位であり、ライバル会社などと違いパソコン事業が一度たりとも赤字転落していないのは立派であるといえる。
 NECをエヌ・イー・シーと呼ぶのは間違いらしい。正しくは日本のネックと呼ぶのだそうな。大昔の隆盛の時代から一転、過去の繁栄が見られないほど凋落した企業はNECだけではないのだが、それでもやはり日本を代表する企業である。そのNECが中国のレノボとの合弁を設立するなどと噂された。景気のよい話では断じてなく、パソコン事業の効率を少しでも向上させて、お金をとられないようにしたいという思惑のようである。今回の話がどうなるのかは不明だが、トヨタなど他の企業の先鞭をつけるような形になるかもしれない。

2011/01/22(土)   都心の喧騒

 東西ともに在住歴が長いもので、大手私鉄というのはかなり利用したほうである。近鉄と南海と京王で通学しておりその三社に関しては相当だけれど、ほかにも阪急もよく石橋に行くのに利用したり、阪神は出屋敷に行くのに利用したりした。京阪は本線はほとんど知らないが石山坂本線は非常によく利用したものだ。東はと言えば小田急も京急も東武も京成も、もちろん営団地下鉄(現東京メトロ)もそうとう利用したほうである。
 しかしながら、西武と東急を利用した経験が本当に少ないと思う。東急はまだ何度か利用しているものの、西武の利用歴は小竹向原から練馬までのたった1度、2.6kmだけ。理由としては所沢周辺が縁遠い地域だから、としか言えないのだが、今週以降は利用機会がありそうである。
 食事を摂ったのちもそもそと新宿へ出かける。相変わらずのカオス振りに戸惑ってしまう。ひとつだけ買いたいものがあったのだが、どの店に行っても「ありません」「おいてません」の1点張り。困ったものである。ほかにも東口西口とあらゆる場所に赴き、ここ○年の変化を実感したのだった。
 そして手持ち無沙汰のまま夕ラッシュ時間、西武新宿駅へ。ラッシュのはずなのに普通に座れるというのも変わったものである。その電車に乗りかけた年配の方が電車とホームの間でつまづいて転倒する。自身も加えた4人で起こそうとするものの、おでこと口内からの出血が激しく、どうも尋常ならざる様子である。駅員たちが担架を持ち出してきてなんとか一息ついた、と思う間もないまま電車は発車。血まみれの床も鷺ノ宮で特急通過待ちをしている間にすっかり綺麗になってしまった。慌ただしく非日常をこなしながら、なにごともなかったかのように電車は定時で走り去ってゆく。

2011/01/21(金)   変化

 出張である。しばらく寒い諏訪を離れ、東飯能にいかなければならない。都内に住んでいたおりに飯能行きという電車は見たことがあったがまさか実際にいく羽目になるとは、という印象である。しかも路線図を見てみるとなぜか東飯能のほうが飯能より1駅先にある。のみならず宿泊先の都合で毎日電車を3回も乗り換えなければならず、想像しただけでげんなりである。
 それにしても埼玉は市が多い。昔から日本一であったが、いざ地名で言われるとなかなかピンとこない。分かる市など川口市、浦和市、大宮市、所沢市、川越市ぐらいのものである。合併でなくなった市もあれば増えた市もあり、もうなにがなにやらさっぱり理解できなくなっている。出先で突然どこかに行けなどと言われたときに理解できるだろうか。
 しかし市町村が分からないのはどこも同じかもしれない。長野も合併続きで、長野市も松本市も異常なほど大きくなってしまった。同じ市なのに選挙区が異なっていたりするなどいびつな構造を残してもいる。諏訪郡三市三町による大諏訪市構想は頓挫したものの、いつまた機運が盛り上がるか分からない。
 それでも変化があるというのはいつの時代もそうである。通常の業務をこなすのもよいが、たまには出張で一風変わった経験を積んでくるのが自身にとってはメリットかもしれない。変化についていけないような人間ではいつ首にされるか、分からないしね。

2011/01/20(木)   愚かなTPP参加構想

 日本のGDPの輸出依存度は16%前後と非常に低い。G7でもアメリカについで2番目に低い。そういう事実があるのに、円高になると産業が破滅するなどと声高に叫ばれる。異常としか言いようのない事態である。
 たとえば韓国などは50%も輸出依存している。マレーシアやシンガポールなどは100%を越えている。そうした国々では輸出を維持するのに必死である。たとえば韓国は為替介入を通じてウォン安を現出し、ここ数年だけで対円で2分の1になっている。輸出に関しては日本の企業より2倍有利になったということである。三星や現代などの価格攻勢にひたすら押される松下やトヨタら日本勢という構図が多くの国で見て取れる。
 それらの国々が輸出を維持する一環として行っているのがFTA、自由貿易協定である。輸出が最大の柱であり、国内の農業の痛みにはFTAによる工業製品で稼いだ補助金などでごまかすしかないのである。多くの国とFTAを結んでいるというが、逆に言えば多くの国を相手に関税権を捨ててでも工業を死守しなければならない。そこまで追い詰められているのである。
 TPPなどという言葉は去年の10月に唐突に出てきた言葉である。環太平洋などと言ってみたところで約80%がアメリカ、約20%が日本であり、他の国の入る余地など誤差の範囲である。そんな協定を結ぶということは単刀直入に言ってアメリカに対して関税自主権を放棄するということであり、愚か極まりないことである。今でも日本の関税は韓国中国などと比して低いというのに、これ以上譲歩する理由が思い当たらない。日本の農業に効率化の余地があることは事実だが、だからといってTPPとは別次元の問題である。国富を流出させる協定締結には断固反対したい。

2011/01/19(水)   政治の方向

 日本による在留米軍への負担、通称思いやり予算が5年間維持されることになった。マニフェストでは反対をうたっており、唐突な宗旨替えである。さらには経済面でも消費税増税へと舵を切っており、こちらもまた唐突な宗旨替えである。挙句の果てには政治主導の見直しまで公言される始末。前回の衆院選からまだ2年にもならない。なぜこんな短期間で方向性が変わるのか。
 鳩山前首相はアメリカに首を切られたというのはもはや常識である。普天間基地問題など、国全体としてはたいしたことがない。支持率が高いため霞ヶ関の役人は抵抗も思うに任せず苦悩していた。役人が好き勝手を行うためにアメリカに手を回したのである。そこに保守系の新聞社も一枚かんでいることも自明の事実である。
 アメリカが日本の国富を搾取し、その見返りに官僚が厚遇される。だからこの二つに逆らっては政権は長持ちしない。特に党内基盤の弱い小泉時代がまさにそうで、郵政解体、新自由主義など徹底的に国富を米政府に売った。日米は空前の蜜月関係などと言われたが、日本国民はアメリカの搾取がただ強くなる一方であるという事実に疲弊し、政権交代の一要因となった。今の与党は小沢という一議員を巡り二分しており、やはり基盤の弱い菅政権は増税で官僚に媚び、一方で基地・農業などで従米を示すことで二大要因から首を切られないようにしている。保身に徹した首相が国富を流出させるのは政権交代前と何一つ変わらない。

2011/01/18(火)   三位転落

 中国が日本のGDPを抜いたらしい。ドイツを抜いて世界二位になって以来、42年ぶりの三位転落である。
 確かに中国の成長振りは目を見張るものがある。国内に波乱要因をいくつも抱えながらも10%前後の高成長率を続けている。そのうちインドも台頭し、日本を追い抜いていくのだろう。日本にはアメリカは抜けなかったが、中国の人口はアメリカの4倍以上もある。中国が世界一のGDP国家になる日が来るのかもしれない。
 結局のところ、成長力の原泉は人口である。資本主義は際限なき拡大再生産を原点としているのだから、日本のような少子高齢化、人口減社会に魅力などどこにもない。いまは子供手当てなどの政策もあり昔ほどではないにしろ、日本の政策というのは究極的に老人寄りである。老人世代が厚遇され、そのしわ寄せが一世代二世代先の世代へ、あるいはもっと先の世代への負担となっているのだ。
 人口が増えない原因は何なのか。やはり政策が不透明なことに尽きる。政治がしっかりしていれば国民は何の不安もなく結婚・出産をできるというものなのに、いまや収入などの問題から結婚すらできない若年層が多いのである。喫緊の国内問題に背を向け、政治はどこへ向かっているのだろう。

2011/01/17(月)   オープン

 とにかく寒い。寒すぎる。日本の冬はかくも寒かったものなのかと問い詰めたくなる。なにしろ一昔前までは冬はずっと南半球にいたのだから。季節の巡りは春夏秋夏春夏という印象で、冬がないという夢のような人生であった(笑)。
 しかし喫緊の課題として今の寒さの中を過ごしていかなければならない。暖房器具こそ用いないものの、毎日狂ったようにあたたかいお茶を飲んでいる。部屋の中においてある缶飲料は凍るんじゃないかと思えるほど冷えている。もはや冷蔵庫そのものが冷蔵のためではなく、凍結防止のために用いているようなものである。
 朝、仕事にいくために車に乗ろうとするとフロントガラスが完全に凍りついている。トランクから解氷剤を出そうとしたものの、トランクが凍りついていて開かない。仕方なくお湯を持ってきてフロントガラスの氷を溶かし仕事に向かったものの、雪のせいか異常な渋滞に巻き込まれ、のみならず運転中に突然トランクがぱかっと開いてしまう始末。何が起こったのかと驚いたが、そういや朝、開けようとしていたんだった。なんとも情けない始末である。

2011/01/16(日)   寒波到来

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(写真:本日撮影。入れるロゴを間違えたw)

 今年の寒さは異常である。ドイツやイギリス、アメリカ(ニューヨーク)などで豪雪と聞いた時にはただ「ふーん」という印象でしかなかったものの、身近なところが寒いとまさに実感してしまう。もともと雪が少ない地域なのだがなにぶん高地なので冷える。そこに積雪してしまおうものなら風の冷たさが一層増し、どうにもならなくなってしまう。
 諏訪湖は全面結氷したわけではない模様だが、ご覧の通りの状態である。どんなものかと湖面にまで行こうとしたものの、新雪のせいで足元がおぼつかないため中断。今日は水鳥もおらず、なんとも味気ない風景である。
 行き来する車が揃いも揃ってノロノロ運転、しかもどの車も例外なく側面が泥だらけになっている。冬の車の汚れ具合はとにかく異常である。先週も洗車したのに、と思いつつ洗車しようとすると屋外の水道は凍りついていてどうにもならなかった。温泉水で洗車という贅沢なことも可能なのだが、55度と高温なうえ潤沢な鉄分を含んでいて何が起こるか分からないので怖い。これ以上寒くなるといったいどうなるのやら。

2011/01/15(土)   自信の根拠

 知らぬうちにいろいろなものを比較していると書いた。自身が英語ができるといわれれば、それは日本の平均的なレベルと比較すればできるほうなのだろう。だから英語ができるといわれれば「はい」と答える。ただ、ペラペラというようなレベルとは程遠いので「英語ペラペラですよね」と聞かれると「違います」と答える。
 英語がペラペラというのは電話などの応対で突然全く知らない話題を持ちかけられても普通に物事を解決できるレベルだと思っている。もちろんスピーキングの速度もネイティブの自然な速度で、である。ゆっくり話してもらったり、ところどころ聞き取れないところなどを質問したり、というのはすでにやり取りとしては破綻しており、そんなものは実用英語とは言えないと思っている。
 英語はできない、文章はかけない。そんな自身でも一部では強い自信を持っている分野がある。たとえば会議の司会など。アナウンサーあがりのプロなどには到底及ばないに決まっているが、それでもいつもそつなくこなしているし、苦手とも思っていない。ほかの人と比較することなく、無条件で自分自身に全幅の信頼を置いている。
 人によっては思い上がりだ、無謀だ、などと思うかもしれない。しかし自信というのはしょせんそんなものなのである。自分を信じることに根拠も比較も不要である。文字通り自分自身を信じることが原点である。

2011/01/14(金)   結氷

 とにかく寒い。朝起きるとマイナス10℃なんてことが普通にあるだけに怖い。今年はまだそこまではいっていないものの、連日でマイナス8℃などだったりするので困る。あまりにも寒い故、かえって暖房器具を使わないほどである。なぜなら暖房器具を使ってしまうと部屋から出るのが億劫になってしまうからである。
 諏訪湖の近辺を見ていると鳥が飛んでいる。普通に湖面に着陸したりしているので、かなり広範囲にわたって結氷しているのだろう。昔は氷に穴をあけてわかさぎ釣りを楽しむ人もいたようだが最近では見かけない。アイススケートなども行われていたようであるが最近ではやはりない。氷の厚みが薄くて破裂すれば大変なことになりそうである。
 茅野のほうでは学校の校庭を凍らせてアイススケートの授業を行っているところもある。寒さを生かして凍り豆腐を作っていたりする。いろいろな応用があるものだ。蕎麦がおいしいのも寒さゆえグルテンの分子量が適切な大きさに揃うためであるし。夏は猛暑でみかんを始めた農家もあるというし、実にさまざまな光景がみられるものだね。

2011/01/13(木)   複雑怪奇

 自身は単純な人間である。何をするにしても極限まで単純化することにしている。判断の基準もシンプル極まりなく、自身に利得をもたらすか、否か。言いかえれば自身に金をもたらすか、あるいは自身から金を奪うか(笑)。それ以外の判断基準などない。面倒くさいことはシャットアウトである。
 そういうわけで銀行口座も都市銀行と地方銀行で1つずつしかない。郵便局の口座を持っていないというと「ええっ?」などといわれるのだが、事実としてないのだからどうしようもない。コンビニもいつも使うのはファミリーマート。お茶を買うときは爽健美茶で炭酸飲料を買うときはコーラゼロ。決済の手段も優先順位が決まっており、クレジットカード、プリペイドカード、電子マネー、現金の順である(店や金額により多少の前後はある)。ガソリンを入れるところもいつも同じ。買い物をするスーパーも2店に決めており、ほかの店に行くことがない。
 そんなふうになんでも単純化している自身だが、パスワードだけはどうしようもない。電子申告納税のためにいろんなパスワードが必要になったのだが、もう1年前のことを思い出せない始末。これも歳というものか。あてずっぽうでパスワードを入力してみたものの3連続で失敗し、市役所に再設定に行かなければならない始末である。かと言って紙に書くと怒られるし・・・・。しかしさすがにセキュリティ上の問題があるので、単純な設計にしろと要求するわけにもいかないか。

2011/01/12(水)   いんちきキャンペーン

 パソコンを買いなおしてしまった。何かと物入りなものの、動作中に突然シャットダウンするようになっては話にならないというもの。そういうわけで旧PCを脇に放り出し、現在はミニノートを17インチのディスプレイに接続して使っている。こうしておくと何かのときの持ち歩きにも便利である。
 そのPCを買う時にも迷った。何しろどの会社も「今だけ限定!」「あと○○日!××キャンペーン!」などとなされている。その期限が終われば何もお得じゃないのか・・・といえばそんなことはなく、また別のキャンペーンが行われる。そういうわけでPC販売業者のサイトは常に「今だけ限定!」なのである。
 今年も確定申告の時期がやってきてしまった。例年のごとくe-taxにて申告する。そういえば電子納税が開始されたとき、2年間限定で5000円のキャッシュバックが受けられた気がする。そのときはありがたいと思ったものの、実は一昨年も去年も、それどころか今年も相変わらずその5000円キャンペーンは続いているのであった。パソコンサイトのものはメモリ増設、ハードディスク増量など中身が微妙に違うから看板に偽りなしとしても、国税庁のものは行為(電子納税)と対価(5000円)が全く同じままである。こういうものは国家的詐欺ではないのか、という疑念を抱きつつも、これだけキャンペーンが続くのであれば既利用者ももう一回ぐらい5000円引きにしてほしいと願うのであった。

2011/01/11(火)   最大不幸社会

 つい最近行われたはずの総理を決めるための選挙で、一に雇用、二に雇用、三に雇用とただ叫んでいただけの人がいたような記憶がある。はたしてその後、雇用のための政策がなにかなされたのかといえば何もなく、失業率も改善の兆しが見られないままである。ちなみに日本は失業率のカウントが甘く、日本の失業率5%はアメリカ並みで計算すれば同10%とも言われている。
 そのアメリカでは毎月第一金曜日に政府による雇用統計が発表される。株価や為替の動向を左右するもっとも重要な指標であり注目度の高い指標であるのだが、今月は失業率が9.4%と0.4%も改善していた。
 雇用の改善や製造業の好転などを受けて米株は買われ始めており、ダウ指数は2年半ぶりの水準にまで回復した。ダウの史上最高値はほんの3年ちょっと前のことであり、下手をすればその水準にまで手が届くかもしれない。なにしろ今の株式市場はインドと南欧を除いて5歩進んで1歩下がるという状態であり、日本とて例外ではないぐらいである。
 しかし失業率が依然9%もある国の株価指数がさらなる高値、下手をすれば史上最高値をうかがうような展開になるなど疑念を禁じえない。国民の10〜11人1人が失業で困ろうが、どうでもよいという考えのようである。ごく一握りの富裕層のみが優遇され、残りは涙する時代。そんな社会が幸せなのだろうか。日本もろくな政策議論もないまま消費税増税なんてことになればさらに不幸な社会に一歩近づいてしまうのかと思うと怖くなってくる。

2011/01/10(月)   試食

 スーパーやデパートに行けばたまに試食が出されていたりする。たまには食べてみて非常によいなと思うこともあるけれど、ほとんどの場合は何を買うかを決めている自身が衝動買いすることはない。もぐもぐ・・・ぽいっ、という印象であろうか。もっとも、その時に買うことは少なくても、後日の選択肢に入る可能性があることは事実だし、そうなったことなど何度もある。念のため。
 一方、ほとんどコンビニには行かない。せいぜい行ってATMの利用のためだろうか。何かと物入りなもので出金ばかり。もちろんATMの利用でもコンビニは手数料収入を得ることができるので利益になる。300円ぐらいの買い物をする利用客よりは店の利益に貢献しているというのも変わったものであろうか。
 そのめったにいかないコンビニで、毎日の日課でありながら食べ損ねた野菜サラダを買ったときのこと。なんと数種類のパンの試食が。いずれも新製品なのだというが、揃いも揃って並の味であった。値段と比較すれば割高感が否めなくなり首をかしげながら店を後にしたが、コンビニでまで試食が出されるとは驚きである。単に賞味期限切れの商品を切っただけなのかもしれないけれど(笑)

2011/01/09(日)   スマートな旅



 突然峯村清月堂のあんばたどら焼きが食べたくなった。困ったものである。諏訪から須坂までは約100km。気楽に行ける距離ではないというのに。それでも自由の利く身というのは大きなものである。ついでなので久々に信州の小京都、小布施まで行くことにした。
 どちらの場所も熟知しているのだが、せっかくなので昨日付けたカーナビを活用する。やはり非効率な道を案内されるので困ってしまう。小布施のスマートICを出たのち、右折する道もなにか違う気がして無視してしまう。地元ならまだしも、出先でまで無視されるカーナビというものに意味はあるのだろうか。なんなく小布施まで到着。冬であり人出も少ない。それでも福栗焼きは30分待ちなど、小布施らしさを垣間見ることができた。
 泉石亭で食事。雪の降る中なのであったかい食べ物がとてもおいしく感じる。大振りな海老天が贅沢な一品であった。そこから峯村清月堂に向かい、コーヒーあんばたどら焼きを購入する。あんばたとはあんことバターが入ったどら焼きという意味である。念のため。ついでに至近の東洋堂に赴きチーズどら焼きを買おうとするも売り切れ。いつ行っても売り切れているのだが、本当に売っているのだろうか。
 その後、吹雪の様相を見せる姨捨スマートICに向かうも、ナビで案内される道が完全に凍っている。やはり自身が知っている道で来るべきであったと後悔するも、そのまま強行突破。帰りは12月前後に開設された梓川スマートICで降り、松本市内で買い物をして帰宅。都合3回もスマートICを利用するという行程になったがこれも珍しいものだろうか。諏訪湖SAにスマートICができれば4度ともになっていたのだが、構想は実現するのであろうか。

2011/01/08(土)   カーナビ

 自身の車には必要最低限の設備しかついていない。なにしろ生まれて初めて買う車であり、ほとんど練習のようなものである。どこかに旅行に出かけたりとか遠出したりとかそういうことをすることがなく、一度天童に行き一度千頭にいったときぐらいのことである。
 たまに他人の車に乗ったり乗せてもらったりすると実にまあいろんな設備がついていたりするものである。ああこれは良いな、と思ったのはリアカメラ。バックがへたなわけではないが、子供が多い地域なのでどうしても怖くなる。ほかにもカーナビがついていたりすることもあるが、どれほど便利なのかよくわからなかったのが正直なところ。それでも遠出する時は便利なのかもしれない。
 しかし純正のカーナビというのは15万円とか30万円とか、よくわからない値段がついている。牛革シートもやはり同様の値段なのだが、あれの原価率が1割ということはよく知っているのでカーナビを付けるのも躊躇してしまう。本当に値段相応の価値があればよいが、なかなかそこまでは難しいだろう・・・と思っていたが、ひょんなことから剰余の外付けカーナビを入手したので付けてみる。道案内が国道などの幹線重視であり、自身がいつも使っているようなローカルな道は一度たりとも案内されなかった。ナビにだまされた印象である。

2011/01/07(金)   新年会

 職場で飲む機会が少ない。歓迎会、暑気払い、忘年会、新年会、送別会の5回だけである。もっとも昨年のように新人がいなければ歓迎会など開かれないし、去る人がいなければ送別会も当然ない。寂しい職場といわれるかもしれないが、飲む時はめいめいで飲みに行けばよいのである。全員で集まるメリットというものを感じないのが実際のところである。
 新年会はいつも泊まりで行われる。このご時世にと言われるかもしれないが、それは自身とて思っていることだったりする。会費はもちろん自腹。しかも今年は昨年と同じ温泉旅館である。年に1度のことなのだから違う旅館にすればよいのに・・と思う。
 相変わらず飲むことなど全くなく、ひたすらウーロン茶とキリンレモンをあおっていただけであった。露天風呂にのんびり3度も浸り、マッサージチェアに腰掛けてくつろぐ。二次会の部屋に行くと煙草の匂いが充満しており早々に退散。次に飲む日がくるのはいつなのだろうか。

2011/01/06(木)   牛丼の世界

 牛丼を食べることなど滅多にないが、それでも年に数度は行く。慣れない利用者としてはメニューがいろいろと増えたなぁと思うのだが、慣れた常連客ももちろん居て「ねぎ抜き」「つゆだく」などと注文している。ねぎ抜きはたまねぎを抜くことであり、つゆだくというのはつゆを多めに入れてもらうことらしい。
 そんな隠語のような注文だが、業界ではほぼ共通語になっているようであり、どこかのチェーンでしか通用しないということはないらしい。牛丼業界といえばいまは主に三社の争い。吉野家、ゼンショー(すき家・なか卯)、松屋フーズである。昔の牛丼は並盛でも400円はしたが、それがいまやすき家、松屋では300円弱、吉野家でも380円というのだから驚いてしまう。牛丼は1杯売れても利益は3円にもならないというのは過去に書いたとおりであり、ひたすら客数を増やして捌いていく、というところがこの商売の命綱になっている。
 客層を広げるためなのか、また牛丼(牛めし)が240円に値下げされるという。もちろんライバルも追随。売れても赤字になりかねない価格水準であり、一時的なキャンペーンで客を呼び固定客を増やすという目論見があっても、どこまでその思惑通りに事が運ぶのか、分からない。個人的には安くしてくれるよりもっとおいしい食事を食べたいものだと思うけれど。このままでは業界全体がつゆだくならぬ、つゆに埋もれて露と消えてしまいかねない。

2011/01/05(水)   安さの基準

 あらゆるものは比較を前提にしていることがほとんどである。「彼女は背が高い」という一文にしても、誰よりも背が高いのか。普通の文脈であれば「平均的な身長の人より」高いのである。職場の中で「彼女の給料が高い」といえば、比較対象は「同僚など、同じ会社の社員の人たち」である。たまに「彼女の(能力の割に)給料が高い」という意味でも使われることもあるので紛らわしいが、だからと言って安易に勘違いしないようにしたい。明示されない比較対象を常に把握するべきである。
 値段を気にする人は多い。数円の差のために自動車で遠出して結果的に無駄遣いする主婦の話を書いたことがあるけれど、もっと物事を総合的に考えなければいけない。ガソリン、時間なども見えないコストである。その差が数十万円、数百万円になるような大きな買い物、たとえば自動車や家などがそうだけど、そういう商品であるならばそれぐらい慎重に検討するのは理解できるのだが。
 新年早々、また円高が進みそうな雲行きである。1ドル80.0円台、1ポンド125円台に突入したりした。これも単純な視点で言えば「ドル(ポンド)は安い」にあたるのだが、では何より安いのか。あくまで「今までより」安いだけである。もし今後もドルやポンドがどんどんと安くなれば、安いように見えている今購入したとしても将来から見れば「かなり高い」買い物になってしまう。もっともそれはほかの買い物でも同じこと。冬物が今は安く見えても、2月になれば在庫セールでもっと安くなるのは目に見えている。もっともそのときまでその商品が売れ残っている可能性というのは別問題なので、単純に待つのが良いとも言えないのがネックである。
 あくまで「自身が納得できる値段」であれば買い、そうでなければ買わないほうが良い。そして、「自身が納得できる値段」の算定根拠はあくまで経済的・心理的なメリットであるべきであって、少なくとも過去の価格推移や値下げ率などではないことに留意したい。高い買い物だったと嘆くのはいつも後になってからである。

2011/01/04(火)   カロリーの話

 たまに異常なほど食事を減らしている女性に出くわすことがある。ついこの間もお昼に麺類を半人前、夕方は焼き鳥一串という人がいた。朝食を入れてもどう考えても摂取カロリーは1000kcalに満たない。基礎代謝に満たぬカロリーでは身体ががりがりになってしまうよ、と助言もしたものの見向きもされぬ始末。痩せた体型を維持するためにどうしてそれほど食事を減らせるのだろう。
 昔書いたことだが、京都のジムでモデルの女性がいた。身長160台半ばなのに体重はどうみても40kgもない。その人はジムが開く朝の7時から有酸素運動をみっちり1時間半行い、夕方も2時間みっちり行って帰っていく。1日当たりの運動消費カロリーはざっと3000kcalといったところだろうか。たまに一緒になったときに自身がムキになって運動しても、この人にだけは全く追いつけなかった。
 毎日これだけ運動していればいくぶん多めに食べても太ることはありえないだろう。いや、むしろ摂取カロリーは4000kcalは欲しいところであり、毎日焼き肉でもOKかもしれない。しかしあれだけストイックに運動しているだけあって、そんな食事をすることもないんだろうなあ、と思っていた。運動すれば痩せる、ということは誰もが認識している真理なのだが、行動に移せる人はほんの一握りである。
 普通の人はカロリーなど気にせず普通に食べて、それで体型に変化がなければその生活でよいということ。そこで太り始めるのであれば食べる量を減らすか、運動するかの二択を迫られるわけであるが、まだその段階でもカロリー計算など必要ないかもしれない。厳然とした数字でカロリーは表示されているけれど、摂取した分が100%内臓で吸収されるわけでもなく、体調にも依存する。カロリーを気にしすぎると別の病気になってしまいそうで怖いのでお勧めしない。

2011/01/03(月)   収支計算

 毎日原油と純金の価格をメモしていることは公然の秘密である。そんなデータに何の意味があるのかと聞かれるかもしれない。日足チャートなどもそこらじゅうにある時代である。それでも自身で記録を付けているということが大切である。チャートだけではいつ何が起こったのか分からないからだ。日々の出来事をまとめておくだけでも大きなもので、はっと読み返したい気分になったときに助かる。
 しかし記録を付けているのはそれだけではない。何にいくら使ったという家計簿はもう長い間つけており、累計データなども簡単に引っ張ってこれる。趣味でも費用対効果で合わなければやめるし、太りつつあるのは食費がかさんできているからだな、などと因果を分析するのにも使える。便利である。
 去年1年間、ジムで74678kcal運動した。どこまで精度があるのか不明なのでまあざっと74000としても、だいたい体脂肪10kg分である(体脂肪は1kg=7700kcal)。しかしそれでも自身の体つきをみると違和感がある。じゃあもう1年前は、と振り返ってみると105177kcal。運動量が3分の2になった格好である。2年前のバランスでちょうどよいとしたら去年1年では約4kg太る計算になり、ちょうどそれだけ太っている。なんともぴったりしすぎていて怖くもなるが、これもデータのありがたみというものか。

2011/01/02(日)   新旧交代



(JR東日本の首都圏エリアでは10年以上前に引退している古い通勤形電車はJR西日本エリアでは現在でもバリバリの現役である。)

 東京の中央線で旧型の201系が完全に引退し、新型車両に置き換えられた。ほかの山手線や京浜東北線などではとっくに新型車両が導入されている。とくに引退した京浜東北線の車両(209系)は6両編成に組みかえられたまま長野にも数編成が打ち捨てられているのだが、いったいどうなっているのだろう。再利用するにもどの路線で起用するのか、いまいち判然としない。
 一方、大阪では新型車両は少ない。いまや随一のドル箱路線である東海道・山陽線のみは225系が投入されるなど新陳代謝は激しいが、大阪のど真ん中を走る大阪環状線ではいまだに201系や、その前の103系という古い電車が現役で走っている。同じ車両は阪和線にもあり、快速運転などのときにはいまにも壊れそうな音を立てて走るので不安になる。
 なぜ大阪環状線には新車両が入らないのか。ダイヤは現在は10分ごとであり、一周が40分ちょうどであるからである。新型車両を入れて数分早くなっても、どこかで時間調整をしなければいけない。そのため古く遅い車両でも十分なのである。
 しかし今春の改正で15分おきのダイヤに変更されることになった。となれば当然どこかで5分を無駄遣いしなければいけないわけであり、いったいどうするのだろうと思っていたらなんと、いまは大阪環状線の電車は途中で10分も無駄遣いしながら1周50分で運転しているというのだ。その無駄が5分で済めば、ダイヤ改正上は都合がよいということになるのか。うーむ、知らぬということは怖いことである。ただ、知ったところで、新車両導入は当分ありえない話であるというのは変わらないのがある意味うれしく、ある意味で悲しい。

2011/01/01(土)   消えるおせち

 完全に私事であるが、本当の年の瀬に祖母がなくなった。肺炎である。百間際でありながら元気であったのに、やはり加齢による免疫力の低下は相当というものなのか。悲報は不意にというが、本当に悲しいことである。
 そんなこんなで例年になく慌ただしい年明けである。日本で正月を迎えることになったのはいつ以来なのか分からない気がする。おせち料理というものが箸に付かない始末であり、なんだか心境は外国人になった気分である。祖母のおせちはよかったものだと懐かしんでしまう。
 一方、今の若い女の人たちは料理などほとんどできないため、いまやおせち料理まで外注という時代であるらしい。昔から百貨店のおせちは知られていたが、いまやコンビニチェーンでも買える。もっとも、おせちはすべて宅配ではなく引き取りである。荷崩れ、型崩れを起こさないためである。
 しかしそんなおせちまでネット販売されたというが、一部のネットおせちでは具材が腐っていたり、見本のものと著しく違っていたりしたそうである。画像などもみてみたりしたものの、まだそれでもおせちの片鱗があるだけましなのかもしれない。心理学者である岩村暢子の調査によると、いまや3軒に1軒以上の家庭ではおせちが出されず、もちろんお雑煮なども出されず、レトルトカレーやカップめんなどが食されているというのだ。日本の文化はどこにいくのかと不安になる。

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