せっきーの世紀末

/(^o^)\日本ヲワタ/(^o^)\

2010/06/30(水)   増頁

 契約を更新したときには全然意識していなかったのだが、このサイトは200MBを借りていたはずだった。それなのに封書が届いて開封してみると料金はそのままでなぜか1GBになっている。あれ?という印象であった。そういえば一番最初は50MB、次いで100MBになったんだっけな。
 このサイトの基本はテキストである。それなのに120MBもある時点で異常と言えば異常だろうか。自身がネット接続を始めたころ、5MBのサーバを借りるのに月3000円、つまり年に36000円もかかったのであった。そんなに費用負担をすることができず、やむなく大学でコンピュータ関係の教員補佐になることで100MBをただで借りていたのを思い出す。自身ができたものなどC++、Pascal、pdf(当時はpostscript)ぐらいのものであったが、分からないことは他の補佐に聞いていた。
 しかし1GBまで増えても・・・という印象である。ストリーミングが流行っている時代である。いくつかの動画ぐらいであればアップロードすることができそうだ。たとえば日本の戦国時代をモチーフにした武将風雲録というゲームのシナリオ2で、自身は姉小路頼綱という弱小大名を率い1573年11月に天下を統一している(2006/07/04)。シナリオ開始時は1571年3月であり、弱小の飛騨一国しか治めていないというのに。。何か難しいゲームでもプレイしてみるのもいいかもしれないと思い、画像込で35MBほどプラスしたのは今月21日のこと。時代が変わったと思わせる。なかなか贅沢なものだ。

2010/06/29(火)   終焉の刻

 始まりがあれば終わりがある。サッカーW杯の日本代表がパラグアイにPK戦の末、敗れた。前評判を覆す快進撃ということではなく、海外で初の1勝を上げられたことでも拍手を送りたい。
 識者によっては散々な評価を下している人がいるのも事実である。カメルーンは個人プレイでチームが崩壊状態、デンマークも主力の故障・衰えが隠せないなか勝ちあがりは当然、なぜパラグアイに勝てないのかといった具合である。しかし1戦勝負となれば番狂わせも付きものというもの。勝ちきるだけでも大変であろう。
 しかしなぜ日本はこんなに快進撃できたのだろう。自身のように、あたりが良かったというのもあるかもしれない。リーグ戦しかり、決勝トーナメントに出てもパラグアイはFIFAランキングでは決して上位と言えないチーム。欲が出ても無理もない状態だろうか。ここでブラジルやポルトガルと同リーグに入っていたりすればリーグ開幕前からあきらめムードというものだろう。北朝鮮はそのシビアな組に入り0−7敗北など散々な結果ではあったが、プレイそのものは韓国のものよりも実直でスポーツマンシップに富んでおり、さわやかなものであったように感じた。
 負けたという結果は誰しも、受け入れなければならない。そうしてはじめて次へのステップを踏み出せるのだから。プロ野球でもメジャーに出る選手が増えたがサッカーのほうはもっと多く世界で活躍している選手がいる。次回の日本代表の活躍がにわかに楽しみになってきた。

2010/06/28(月)   値切り交渉

 ひょんなことから小型モーターと電池ボックスを買いに行く。小型モーターというのはマブチモーターのもので、昔はどこのおもちゃやでも見かけたものである。とはいえもはや商店街という文化が廃れており、おもちゃやというものがない。トイザらスに赴いたがそんなものは単品では扱っていないという。かと言って組み立てキットを丸丸購入するわけにもいかない。電池ボックスもしかりである。
 そんなわけでいまやメイド街と言ってもいい電気街に赴き、パーツ屋を根こそぎ漁っていく。アマチュア無線がブームだったころを思えばこの手の店も激減したものだと思わされる。工具屋はまだ比較的残っていたが電子店は本当に少なくなっていた。
 そんななか、やっと扱っている店を見つける。マブチのモーターもいろんな種類があって懐かしいものだ。数字が出力を示しているという単純なもので、その店ではその数字そのものが値段になっていた。FA130なら130円といった具合。電池ボックスも単1から単5、9Vのものまで揃っていた。単5のひとつなんてものもあるのか、といろいろと驚いた。
 わけあって大量に買いたい旨を伝え、値切ろうとする。そうしたら店主いわく「テレビとかパソコンみたいな何十万もするもんじゃなくて、単価100円そこらのモーターとか単価数十円の電池ボックスを値切るんかえ?」と驚かれる。もはや値切りというものは文化ではなくなっているのだろうか。古い大阪人というものだろうか。

2010/06/27(日)   運の賜物

 わざわざ遠出してとあるオセロ選手権に出てきた。予選はスイス式リーグである。スイス式というのは勝ち+1、引き分け0、負け−1としてトータル成績の近い者同士をあてていくもののことを言う。たとえば2戦して連勝が4人、1勝1敗が8人、2敗が4人いたとすると3回戦は連勝同士の2戦、1勝1敗同士の4戦、連敗同士の2戦となる。ただし、既に対戦している人同士は当たらない。
 そんななか、くじ運に恵まれたのか調子よく3連勝。4戦目は全勝同士で落とすも、その後も1勝を増やし4勝1敗。全体がもたついておりなんとなく欲が出るタイミングではあるが、システム上対戦相手はどんどんシビアになるばかり。その後の2戦でなんとか1勝でき、決勝トーナメントに出ることができた。
 準決勝は30手目までほぼ定石の手順。オセロと言えば必ず60手で終わるわけであり、30手目までの定石というのはかなり長いほうである。未知の変化というわけではないがそこで手を変え力戦に持ち込む。というのは綺麗事であり、実は研究合戦に自信がなかっただけである。直後に相手が凡ミスを犯し勝利する。
 そして決勝は本割で負けている相手。わずか12手目で前例の少ない変化に飛び込む。これも先ほどと同様、撹乱でしか勝てないと思ったため。とはいえ結局は似たような定石に戻ってきてしまい緊迫した争いとなったが、とにかく1手1手最善を尽くして打ったつもりであった。勝ったと確信したのは残り6石になってから。37−27で勝利を収めた。
 心底ショックだったリーグ全敗の出来事からどれぐらい経ったのだろう。不調も三年続けば実力などと言われるけれど、今日は本当に一息つけた格好である。勝つことは偉いことだ、とは将棋の塚田名人の名言。オセロではないが今度は友人が選挙の日に大舞台を戦うという。緊迫したゲームを勉強する良い機会だろうか。

2010/06/26(土)   変わる放送

 少しの間ではあるが、民放のアナウンサーの教室で演説のレッスンを受けたことがある。声も容姿も非常に若々しく、電話などでは20代などと言われることも少なくないそうだが、還暦などとっくに越していた方。間の取り方、伸ばし方、展開など勉強になることだらけだった。放送禁止用語なども非常に細かく教わった。
 化学に従事しているもので時折困ったシチュエーションに出くわすことがある。たとえば液体の揮発などで重要な部品の内部が劣化することを防ぐため、取り外した部品にふたをすることがある。これを目くら栓と呼ぶのだが、あいにく「目くら」は放送禁止用語。良いことかどうかは別として科学的には当たり前のように使われている言葉だが、論文に出すと訂正を求められる。ほかにも馬鹿チョンカメラや気違い、床屋、看護婦なども差別用語であり使用禁止。入試の「足切り」や派遣労働者の「首切り」も縁起が悪いため禁止。それぞれ(二)段階選抜、解雇としなければならない。他にも例えばサッカーの自殺点のように既に別の言葉(オウンゴール)と切り替えられた例も枚挙に暇がない。
 韓国とウルグアイのW杯をよりによって実況で聞いていた。ウルグアイがスアレスの見事な2ゴールで快勝したのだが、あのNHKの実況はいったい何なのだろう。放送禁止用語はいっさいなかったのは90分を通じて思ったことなのだけれど、放送全体が不快感を与えるものであったようにしか思えない。放送のあり方についての検証と再発防止を至急求めたい。

2010/06/25(金)   外国語と外来語

 外国語は難しい。1年も住めば何とかなると思っているような人たちもいるみたいだけれど、とてもそんなレベルではない。はっきり言って海外に居ても何も話さなくても生活できる。いつも必要になるスーパーなどで聞かれるようなことは決まったことばかりだし、契約などでたまにどうしても意思疎通が必要なときに困る程度である。
 だからと言って外国語を誤訳するというのはどうなのかと思う。いまの新聞はレベルが落ちたもので翻訳技術がないのか、あるいはわざと誤訳しているのか分からないけれど誤訳のオンパレードである。ワシントンポストに日本の報道は悪意に満ち異常だなどと書かれるのも頷ける。
 しかし個々の単語となれば話はどうだろう。アムステルダムだなんて日本人しか言わない。アムスタダムである。マクドナルドというのも藤田田が考えた発声(3語+3語が日本人に合ってると藤田は考えていた)。マクダーナルズが正解である。「マック行こっか?」「マクド行こや」ではなく、「ねえマクしない?」「ダーナルズいかへん?」うーん。絶対流行らないな。
 自身が中学生だったころ、国語と社会のテストのみ満点を取ったことが無かった。たまにここに書き込む某知人は500点(全教科満点)なども取ったことがある秀才だというのに、自身といえば情けないものだ。そのうち社会のテストで1度だけ1問間違いの98点だったことがあり、「最初にアメリカに渡った探検家は?」という問いに自身は「クリストバルコロン」と書いたのだった。
 イタリア人でありクリストバルコロンと発声するのは間違いない。猛抗議する自身に対し当時のI先生は「だからお前は馬鹿なんだ。外来語は教科書に書いていることがすべて正しい。」と断言されたことを覚えている。教科書に書いていることだけが正しいとは今でも思わないけれど、外来語は日本語という論理には新鮮さを覚えたのであった。まさにコロンブスの卵というものであろう。きっとオランダの首都をアムスタダムと書いたらバツをつけられたに違いない。

2010/06/24(木)   日本の首都と県庁

 長野の県庁所在地は中野であった。東京都ではない。中野市である。中野市と言ってもピンとこない人が多いだろうから説明すると、長野県の北部にある市であり、湯田中・渋・地獄谷などの温泉地の近くである。しかしその後、長野県では分裂の機運が起きた。なにしろ南北に長い県である。深志(松本)城下町をはじめ力のあった地域が独立を考えたのも無理はない話。中央部の長野に県庁を移し中野県から長野県と改称することにより分裂の危機を免れた。
 ところが日本の他の地域では江戸幕末は貧困にあえいでおり、県庁を城下町そのものとしたケースがほとんどで、それを移転することなく現在もそのままというのがほとんどである(金沢、大阪、名古屋、松山、松江など)。そう考えれば昨日の世界の首都のケースも同じというものか。日本の計画県庁というのは長野以外では以下の例ぐらいしかないだろう。
 栃木県は栃木県と宇都宮県が合併するにあたり、県名を栃木に、県庁を宇都宮にした。(長州藩)山口県は石見銀山などの関係から城下町は日本海側の萩に置くように江戸幕府に一方的に決めつけられていたが、交通の要所は瀬戸内側の山口であった。廃藩置県にあたりこれ幸いと山口に県庁を移した。このあたりは現在の市町村合併でも似たような例はあるだろう。
 最後に、口蹄疫が猛威をふるう宮崎県。戦国時代は伊東氏の飫肥城が中心であったが、江戸時代になり延岡、高鍋にも有力城下町ができた。そのような背景から県庁を南北いずれに置いても長野のように分裂の危機を招くため、中間に宮崎市を新設し、県庁を置いた。長野との違いは、松代城下町の長野とは違い、宮崎は城下町ではないということ。経緯はキャンベラ方式である。
 現在は遷都どころか県庁の移転すらいろんなしがらみがあり実現可能性は乏しいが、やはりいずれにせよ考慮しなければいけないときがやってくるだろう。国会や各都道府県会議会においては議論を深めてほしい。  

2010/06/23(水)   首都機能

 ワールドカップの行われている南アフリカ共和国。18世紀から19世紀にかけてスペイン戦役で活躍したべレスフォード将軍がケープタウンに入植の足がかりを作った国であり、現在でもイギリス連邦加盟国である。ケープタウンといえば南アフリカの立法都市。行政都市はプレトリアであり、司法都市はW杯の会場の一つであるブルームフォンテーンである。しかし南アフリカと言って真っ先に思いつくのはヨハネスバーグ。世界各国を旅した身だが、ヨハネスバーグ行きの飛行機を待つ空間というのは独特であり、見た瞬間に「あっヨハネスバーグ行きだ」と分かるのである。
 そのように首都機能が3都市に分かれている南アフリカであるが、世界的にはあまりないケースである。リオデジャネイロやサンパウロの肥大化に悩んで作られたブラジリア、メルボルンとシドニーが綱引きした結果として誕生したキャンベラぐらいなものであろうか。そういえばアメリカの首都も最初はニューヨークであり、フィラデルフィアに移転したのちにワシントンDCへと移った。元首都のニューヨーク州の州都ですらそのニューヨーク(800万人)ではなくアルバニー(9万人)となっている。カナダもモントリオールがフランス語都市というだけで首都になれず、中間圏のオタワである。スイスもチューリヒではなくベルン。しかしアジアではその手の話をあまり聞かない。マレーシア(プトラジャヤ)ぐらいだろうか。
 韓国で前政権の掲げた首都移転案の中止案が否決された。さてどうなるのか。民族的に韓国人は都会大好きであり、都会に住んでいることがステータスになる人種である。世界各国で韓国人を見かけるけれど、人口数万ほどの都市になればほぼ見かけない。ソウルの肥大化は深刻であり東京以上の人口がまさに一極集中状態である。しかし日本とて一極集中の首都機能はどうするのか、議題に上りこそすれ具体案は全く進まない。どうすればよいものか、考えさせられる。

2010/06/22(火)   Not too late

 夏休みに工作などと称してものを作らされることがあった。不器用な自身にとってはあれがなによりの苦痛であり、歴史絵巻や本棚やスマートボール台などを作ったりもしたけれど何を作っているのかわからないなどと散々な言われっぷりであった。もちろん同級生をはじめ下級生にも素晴らしいものを作る人たちはいて、スイッチ式のびっくり箱やヘリコプターラジコンを作ったりしていた人までいた。
 そんな自身が電子部品屋に行ってパーツを買い集め、つまらないものを作ろうとしている。業務の関係でありなにを作ろうとしているのかは書けないのだが、いろんなものをやってみるとそれもまた面白いものだと思わされる。どうしてこどものころにこうした面白さを持てなかったのだろうとも思うが、それは仕方のないこと。何かをはじめるのに遅すぎるということなどない。ほかにも様々なものに対してアンテナを張り続けていたい。

2010/06/21(月)   鶏肉のお寿司

 生の鶏肉が好きである。馬刺しなどはよく知られているけれど鶏の刺身というものの知名度などほぼなく、生の鶏肉を食べたいなどというとひどい反応を示されることも少なくない。しかし実際に取り扱っている店など本当に少ない。種類を何種類か置いてあるような店となると全国でもほんとうにないかもしれない。
 大阪といえば天下の台所。少年時代を過ごした地であり思い入れも深い。おいしいものもたくさんあるがなによりも量が多くて安いのが大阪のよいところである。とは言え自身がいたころと現在とではお店の様相も大きく変わり、景気情勢の悪いこともあいまってなくなったお店も増えた。
 そんな中、難波にあるとある寿司屋に出かけた。この寿司屋は回転寿司ではなくカウンター風のいわゆる昔風の寿司屋なのだが、メニューに若鳥と鶏刺身があるのである。長野と違い新鮮で美味の海鮮ネタもさるものながら、この鳥のお寿司が絶妙においしい。訪れるたびに何貫も注文し、会計は1万円近くなってしまうのである。まさに半年に1度ほどの贅沢というところだろうか。

2010/06/20(日)   再契約

 世の中は契約だらけである。正式な書面を交わして行う不動産取引などはもちろんだが、そうでなくても信用で成り立っていることも多い。たとえば結婚がそうである。衝動的な結婚もよいのかもしれないが、信義にもとる行為などを契機として破たんすることも珍しくなくなっている。
 このサイトの目的は自身の文章力向上であり、それ以外は瑣末なものである。ほかの人がネットで公開していないものを公開しておくことにはそれなりの意義があると思いしているが、本来は日記タイプのものはWEBには向かないと考えている性分である。ユーザーは1ヵ月〜1年に1度来て、全部のデータを持って帰って家でオフラインでじっくり見てもらえればよい。そういう思想を抱いていた。もっとも、現在はネットに接続するコストが激減したため、頻繁に更新するようなコンテンツの需要も増しているのかもしれない。
 ポジショントークが炸裂せざるを得ないアフィリエイトなどの品のないサイトにはしたくないのでサイトの運営費用は常に完全持ち出しである。そこまでして意味があるのかという意見は常に持っており、更新の都度、やめることは最有力の選択肢であった。自身の親友などをはじめ、自身の文章を読みたいなどと寝言をいう人たちがいるのでやむなく続けてきた次第(真相はね)。ところがこの駄文を捧げる最右翼が天国にいってしまい、どうすればよいものかとは思った。とりあえずは更新しておけばいつでもやめられる。それぐらいの気持ちでいる。そのほうがプレッシャーもなく、逆に長寿になるかもしれないしね。

2010/06/19(土)   順当と好調

 将棋の升田名人(実力制第四代)は将棋で対戦相手に勝つたび、こんなことばをよく漏らしていた。「好調というのは実力の劣るものがいくつか勝ちを積み重ねることを言う。ワシの場合は順当というのが正しい」。
 サッカーW杯で日本は1勝した。しかしそれは順当とは言い難いものであり、どちらかといえば好調なのであった。対戦相手のオランダはデンマークを相手に同じく1勝を収めたが、そちらはむしろ順当な勝利という印象なのだろう。順当と好調の1勝対決。期待などしていないが予想通りというか日本は0−1でオランダに敗れた。
 結果的に見れば大きな1点差敗戦である。最終のデンマーク戦で引き分け以上であれば日本の勝ち上がりが確定するのであるから。しかし日本とデンマークのレベル差はどれほどのものなのか。自身にはFIFAランキングで判断するしかないのだが、日本が勝つというのはどうも順当なことではなさそうである。相変わらず、期待をせずに待ちたい。本当は日本が欧州の強豪相手に順当に勝てるほどの力量をつけてくれればそれに越したことはないのだけれど。

2010/06/18(金)   選挙が多すぎる

 日本は国会議員数が多すぎるなどと言われるが、個人的にはそうは思わない。米軍基地の話もそうだし郵政の話でもそうなのだが確かに少数政党の言い分には首をかしげたくなる部分もある。しかしそれはあくまで選挙という国民の選択を通じて選出された議員あるいは政党の主張なのである。マイナリティを排除するのであればそもそも少数政党どころか、地方の議会すら必要なくなるだろう。
 一方、日本の選挙は多すぎる。多くの国では二院制であり日本もそうなのだが、衆院が最低でも4年に1回、参院が3年に1回ある。選挙のために飴がばら撒かれ、国民に迎合する政策を各党が競い合うようになる。とくに予算権を持つ与党は選挙直前にばら撒けるため強い。過去にも地域振興券、定額給付金、エコポイント、法人税減税など費用対効果の乏しい政策ばかりが真剣な議論もないまま強引に通された。予算のばらまきのみならず、厚生費(年金、医療)、労働費、防衛費などのピンはねもひたすら続け、国家財政に大きな穴があいてしまった。
 そういう過去の反省を踏まえたからなのかどうか。今回の選挙は緊縮財政、あるいは財政再建がキーになりそうな選挙である。50年来も浪費を続け私腹を肥やしてきた野党議員が「ばら撒きだ、国家は破たんの危機だ」などと叫ぶのは噴飯ものだけれど、その尻拭いは現政権、そして今後政権を担う政党が行わなければならない。参院選の日程が決まり、選挙の夏がはじまろうとしている。与党になるための政策、与党を追い落とすためのつまらない工作などではなく、国家の50年先、100年先を考えた政策論争というものをこの機に聞いてみたいものだ。

2010/06/17(木)   conversion

 コンピュータ関係になどうといもので、5インチのフロッピーと3.5インチのフロッピーが同じ容量だと言われたときになぜなのか理解できなかった経験がある。どうみても5インチのほうが大きいだろうに。その前には8インチというものもあったが、さすがに8インチのものは容量が大きかった。自宅には3つのフロッピードライブがあり、知人にはよく変換を依頼されたものだった。
 海外でVHSに録画した大量のテンプテーション(オーストラリアで人気だったクイズ番組)。日本のもので再生すると音声は出るものの、映像は全く出ない。なぜだかさっぱりわからなかったのだが、どうも国ごとに再生の規格が違うらしい。日本のもので見られるように変換を依頼したのだが、結構な金額がかかる。とはいえその費用が妥当なものなのかどうか、自身には判断がつかない。度の過ぎたメカ音痴も困ったものである。
 VHSを別のVHSに変換してもらい、今度はそれをPCに取り込み、画像変換して携帯電話で見られるようにした。結構な容量だが、いまの携帯電話は16GものマイクロSDを読み込めるようになっており、大した問題はない。変換も一段階で済めば楽なのだが何段も要するので大変であるし、手間もかかる。ユーザーの利便性とメーカーの利益とどちらが大切なのか。難しい問題なのだが、ダビング10などをはじめとした規制にはいきすぎた印象も拭えない。

2010/06/16(水)   大番狂わせ

 大盤振る舞いという言葉がある。文字通り気前のよいことを示す言葉である。日頃は厳しい人であればこそ大盤振る舞いも際立つというものだろうか。常に大盤振る舞いであれば単なるジャンキーというか、奇異な印象をぬぐえない。
 サッカーW杯が行われている。日本代表になど興味はないが巷の評価では岡田監督の評価は散々であり、日本の勝利など期待薄というところであった。ところがそんな中、予期に反して日本代表はカメルーンを相手に1−0で勝利をおさめた。その結果に驚いたのは自身だけではなく、日本全体であったろう。番狂わせという言葉があるが、まさに大番狂わせだと思ったのであった。
 何が良かったのか、何が悪かったのか。さっぱりわからないのだが、今後もオランダ、デンマークと厳しい相手が続く。厳しい相手が続く分、1勝をおさめたとはいえ期待しづらい部分が大きいのだけれど、だからこそ再度の番狂わせが起こるかもしれない。期待などせず、のんびりとよい便りを待ちたい。

2010/06/15(火)   祈念する記念日

 メールアドレスの末尾を0615にしているためか、この日になると毎年必ず「誕生日おめでとう」というメールが入る。残念ながら自身の誕生日は今日ではない。あしからず。
 凄惨な事件が増えつつある。秋葉原で起きたトラック暴走による大量殺人事件もそうだし、年金テロなどと称された事務次官連続殺害事件もそうである。それらの事故防止のために再発防止をいろいろと検討しているのはよいこととしても、ただ表向きだけ方策を練っているという印象である。社会を取り巻く環境がそういう事件を誘発している面があるのだから、事件は決して予防できない突発的な事件などではない。社会の構造の問題である。
 利己的な行為によって不本意ながら命を奪われた人たちと、この世あるいはこの社会に絶望して犯罪に踏みきり、見知らぬ人の命を奪うことによって死刑を望み命を奪われたがる人たち。両者の命が同じものだとは自身には到底思えない。例年そうであるが、今年もまた気の重い記念日なのであった。

2010/06/14(月)   相撲協会不祥事

 賭博というものはどこまで行けば賭博なのだろうか。たとえば小学生が「ドアに挟んだ黒板消しに先生が引っかかる」というテーマをネタに給食の一部を賭けたとしよう。収入などまったくない小学生である。パン1つなどといえば安いものだと思えるかもしれないが、収入規模からすれば信じられないほどのハイレート(高い賭け金)である。
 麻雀も賭け金なしで行われることもあるけれど、そうでないことも多い。もっとも基本的にはゲーム代という形で処理しており、勝ち負けはお店に支払う金額が増減するだけの話であり、客同士での金銭のやり取りはないことになっている。パチンコが三店方式という交換所を経由して特殊景品を換金するのと同じである。もっともその麻雀にしても、パチンコにしても、人によってはかなりのハイレートになりうる。プロ野球の元投手がかつて1000点1000円の賭け金で麻雀をして逮捕されたけれど、その投手の年俸は1億円と言われていた。年収200万円の人が1000点20円で打つのと同じ賭け金なのであるが、実際にはその年収の人たちはその数倍のレートで麻雀を打っていたりする。もちろん逮捕などされない。当時の後藤田法相(故人)の答弁通り、社会通念的に1000点100円程度であれば問題にはならないということらしい。
 相撲協会では花札やゴルフ、野球賭博に加え、麻雀賭博も行われていたと言われている。いったいどれぐらいのレートであったのか。そしてそれは収入に比してどれぐらいのもなのだろうか。

2010/06/13(日)   当たり前のこと

 頭の中で当然と思っていることが当然のことではないというようなことはよくあること。ささいなことから大きなことまで本当に様々で、たとえば卵焼きには出汁と砂糖を入れるものだと思っていた自身が塩味の卵焼きを食べたときなど、思わず吐いてしまったほど。もっとも、全部の人が全く同じ価値観、観念を持っていたりすればこの世はどれほどつまらないものか、分からない。人それぞれが違っていて、それこそが良いところ。宗教感や民族間の対立などからの紛争、戦争もなくならない現在だけれど、他者の価値観も大切にしたい。
 ガソリンスタンドに行った。給油後にミニゲームがあり、その結果によってガソリンの単価がリッターあたり1〜3円引きになる。今日は3円引きになりそうだなと思って画面を見ていると、なんとまさかのハズレ。給油回数は軽く100回を超えるのだがはずれたことなど今まで一度たりともなく、いつものファンファーレではなく人を小馬鹿にしたようなハズレBGMが流れ出すのを聴いて吹き出してしまった。そりゃ、当たるときもあればはずれるときもあるのは当然というものか。

2010/06/12(土)   テレビ

 自身はテレビを持っていない人間である。いまどきと思われるかもしれないが、有害な情報に侵されるよりはよほどマシというもの。かと言って新聞報道などがあてにならないということも身にしみて知っており、新聞記事など7割は割り引いて読んでいる。もちろんそれも健全な新聞社の場合である。現政権が左翼的と呼ばれる今、右翼系の新聞などは99%引きで読んでもまだ誤報と偏向しか残らない惨状である。
 海外にいればテレビも見るし映画も見る。それがどちらも日本ではさっぱりなのである。なぜなのか。海外にいれば火曜日はシネマデーだから普段20ドルの映画が5ドル程度で済んだし、なにしろサービス残業という概念がない。同僚と映画でも見ないかと言われ見た後は5ドルステーキかパブか、あるいは繁華街に繰り出すか。そういう感じの生活だった。日本にいてはサービス残業ありがとうございますなどと現大阪府知事が言う時代。映画館は常に割高であり、良さといえば2度3度でも繰り返し見ようと思えば見られるということだけ。パブも日本式の居酒屋がどうも好きではなく、キリンシティみたいなスタイルの飲み屋があればいいのになとは思うが地方ではそうはいかない。もちろん5ドルステーキのお店などない。 しかしだんだんと日本で過ごす時間が増えてくるにつれ、映画を見る本数が激減していることに気づく。仕方ないので台湾で観たアバターをはじめ4本を約1万円出してジャスコで買い、家で楽しもうとしたがPC画面ではいかにも小さい。DVD内蔵のテレビでいくらぐらいなのだろう。そんなことすら知らない自分は変なのだろうか。

2010/06/11(金)   テレビ番組

 テンプテーションという番組が好きで、毎日録画していた。オーストラリア全土で人気を誇ったクイズショーであり、毎週月〜金、ゴールデンタイムの夜7時からの放送であった。チャンピオン1名と挑戦者2名による勝ち抜き制の番組で、10回勝ち抜けば賞金がてんこもり。ラストの早口クイズなどはクイズの内容もさるものながらリスニングの練習、そして同様に話すためのスピーキングの教材として格好の存在だった。あいにく2008年に放送が打ち切られたが、ボードゲームやコンピューターゲームとして現在も売られている。
 ほかにもオーストラリアのみならず、海外では品のよい番組が多い。ホームドラマ、コメディ、エンタテイメント、カルチャーにしてもそうだし、スポーツは中立性を本当に重視していた。ちょっとでもどちらかに偏ろうものならクレームの嵐が押し寄せるのだろう。ニュースのほうはテレビ局が明確に○○党支持などを訴えていることもあり中立報道などとはいかなかったが、それでも日本のように不偏不党を謳いながら自民党から官房機密費を受け取るようなことなどしてしない。スポンサーを大切にしながらも番組の健全性を保ち、過去の検証をするニュースや番組も多く、そのときはたとえ自社の失敗や支持する政党の失政であっても容赦なくこきおろしていた。
 自身は日本ではテレビを見ない人間である。低俗すぎて吐き気がおさまらない。品のない芸能人に品のない番組。ニュースにしても編集最優先でヤラセでもなんでもあり。不偏不党を謳いながら事実を視聴者に伝えることよりも自社がマスコミとしての権益を守ることが最優先なのである。この国のメディアはどうなるのか不安になる。

2010/06/10(木)   ご案内

 まだ契約更新してません。いろいろとあってもう1週間ばかり考えたい気分なんで、ご了承ください。

2010/06/09(水)   ノンカロリーの甘い罠

 昔は自販機というのは儲かる商売だった。利益率はほぼ50%弱で電気代も現在ほどはかからなかった。品揃えに凝る必要性もなく、ありきたりな缶コーヒーや炭酸飲料を並べているだけで儲かりすぎるほど儲かっていた。かと言って価格競争に走ることなどなく、もっぱら当たり機能つき自動販売機による当たり率の競争ぐらいであった。50倍が標準設定(厳密には2/102)だけれど、法律上限の20倍にしていたところ、逆に0にしていた店はそれぞれそこそこ多かったと思う。
 いまや当たり機能つきの自販機を見ることが皆無である。煙草や酒類などは法律で不可能だけれど、昔は飲料のみならずアイスなどでもみかけたものなのだが。しかしその自販機も消費税導入などの影響で100円販売が不可能になってくると辛くなり始める。100円が110円になれば1割の値上げだが、かといって5円単位などは扱えない。つり銭を用意するためのコスト、つり銭切れのために販売できなくなる機会損失も利用客の想像以上である。500円玉対応、1000円札対応などで設備の更新に迫られる一方、販売可能品目が増えた割に売れ筋商品が出たわけでもない。回転率は悪化の一途となった。
 そんな折、茶飲料が台頭して救世主となった。毎年うなぎのぼりに販売数が増え、茶飲料のない自販機など考えられない事態となったが、茶飲料の存在そのものが90年代までは考えられないことであった。しかしその茶飲料も競争が激化していくにつれ価格競争が過度に進んでいき、いまは衰退しはじめている。
 いまはノンカロリー炭酸飲料の勢いが良いらしい。これも健康ブームの一環なのだろうけれど、炭酸そのものが胃腸をはじめ内臓によくない。いくら摂取カロリーが少なかろうがなかろうが、だからと言ってすなわち健康ということではない。添加物も保存料も多く含まれている。短絡的な思考に走るのは消費者の悪い癖であろうか。

2010/06/08(火)   コンビニ地獄

 コンビニの数がものすごい勢いで増えているように感じる。もっとも利益に貢献しやすい首都圏などでは出店余地も極めて限られてきているのだろうけれど、そのあおりもあって地方では増えてきた印象がある。遊休地はおろか居酒屋など飲食店の跡地や、スーパーなどの商業地の跡地にコンビニができる例は枚挙に暇がない。
 近所にコンビニが新しくできた。もっともそこから100mも離れていない場所には別のフランチャイズのコンビニがあって、それも半年前にオープンしたばかり。さらにそこから1kmほど行けば別のフランチャイズのコンビニがさらに2軒存在する。その100m離れた競合店は三方地(3つの道路に面している土地を示す税務用語)であり駐車場も異常なほど広いのに対し新しいコンビニは角地ですらない。どのような採算シミュレーションを行ったのであろうか。
 新規オープンのときはスイーツが安いので買いに行った。店内には5つのお約束なる紙が貼られており、そのうちのひとつに「欠品のないお店を目指します」と書かれていた。欠品のないのはコンビニの売りなのかもしれないけれど、正直言ってその項目だけには感心できなかった。利益率の高い商品、とりわけおにぎりやお弁当、サンドイッチなどは本部から次から次に送られてくる。売れなければ廃棄コストがかかるが負担割合が軽減されたとは言っても個々のフランチャイズオーナーの負担がきついことに変わりはない。
 率直に言って欠品のないお店を作るよりもむしろ、ものがちょうど売り切れる程度のバランスで仕入れて欲しいのであった。POS(販売管理システム)などが当たり前のように普及している時代である。それぐらいのことがいまだにできないほど現在のITのレベルというものは低い水準にとどまったままなのだろうか。

2010/06/07(月)   情報のショートはいただけない

 一語が常に必ずひとつの意味を表すのであればトラブルも少ないだろう。しかし各々の言葉はいろんな意味を持っている。loopyという言葉だって状況によっては愚かという意味を持つこともあるだろう(何もなければ風変わりなという意味しかないし、愚かという意味ではないということはワシントンポストのコラムニスト自身が書いている)。makeだって作ると訳されるけれど、ほかにも間に合わせる、意味を成す、見積もる、整える、もたらす、稼ぐ、考える、任命する、転換する、進む、計上する、関係を持つ、などの意味でも普通に用いられ、本当に数え切れない。
 ショートとロングという言葉もよく使われる。個人的には昨日のコーヒーの話ではなくサーフボードで使うことが多い。ロングは浮力があり初心者用であり、ショートは小回りが利くので慣れていれば波から乗り外れることが少なくなる。ほかにも女性だとロングヘアやショートヘアのことを単にロングショートというだろう。ほかには資産を買うことをロングといい売ることをショートと言ったりする。
 ハンガリーで財政危機だと報じられている。新政権が国庫を確かめてみたら統計値を改ざんしていたことが明らかになった。実はギリシャも同じで、政権交代の結果として前政権が財政赤字を12.7%→3.7%と9%も飛ばして(簿外計上して)いたことが明らかになった。おかげでユーロのショートはたまる一方であり、過去最高の水準をただひたすら更新し続けている。
 しかし失業率や年金財政の改ざんも日本ではずっとなされてきたこと。自民党時代からそのことは明らかになって叩かれてきたというのに、政権が変わっていざ年金の運営状態はどうなのかということがアナウンスされないのは奇異である。検証の結果、自民党政権がとんでもない穴を開けていて発表すらできないという惨事でないことを祈るばかりである。

2010/06/06(日)   懐かしの味わい

 自身はコーヒーが飲めない身である。むしろあのにおいだけでもダメかも知れないというぐらいダメである。においにはダメなものが多くて他にも煙草とかベルギーワッフルのにおいも苦手である。あとはなんと表現していいのか分からないのだが、病院の独特のにおいも苦手だろうか。
 なにはともあれ、本当にコーヒーがダメである。なんとかロングぐらいまでなら飲めなくもないけど、ショートになると苦痛である。普段はロングすら極力飲まないでホワイトにしてなんとかごまかしている。
 喫茶店に行ったらなんとアフォガートがあった。本当にびっくりしたもので、日本でこんなメニューがあるなんて想像もつかなかった。さっそく注文したのだが、主役がコーヒーのような印象があって残念であった。とはいえそういう商品があるってだけで珍しいのだけどね。どこかにミルクアイス主体のアフォガートを味わえる場所がないものか。

※ロングブラック :ロングコーヒー。普通のブラックコーヒーのこと。
※ショートブラック:ショートコーヒー。エスプレッソのブラックのこと。
※ホワイト    :エスプレッソにミルクを入れたもの。時によってはロングにミルクを入れたもの。
※アフォガート  :ミルクアイスの上からショートコーヒーをがばがば流し込んだもの。

2010/06/05(土)   牛肉の味わい

 宮崎で口蹄疫が猛威をふるっていると報じられているが、なにせ遠くの県のことで良く分からない。新聞やテレビの報道があてにならないということは身をもって知っているので、頼りになるのは行政からの直接のアナウンスだけである。そういう状況なのにあまり情報がでないのが気がかりだ。正直、宮崎県の対応には物足りないし情けなくも思う。
 国産牛の一大事である。和牛と言えばそのまま Wagyu で海外でも通じるほどのブランド商品である。日本米は中国や香港、シンガポール、オーストラリアなどでも高級米として売られている。いちごやさといもなどもそうである。とはいえ和牛ほどブランド価値があるものはないかもしれない。絶妙な霜降り加減に歯ごたえ。世界的にもレアな味わいである。
 オージービーフはどうなのかとよく聞かれる。おいしいと思われているのだろう。だが正直な話、草食に徹底された豪牛肉は病学的に相当安全ではあっても、必ずしもおいしくはない。焼いてみてもゴムみたいな感じになるときもある。ウェルダンなんて頼もうものなら炭を食べるぐらいの覚悟が必要だろう。和牛に比べればとにかく堅く、ミディアムレアぐらいじゃないと食べられたものではないと思う。

2010/06/04(金)   健康ブーム

 いろいろなところで健康ブームが起こっているようだ。しかしその健康の定義がいまいちはっきりしない。ダイエットと健康のページで「本当に痩せる必要性あるの?」と書いている通り、ある人の体型など、その人の行動を最も反映したものなのである。小食ならば痩せ大食漢なら肥り、運動不足ならばぽっちゃりして鍛えていればスリムで締まった体つきになる。そんなのは当たり前のことである。
 もっともそれは生活を変えれば体型など簡単に変わるということである。健康ブームが隆盛し運動する人たちも増えた。運動する前に比べれば痩せるのは当然である。もっとも、運動に満足して過食にならなければ、という条件つきではあるのだが。
 しかしブームに踊らされる人たちも多い。いまだに謎なのはイオンの効果というものである。水のないところにイオンなど存在できないというのに、空気清浄機からイオンが出たりする。対イオンなしのイオンなどありえないというのに、マイナスイオンだけが選択的に出たりする(イオンの存在は±がセットである)。ほかにもポリフェノールを含むココアが身体に良いなどと言われ、一時売り切れが続出した。確かに脳には非常によく、科学的にも証明されている。しかしカカオなど砂糖なしでは到底飲めないほど苦いものなのである。結果、ココアを飲めば大量の砂糖を摂取することになり、脳にはよくても太ってしまう。
 諏訪湖マラソンに申し込もうと思った。2年前は7月中旬に申し込んでも間に合ったのだが昨年は6月中旬にはすでに締め切られていた。その反省を踏まえて今日申込をしようとするとなんと昨日で定員に達したとの答え。受付開始からまだ3日だというのに・・・・。これも一種の健康ブームというものか。

2010/06/03(木)   フォント

 いろんなシーンでいろんなフォントが使われている。最近はウィンドウズにしてもマッキントッシュにしてもフォントを簡単に組み込めるようになり、小さな印刷会社でも自前のフォントを開発したり販売したりしている。もっとも基本的なフォントに関してはもちろんOSに組み込まれているため、売れるほどのフォントとなれば相当の投資が必要になるだろう。
 こういうフォントはありませんか?このフォントはなんと言うフォントですか?と聞かれることが多い。なにせ印刷屋をしていた身である。5回に1回ぐらいは分かり役に立てるのだが、残りの4回は分からない。そういうときにそのフォントのデザインが秀逸だと自身でも欲しくなってしまう。もっとも見つけたところで1セットの入手には数万円、ときには10万円以上かかるのが普通である。開発に費用がかかるのは重々承知しているのだが、なかなか衝動買いできる金額でもない。
 職場でごく当たり前の文章を印刷したのだが、みたところ変である。あれ?と思ってみればどのコンピュータにもインストールされていると思っていた基本的なフォントが入っていなかった。じゃあ別のプリンタで、と思っても、結果は同じ。どうも自分が基本的と思っているフォントは世の中では基本的ではなかったようである。10年以上前からA3カラーレーザープリンタが自宅にあることぐらいは当然と勘違いしていたのに比べれば、これぐらいの勘違いであればかわいいものか。

2010/06/02(水)   最大の敗着

 内容に駆け引きがあり、かつ勝負がはっきりとつくゲームが好きである。トランプで言えばブリッジなどがそうであり、たとえばババ抜きのような運を競うだけのゲームは好きにはなれない。ボードゲームは多くは思考系のゲームであり好きではあるが、例えばチェスのように結構な確率で引き分けになってしまうゲームは好きにはなれない。
 先日将棋リーグに出ていた時のこと。自分の王様が次にどうやっても詰まされるという状態に陥った。勝つためには相手の王様を詰ませるしかない。しかし詰まないと思ってしまい「負けました」と投了を告げた。そうしたら相手が驚いて「えっ?こっちは簡単に詰んでいますよね?」と開口一番に言われてショックであった。そうなのだ。相手を詰ませることができていたのだった。指摘されてみればそう難しい手順でもなかったのでなおさらショックであった。勝っているのに投了とは情けない限りである。
 もっともこういう光景はプロでも見られることではある。自身も詰ませられるかどうかは別にして、途中までは詰ませようと試みておくべきであった。プロ同士の対局では明らかに詰まない局面でも王手ラッシュという詰みに出る行為がなされるときがある。たいていは無駄な努力に終わるのだけれど、相手が王様を逃げ間違えて詰んでしまうことも時にはある。最後まであきらめるべきではない。
 首相が辞意を表明したと伝えられている。差し詰め包囲網は省庁などの既得権力、マスコミ、改選を控えた議員というところか。政権運営に関してはお世辞にもうまいとは言えないと思うが、詰んでいる王様が詰んでいないと叫び暴れる政権を続けてみてきたからなのか、詰んでいない状態で投了したように思えるのは気のせいだろうか。政治も将棋のように、時には投了が最大の悪手となりうる。指し手に待ったはさせてもらえないだろうが、日々刻々と変わる情勢に適切に対応できる体制を立て直さなければいけないだろう。

2010/06/01(火)   Anniversary

 つまらぬパーティーに呼ばれ立場上出席した。パーティー費用1万2000円に記念品代が8000円。いったい何に使ったのだろう?と思ったら壇上で旅行券を渡していた。さて自身の抱いた感情はといえば「仕方ない」であった。もう少し若いころであればたまったものではないと思っていたのだろう。世の中を知ってきたというところだろうか。
 写真を撮ることは多いけれど、ほとんどが風景画でありあまりポートレートを撮ることはない。ましてや記念写真を撮ることはほとんどない。多くの旅に出ている身だけれど、本当に思い出というものは心の中にしまっておけばよいと思っている。記念写真などなくても鮮明に思い出すことができるのが何よりである。
 それでは記念日というのはどうか。これも人によってそれぞれだろう。自身にとっても記念日はいくつかあり、それなりの思いは持っている。それではその記念日に何をするのか。たとえば結婚記念日などであれば配偶者にプレゼントを渡すとかおいしいものを食べに行くとかいろいろだろう。
 このサイトがオープンから15周年を経過してしまっていた。いつもはだいたい5月が近づくにつれて勝手に思い出すのだけれど、今年はすっかり完全に忘れていた。いつもならば表紙をリニューアルするのだけれどね。思い返せば15年。なんてこったいという気持ちもあるし良くやってるなぁと思う気持ちもあるし、複雑な気分である。次の1年?更新は6月10日なので、その日までじっくりと考えたいと思う。

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