せっきーの世紀末

/(^o^)\日本ヲワタ/(^o^)\

2010/02/28(日)   オリンピア精神

 バンクーバーで開かれている冬季五輪がもう閉幕に近付いている。女子フィギュアはフリーが行われ、韓国の選手が優勝した。結果そのものは無難かなと思うけれど、納得のいかないのは点数である。採点に男女差などないにもかかわらず、男子の点数を上回って世界記録というのはどうなのか。審判員の点数の付け方もシートを見ればどうにもいい加減で、9人もの人員で構成している理由がわからない。最高点と最低点を除いた7名分で集計する、どの審判がどういう評点をつけたかを明示する、審判は同国籍の選手の採点に加われないなどの基本的なルールはほかの競技ではなされていることであり、なぜフィギュアのルールを改良しようという機運が盛り上がらないのか理解できない。
 五輪に限った話ではなく、採点の傾向が変であった。男子で4回転を決めながら優勝できなかったプルシェンコは「この2年間、4回転できない選手が優勝している。それは耐えがたい近現状である。」と述べていた。採点対象はジャンプだけではないにしても、そのジャンプの加点が少なすぎる。オリンピック精神とは文字通り「開拓する」ということ。現状の技でコンパクトにまとめるだけで評価されるのならば誰も新しいことを試みようとしなくなり、競技を見ている面白さが失われてしまう。
 もっとも、見ているほうも確かにいろんな感情が入っていい加減なのかもしれない。今回の演技でもっとも感動したのは鈴木明子選手。あれだけの大舞台で持てるものを出しきって満面の笑顔で点数が出るのを待っているときなどゾクゾクしてしまった。心に訴えかけるものは文句なくナンバーワンだったと思っているが、だからと言って金メダルなのかと言われればそれは違うと思う。オリンピックといえば参加することに意義があるとも言うけれど、まさにそう感じたのだった。
 IOEはわざわざ「フィギュアの採点は公平に行われたと思っている」などというコメントを出したけれど、そういうコメントを出さないといけない時点で異常である。今回の金銀銅の上位順については女子はそうだなと思えても、点数はやはりどう考えても異常である。観衆は素人かもしれないが、もっとも素直に個々の演技を評価している。IOEが採点の公平さを自認するのなら、今後もフィギュアが五輪の種目であり続けるために素人を納得させるための努力を続けることも大切である。

2010/02/27(土)   失言

 失言なんてものは誰でも経験があるだろう。お酒が入ったりなどすると特にそうだが、ついいい気になったり調子に乗ったりでうかっとボロを出してしまうのである。しばらく人間関係が気まずくなるだけでもつらいが場合によっては自分の社会的立場が危うくなる。
 失言王といえばやはり政治家が筆頭にあがる。やはり支持者の前などで話すことが多いだけに話もうまいがきわどい話も多い。釈明で済まないときは本当に大変である。久間大臣の「原爆しょうがない」、麻生首相の「豪雨が安城や岡崎でよかった」なんてのもあった。しかしもっと失言の多い人もいる。神の国発言、重油は九州に流れればなどと発言した森善朗元首相である。
 この人の場合、その頻度を考えれば失言というよりはそもそもの思考軸がずれているのではないかと思える時もある。ひとつの俺様主義というのか、自分だけ良ければ何でもよいのである。だがそんな森元首相が長野の信濃町にやってきて「小沢さんとも羽田さんとも同期。長野県も偉い。半身不随で動けない人に(票を)入れるんだから。」と発言した。確かに羽田氏は病気で苦しんだこともあり前回の選挙でも本人よりも夫人が全面に出ていたが、今では元気で半身不随でもなんでもない。そんな人に半身不随というなど耳を疑うどころか森氏の脳を改めて疑ってしまった。
 スイスがあまり好きではない自身は今住んでいる諏訪地域が「東洋のスイス」と呼ばれても正直あまりうれしくはないが、ほかの人がスイスを評価しているんだなということは理解できる。そもそも比喩なのだから「東洋のシベリア」だろうが「東洋のモーリタニア」などなんでもありだと思っている。それらのたとえのほうが本当に絶妙に合致しているかもしれない。しかし一方で「鳥取は日本のチベット」と表現されて激怒する政治家がいるのも悲しい事実である。心無い政治家の発言で日本人がチベットを評価していないように思われるのは残念であり心外でもある。

2010/02/26(金)   不自然な棲み分け解消へ

 日本は超高齢化社会に突入しつつあり、それにつれて関連する社会保障費の増大をどうカバーしていくのかは大きな課題である。そうした財源問題が議論されない国会というのは深刻であるけれど、日本の政治が頼りにならないのはいつものこと。各病院は医師不足など喫緊の課題に独自に取り組んでおり、患者も患者でジェネリック医薬品(後発薬)を使うなど医療費抑制にある程度取り組めるようになった。
 ジェネリックというのは特許の切れた薬(先発薬)に類似した薬をより安価で提供すること。薬の原価は10%ともいわれており、3000円の薬なら2700円がメーカーの利益になるわけである。特許が切れてからの参入でも利益はかなりのものになる。まったく同じものは作れないため先発薬に比べて効き目が悪い、あるいは逆に効きすぎて問題になったりすることもあるけれど、それは今から今後にかけての継続的な課題だろう。認知も広がっており、また特許切れになる有効先発薬が今後も多く見込まれ、今後はもっと大きな市場になっていくと思われる。
 しかしそのジェネリック医薬品を作っているのは沢井製薬や日本医薬品工業などの専業メーカーであって、先発薬メーカーである武田やアステラス(藤沢と山之内)などが後発薬を手がけることはなかった。いままでそうであった原因は不明だが、第一三共が後発医薬品の開発に取り組むと表明した。こうした動きの末、新発薬、後発薬の双方の市場とも活性化され、のみならず安全性なども向上していくと考えれば歓迎すべきニュースである。

2010/02/25(木)   味噌味の氷

 プロスポーツでは誤審はつき物なのだろう。たとえば野球をとってみても深刻である。一年に一度まとめられる検証番組でしか分からないような誤審もあれば、両チームの選手も観客も誰もが即座に分かる誤審というものもある。一度下したジャッジが訂正できない世界がどこにあるのだろう。誤審がスポーツの魅力を損ねていることを真摯に受け止め、ビデオ判定の導入など現状改善に速やかに取り組むべきである。
 誤審の起こりようのないスポーツというものは見ていて気持ちがいいものである。たとえば北京五輪を跨いで続いているボルトの快走がそうである。人間がこんなに速く走れることが分かった、残念ながら私じゃなかったが。とライバルも脱帽していた。100mで9秒58というタイムは規定の計測方法によるタイムであり、別の規定で計ったら9秒80で実は2位の選手が1位だったとかそういうことは起こりえない。
 審判による評点の入るスポーツは時として納得できない結果が起こる。大まかな判定基準はあっても審判各自が出した成績は「わたしがこう思った」から出したといえば正当な数字なのであって、そこに他の審判が不平をつけてもいちゃもんにしかならない。たとえ規定の演技で失敗しようが、ほかの加点要素で最大点をつけることも可能である。そういうわけで評点競技は長年にわたり審判員の内訳に左右され続けている。
 冬季五輪のフィギュアの審査員から日本人がはずされ、韓国人とカナダ人になった。もうこの時点で演技をする必要などないと言っているようなもの。前回のトリノ五輪の金メダリストである荒川静香は「選手はプロでないとできないが、審判は選手としてまったく活躍していない人でもできる。その結果、本当に高難度な演技がありきたりな演技よりも低い点になることが往々にしてある。」と述べている。韓国の審判は自国の選手が不利にならないように審判員を構成しなおしたと堂々と述べていたが、本来ならば決勝に残っている国の審判はまったく採点に関与するべきではないだろう。
 スポーツ選手はもちろん総合力も大事だが新記録などに象徴されるように限界に挑戦してこそより評価されるべきだろう。実現不能と思われた新演技を成功させるより、ありきたりな演技でミスをいくつか犯しても金メダルという世界はどうなのだろう。そのような種目は五輪での存在感を失い、また五輪の威厳を傷つけることになりはしないか。国母選手の五輪を貶めるような発言が物議を醸したけれど、あの発言もスノーボーダーにとっては五輪など大した価値がないゆえの発言だと思うと妙に納得する節もある。大事な舞台に味噌がつかないよう、五輪関係者は真摯に考えるべきである。

2010/02/24(水)   職務放棄

 春は春闘の季節。スト権行使に○を入れたりいろいろとするものだけど、実際にストになった試しなどない。そもそも労使の会話はほぼ経営側ペースで進み、出来レースで終わるのがオチというもの。それでも労働組合があるだけ良いかもしれない。個人でそれぞれ会社と交渉なんて事態だったら生産性も損ねるし、何よりも社員(集団)のパフォーマンスが上がらない。高い労組費は必要悪の経費だと割り切っている。
 もしストをすれば当然賃金はもらえない。1時間なら1時間、半日なら半日きっちり給料からカットされる。ストの通告をしているので無断欠勤にはならない程度の違いだろうか。しかし妥協できないときにストに走るのは仕方ないことかもしれない。待遇改善を勝ち取れば引き去られた賃金以上のものが得られそうだから。
 しかしスト、いや職務放棄をしても高すぎる賃金が一円も引かれない世界がある。国会である。市民団体を作って検察審査会につまらぬ提訴をするにとどまらず、国政まで滞らせるとはどういう了見の政党なのかと思わされる。一部の政党の議員が何の仕事もしなくても1日当たり1億円以上もの国会のための支出が1円も減ることはない。川崎二郎は「子供のお使いではない」と当分の審議復帰を拒否したが、まだ子供のお使いのほうが頼りなくともとやるべきことをやろうとしてくれると思う。
 そもそもメディアの(故意)誤報など報道姿勢がいけない。アメリカだったなら小沢容疑者などと報じた産経を筆頭に訴訟を起こされ、信用失墜・賠償不能でもはや存在も困難だろう。しかし同じことが日本でなされればきっと報道弾圧だとかの大合唱が起こるのだろう。審議拒否の政党もそうだけれど、自社の過去の報道姿勢すら検証しようとしないマスコミからも職場放棄から復帰する姿勢が感じられないのが残念である。職場放棄の政党が職務に復帰することを願っているとともに、マスコミが一連の誤報リーク合戦の検証記事を何面にも渡って掲載してくれる日を願ってやまない。

2010/02/23(火)   一人の時間

 多くの私鉄でラッシュ時に女性専用車両が導入されて久しい。契機になったのは京王の夕ラッシュの規制だったと思うけれど気がついてみればあんなに乗り気でなかったJR東日本まで一部の線区で導入している。女性専用どころか、車内にビデオ録画を備え付けた車両まであるというから驚きである。痴漢などするわけもないが、こんなに個々人が信用されていない社会である首都圏に住んでなくてよかったと心底思う。
 当初から思っていることではあるが、確かに人口比では女性のほうが男性よりも多いものの、電車の利用客で言えば男性のほうが女性よりもはるかに多い。仮に2:1の利用率比だとして、首都圏のように15両編成とかならともかく4両編成の車両まで1両が女性専用になるというのはいびつに感じる。利用率比で言えばなぜ男性専用車両が作られないのか不思議である。痴漢冤罪におびえてバンザイ通勤をしている男性はとても多く、そうした人たちは喜んで利用するだろう。
 全日空が国際線に女性専用トイレを作るという。新幹線では男性専用トイレがあるけれど飛行機ではそんなものはなく、トイレというよりはむしろ化粧室として国際線のトイレは占有される。アジア圏、欧州圏、オセアニア圏のいずれでも早朝便などに乗れば女性がコンパクトなど化粧セットを抱えてトイレに並び、しかも平気で5分10分出てこない有様を見て取れる。そういう現状を知っていると1つ2つの女性専用のトイレを作ったところで効果はないのではないかと思わざるを得ない。通勤電車でも鏡を出して化粧をしている女性を見ることがあるけれど、女性というものは化粧なしに生きることはできないものなのだろうか。仮に自分ならば同じ化粧をするにしても早起きするなどでなんとかし、人前で化粧をしようなどとはまったく考えないのだが。

2010/02/22(月)   進出する日本語

 外来語が増えすぎた印象がある。ちょっとニュースなどを見ただけでも政治グループ、ストリートファッション、チーズフォンデュ、カプチーノ、マラリアなどなど。日本語にはひらがなカタカナ漢字に加えてローマ字や数字まであらゆるものが名称に取り込まれておりただでさえ難解である。この先、どれほどさらに難解になっていくのか想像もつかない。
 しかし日本発となった外国語も結構ある。古くは津波(ツナミ)、台風(タイフーン)などの気象関係の言葉がそうである。食べ物だと醤油(ソイソースともいう)、豆腐、刺身、ラーメンなどもそうだろうか。スポーツや文化などで言えば相撲、柔道、俳句、茶道などもある。意外と数があるなと思わされる。
 しかし最近はもっと変わった言葉が認識されつつあるという。カラオケ、漫画と言った言葉に加え、元気やかわいいといった言葉がそのまま形容詞として用いられていたりする。Are you genky?などと聞かれることは普通だし、prettyやcuteとは異なる意味でkawaii!と使われたりする。英語圏やアジア圏でならともかく、まさかロシア語圏でまでkawaiiという言葉が使われているなど想像もつかず、奇異に覚えながらも感嘆したものだった。

2010/02/21(日)   偽造券の問題

 現金そのものもそうだけれど、ほかにも株券やあらゆる有価証券が偽造される犯罪というものは跡を絶たない。資本主義の最大の弊害であり厳罰に処するべきなんだろうけれど、偽造している現場に踏み込める機会などそうそうない。所持や行使で実行犯だけが捕まる構図は続いており、本丸はいつになったら取り締まられるのか分からない。
 どんなものが偽造されているのかと言えば、一昔前ならテレホンカード。度数表示があやしい数字になっているのを目撃したことなど一度や二度ではなかった。公衆電話が衰退してしまった今となっては大した問題ではないのかもしれないが当時はなかなかの騒ぎであった。対策として高度数のテレホンカードなどは使えなくなった。もっとも似たような話はいっぱいあり、鉄道の切符が買えるオレンジカードやスルット関西カードもそうである。オレンジカードはまとめ買いで割引が受けられた上にプレミアムも付いていたりしてなかなかお得であったのだが、そうしたものが一掃された今、手にする必要性を感じなくなってしまった。
 日本マクドナルドの偽造株主優待券が出廻っているという。1冊3000円相当で5000冊押収となれば1500万円相当であり、それを多数の実行犯が中国から持ち込んだらしい。実行犯は日本人とはいえ、これらの偽造有価証券は本来ならば中国を出国するまでに差し押さえられるべき性質のもの。著作権を無視した海賊版のソフトやDVDなども多数出回っているけれど、どうして中国は国をあげてそうしたものを取り締まらないのか不思議である。ひょっとして国をあげて偽造券を量産しているのではないかなどと思えてくるときもある。GDP世界2位の大国が大した産業も持たない構図というものは変であろう。世界に誇れるような新技術でも開発支援して名実ともの大国になってほしいものである。

2010/02/20(土)   数値のお遊び

 数字というものは扱いようによってどうにでもなるもの。「タウリン1000mg配合」という栄養剤のCMがあるが、同じことを言っていても「タウリン1g配合」だと印象としてどうだろう。前者だと多く後者だと少ないように感じてしまう。最も数字による誘導が多いのは実は世論調査で、編集委員に心理士など十数人ものチームを組んで作成しているのは知られざる秘密。誘導尋問、当然と思われる選択肢をおかないなどなんでもありで、気がつけば「どちらかといえばそう思う」と言ったような微妙な賛成意見まで反対として集計されていたりする。国民の○○%が・・・なんて主張を言ってみたところで、根拠になるアンケートや母体数、集計方法に問題があることを見向きもしない時点で問題である。
 内閣府が1人あたり県民所得を発表した。平均で305万9000円であり、東京と沖縄の格差は250万円にもなる。単身や核家族の多い東京の数値が高くなるのは当然のことだろう。でもこの数字にもカラクリがある。なにかといえば、所得という概念である。
 ある家計の収入から収入に要した経費を引いたものを所得といい、そこから年金や健康保険などに要した金額を引いたものを課税所得と言う。課税所得の金額に応じて税率を計算し、税金をかけるというわけ。ここで言えば収入が多い人ほどそれに要する経費も多くなるので(サラリーマンでもそうである。給与所得控除というありがたいものがあるのだ)、県民所得の差では250万円だけれど、収入の格差で言えばざっと300万円あたりになっているのではないだろうか。意図的に圧縮してこの数字。日本の地域格差は深刻な様相である。

2010/02/19(金)   金融出口戦略

 自身のように恒常的に危機を招いている人はともかくとして、一時的な危機を迎えることは誰でもあるだろう。たとえばお金のやりくりが厳しくなったとき、返済の目処がついているのならば借入を充てるのも有効だろう。もちろんコストはかかるが、コストよりも自身の信用のほうが大切な時もある。要はメリハリである。
 アメリカの公定歩合が0.25%引き上げられ、0.75%になった。そもそも金融会合自体が今日に予定されておらず突発的なアナウンスであり市場は少なからず混乱した。とは言え根本的には良いニュース。一挙一動を報じられる定例会では利上げに対して過敏な反応が見られる恐れもあり、敢えてタイミングをずらして上げたというところだろうか。
 となれば今回の利上げは想定どおりのものだろう。そもそもそれまでの0.50%という金利水準が異常であり、多くの副作用を孕んでいた。米消費者の贅沢振りは金融危機を経た後でもあまり変わらず、ドル安政策に対して国民の反発が出てきたのもある。製造業も大きく痛んで減っており、ドル安でもさほど製造業の失地回復は図れない。豪社会と異なり米社会にはインフレの兆候などないが、一時的に破滅の危機にあった金融が落ち着きを取り戻した以上、徐々にドル安のデメリットを是正するための政策が必要になってきたということか。
 方や日本では政策金利が上がりそうにない。日本の財政に目を向ければ相変わらず一時的な危機のために恒常的に資金を計上している。補正予算、国債増発などなど、出口戦略どころかさらに出口から遠ざかっている印象である。麻薬注射がやめられない薬物中毒の患者そのものである。出口に近づき始めた豪州、北欧、アメリカに対し、様子見の仏独など中欧(南北的に)、さらに出口から遠ざかろうとしている日英、そして南欧の諸国。緩和の金融政策を採るときは全世界協調で採ったというのに、引き締めの政策は各国まちまちなのも興味深い。

2010/02/18(木)   リスケジュール

 昨年の平均賃金が6〜8%もの大幅ダウンになった。もっとも下落傾向は昨年に限ったことではない。2007年ごろをのぞくほぼ毎年下がり続けている。働けど働けど暮らしは楽にならない。就業時間も延びる一方であり、お金を使う余裕がなければ景気の回復のしようもないというところか。収入の低さから婚姻率も下がり、当然のことながら出生率も下がる。国としては喫緊の課題であろう。
 去年、金融担当大臣がモラトリアム構想を述べた。借金の返済を猶予する法案であり、金融情勢を考えれば頷ける部分もあった。とは言えやはりそういう政策では新規の貸し出しが増えるわけではない。利払いさえかなわないような不良債権の整理が遅れ、銀行が傷つく可能性も大いに孕んでいる。
 ボーナスが100万円カット、200万円カットされたような個人もいるという。そういう家庭では住宅ローンの返済もままならないだろう。FPとしての自分の意見を述べればそもそも住宅ローンは組まないのだけど、FPとして助言を求められればきっとこう言う。「銀行に行ってしばらくの間は利息のみの返済に変えてもらうように頼むべき。できれば利率も引き下げてもらったほうがいい。」と。
 住宅ローンは住宅が担保に入っているわけであるが住宅ほど減価しやすい担保はない。いざとなれば家を売ってなどと思っても、家を売ってもローンだけが残る可能性もある。それよりもまだ収入があるうちに返済可能なプランに変えるよう銀行にもお願いし、家計も無駄な支出を極力抑えた筋肉質な構造に変えていく。それが最善である。
 銀行にとっても融資が回収できないような競売に走るより自力で再生してもらったほうがいいに決まっている。それは法人・個人に限ったことではない。こうして個人で銀行とやり取りしてプランを変えてもらうことをリスケジュールといい、わずかではあるが毎年実績もある。モラトリアム構想の実現で利下げになった住宅ローン件数が大幅に増えたというニュースを耳にしたが、モラトリアムというよりもリスケジュールが広く認識された結果だろうか。

2010/02/17(水)   失敗を糧に

 覆水盆に返らず、という言葉がある。もともとはこういう話である。呂尚(太公望)と高齢結婚した馬氏だったが毎日旦那が学問や占卜ばかりして働かないことに愛想をつかして離婚した。その後呂尚が周軍の宰相として活躍すると馬氏は再婚したいと申し出た。そのとき呂尚は盆に入っていた水をひっくり返し、これを元に戻せるのならば再婚してもいいと言った、というもの。人間なんて失敗続きの生き物であり、皆が自身のことを振り返ってもいろいろとあると思う。もちろん自分もそうである。とはいえ人生はやりすぎたこととやりそこなったことの積み重ね。何もしないで終わったよりマシだったと考えることにしている。
 環境破壊が覆水盆に返らずの典型的な例だろうか。土壌や川が有機水銀、カドミウムや銅などで汚染されると取り返しがつかない。絶滅しかけているトキの繁殖に力を注いでもなかなかうまくいかない。沖縄に誰も猫を持ってこなかったらヤンバルクイナは現状のような危機を迎えることはなかっただろう。ブラックバスなどもそうだし、例など数え切れないほどある。
 オーストラリア北部でサトウキビ農家はカブトムシの幼虫による食害に頭を悩ませていた。そのカブトムシの幼虫を駆除するために南米からケーントードという毒がえるを100匹あまり購入し、食害の問題はなくなった。しかし逆に繁殖力の極めて強いケーントードは2億を越すほどにまで増えてしまった。他の生態系に大きな影響を与え、結果として別の農業被害も出てくるなど現状は散々である。毎年のようにレンジャーを募って捕獲作戦を決行しており自身も参加したことがあるのだが、それでも個体数は増える一方。オーストラリア史上最大の環境政策の失敗とまで言われる始末である。
 しかしそのどうしようもないと思われたケーントードに中国が強い関心を示しているという。独特の毒腺が漢方薬の強心剤のもととなる有効成分であることが明らかになったことに加え、肉が食用で美味であるからだという。漢方への応用ならともかく食用にまでなるとは、まさに文字通りに失敗を糧にしたというところだろうか。

2010/02/16(火)   有機ELテレビ

 どんな有用な新製品を見ても、それがシェアを奪うとなると相当な時間がかかるものである。たとえばカラーテレビが白黒テレビに取って代わられるときを思い出しても、黎明期のカラーテレビの売り上げはやはり伸びなかった。当時としては信じられない技術だとは言われていても、やはり手に入れるための値段がハードルである。それのみならず供給量も少なく、カラーに対応している番組もそうそうなかった。しかしそんなカラーテレビも東京オリンピックなどの大需要イベントを経てカラー対応番組が増えると爆発的に普及していった。
 しかし現在は当時普及したブラウン管のテレビなどもはや衰退し、薄型の製品がメインになっている。次世代製品の開発も盛んである。有機ELもそのひとつ。応答速度が速く消費電力が少なく、自発光のため視野角も広い。プラズマテレビのような電極やバックライトが不要なため超薄型化が図れる、という製品である。しかし値段がやはりネックとなり、白色照明や携帯電話のサブディスプレイと言った用途以外への普及は進まなかった。
 ソニーが有機ELテレビの発売を終了するとアナウンスした。プラズマ、液晶など多くの技術のひしめく中では、なかなかひとつの技術だけのコストが下がるということはないのだろう。ドット落ちなど大型化に向かない技術的な問題に対しようにも、課題が解決すれば(爆発的に)売れる保証もない状態では開発のために多額の資金を投入するのも難しい。しかし有機ELはテレビとしては時期尚早であったがミニディスプレイや電子ペーパーとしての用途では他の材料では持ち得ないメリットを持っていることも事実である。かつての液晶がそうであったように、有機ELも小型用途での地位を確立したあとで、またディスプレイ業界に殴りかかってくる時がやってくるかもしれない。

2010/02/15(月)   身なりと人

 いまや学校の教員は大変であろう。いまや幼稚園児なのに真っ金髪になっている児童がいる。本人の意思で染めたり脱色しているわけではないことは明らかだ。携帯電話や携帯ゲーム機だって学校に平然と持ち込まれたりする。教員が指摘するとその親に平然と文句を言われるという。いわゆるモンスターペアレントといわれる人たちである。収入が充分にあっても給食費を払わないなどの行為も蔓延しているという。子の服装や行為の乱れが親の指導によるものとあっては救いようがないというものか。
 茶髪、ヒゲは厳禁。去年まで楽天の監督を務めた野村克也氏の言葉である。司令塔の言うことは絶対の命令である。選手の服装の乱れは監督が指摘するべきだが、個人的にはそんなことなど当然であり、指揮官がそういうことを言明しないと部下が守らないという時代のほうに恐ろしさを感じる。プロスポーツ選手が魅せるものは服装や身なりではなくスポーツのプレイであるべきだろう。阪神や日本ハムに所属した新庄選手は身なりも奇抜だったけれども驚くべき強肩などプレイも奇抜であった。王の本塁打、福本の盗塁、江夏の奪三振などなど、高いパフォーマンスがプロスポーツの売りになるのではないのだろうか。
 バンクーバー冬季オリンピックが開幕した。しかしそこでも服装が物議を醸している日本選手がいるようである。まさにまったく同じことを指摘したい。選手は競技で目だってこその存在である。他を寄せ付けないスピード、オリジナリティの高い演技でこそスポーツ選手は魅せるべきであり、服装にうつつを抜かして肝心の競技がおろそかになるようではプロや代表としての意識に乏しく、一国の代表選手としては不適当ではないだろうか。

2010/02/14(日)   チョコレートの科学

 ポケットの中や車の中に入れていたチョコレートが溶けてしまい、冷凍庫などで冷やして固めて食べてみたもののまったくおいしくなかったという経験がある人は多いかもしれない。人によってはバターやマーガリンでも同じ経験があるかもしれない。冷蔵庫に入れ忘れたバターがいつもの味と違った、腐ってしまったんじゃないかと言った具合である。
 しかし、別に熱によってチョコレートやバターなどが腐ってしまったわけではない。氷を暖めれば水になるが再び凍らせれば氷になるのと同じように、チョコレートやバターとて再び冷やせば固まる。そこには何の違いもない。では何が異なっているのだろう。
 実はこの差は結晶形の違いである。雪はとても綺麗な六角形の結晶構造を持っており顕微鏡で観察したことのある人もいるかもしれない。しかし冷蔵庫の氷は単なる透明で、ときには気泡を含んで白くなっている。しかしどちらも同じH2Oである。それと同様に、チョコレートやバターも一度溶けて固まる段階で違う結晶構造になっているのだ。
 再び固まったチョコレートやバターはそれまでの結晶形とは異なり、より低い温度で再び溶けるようになっている。チョコレートで言えば30℃強まで溶けなかったものが10℃強で溶けるように変化する。そうなると口内で容易に解ける。結晶構造の変化に伴う歯ごたえのなさも手伝って、溶ける前の商品とはまったく別物に感じてしまう。いや、同じチョコレートとは言っても科学的にはまったくの別物なのである。
 バレンタインデーの本命チョコに自作のチョコレートをプレゼントするという女性は多いが、実際に自分が作ったチョコレートを食べたことがあるのだろうか。当然一度溶かさなければ型に落とせないわけで、市販のチョコレートとは違っておいしくないチョコレートができあがる。チョコレートを作るということはおいしいものを手間暇かけておいしくないものに作り替えているのであり、実は市販の義理チョコのほうがおいしいのが真相である。しかしそれは科学的な話。きっと男性も心理的なうれしさが手伝って、本来ならば不味いというシグナルを発するはずの脳の本能的な働きを完全にシャットアウトしてしまうのだろう。

2010/02/13(土)   朝日杯観戦

 有楽町マリオンで朝日杯の準決勝・決勝の対局があった。週刊朝日の主催する達人戦の決勝で来たことはあったが、朝日杯で来るのは初めてである。準決勝に残った4人の最初の取り組みは羽生善治名人対谷川浩司九段、久保利明棋王対佐藤和俊五段である。筆者の優勝予測では羽生40%、久保30%、谷川25%、佐藤5%といったところだった。準決勝は午前10時から2局同時に行われたが、ゴールデンカードの羽生谷川戦をそっちのけで準決勝敗退が濃厚な佐藤の将棋に注目した。
 とは言えその佐藤、新鋭ながら決して弱いわけではない。昨年の朝日杯では森内、丸山の名人経験者二人を連覇して準決勝に進んだ。今年も木村八段、深浦王位を破っての準決勝入りである。決して優勝してもおかしくないとは思っていた。とは言え実際の対局では久保に敗れ、またしても苦杯を味わう羽目になった。14時からの決勝は羽生と久保の対戦になったが羽生が勝利し、初となる朝日杯優勝を決めた。
 朝日杯は第三回だが、第五回までと決まっている。三年前に名人戦移籍騒動がおき、名人戦は従来の毎日主催から毎日・朝日の共催となった。そこでそれまで朝日が主催していた朝日オープントーナメントが廃止されることになり、代替棋戦として朝日杯が五年間だけ催されることになった。
 将棋界もインターネット時代が到来し、持ち時間が9時間の名人戦はもちろん人気なのだが、本棋戦のような持ち時間40分と短い将棋はインターネット観戦にはとても便利である。もちろん、実際に現場で観戦した身としても非常によいイベントであったと思っている。今後ともファンのニーズにこたえられるよう、将棋界は発展のために知恵を絞ってほしい。

2010/02/12(金)   あずさ2号の旅

 「8時ちょうどのあずさ2号で」という歌詞を聴いたことがあるだろうか。歌詞の通りの「あずさ2号」という曲である。32年前、昭和52年の曲であり、現在と変わっているところも多い。たとえばリリースの翌年の昭和53年からは特急電車の号数は下りが奇数、上りが偶数とされた。従って新宿8時ちょうどに発車していた「あずさ2号」はダイヤ改正後は「あずさ3号」になった。とは言え2と3では致命的に節が違う。まだ塩嶺トンネルが開通する前であり運転は辰野経由だった。所要時間も4時間近くかかり、現在より1時間以上長くかかった。
 厳しい冷え込みの中、早起きして松本始発のあずさ2号で出張のため首都圏に向かった。あずさ2号は山梨県内ではかいじの代替となっており停車駅がとても多く、所要時間がかかる。都内に入る時間では松本発の時刻が約1時間遅い後続のスーパーあずさ4号にほぼ追いつかれてしまうのである。とは言え始発で行ってちょうどの時間にしかつけないため、致し方なく利用した。
 昨日は中南信は強い雨が降っていたのだが夕刻からみぞれに変わり、大糸線などは架線が凍結し運休、道路も大混乱であった。しかし今朝は中央線でも架線が凍結し、後続のスーパーあずさ4号は運行に必要な電力の安定供給を受けられなくなり、途中3時間以上も停車した挙句みどり湖で運転を取りやめることになったという。一本速い電車でよかったと思った。本当は前泊できる予算の余裕があればいうことはないのだが。

2010/02/11(木)   里見香奈が女流名人位を獲得

 昨日は競馬騎手界では男女の制度的な差はなくなったが男性圧倒的優位な情勢は変わらないということを書いた。似たような話は他の業種でもいくらでも見つかるだろうが、今日は将棋界を取り上げたい。
 将棋のプロは昔からずっと男女の差などない。プロになるためには予備的組織である奨励会というものに入会し(6級〜三段)、そこで好成績を積み重ねることによって四段にまで昇段しなければいけない。毎年10名以上が奨励会に入会する一方で、C級2組の四段になれる人数は半年ごとの三段リーグの上位2名のみ、年間たった4人と決まっている。現在では昇級には男女の差など設けられていないし、昔は女性に甘い時期があったにもかかわらず、誰ひとりとして四段どころか、二段にすらなれなかった。
 しかしイベントや普及となると女性の力がないと困る。そこで将棋界が当時抱えていたプロ組織とは全く別に、女性に限定した女流将棋界というものを作った。こちらは明確に男性の組織入りを拒否しており、穿った見方をすれば男性差別かもしれない。対局料や給料なども圧倒的に少なくとても女流プロのみで食べていける環境ではないのだが、それでもいまでは5つのタイトル戦を抱える存在になっている。
 最も歴史の古い女流名人位戦で17歳の里見香奈が二周りも上、41歳の清水市代女流名人を下し、倉敷藤花というタイトルと合わせて2冠になった。末恐ろしいことである。メガネの女子高生という感じの里見氏だが、対局料では追い付かないせいなのだろう、対局の際は住居のある出雲市から夜行バスで東京にまで出てくるという。勝ち続けているから対局数も多く、毎回同伴する両親の負担も大変だろう。
 さて、里見氏は女流2冠となったわけだが、奨励会に入って女流ではない「プロ四段」を目指すことは考えているのだろうか。本人の意向など知らぬので何も言えないのだが、個人的には奨励会でどこまでやれるのか、見てみたい気もする。

2010/02/10(水)   男女の差異

 男女雇用機会均等法が制定されるなどジェンダーの壁が取り払われようとしている。しかしそれはあくまで法的な話。とくに肉体系の厳しい労働となると女性の就労はかなり辛いものがあるだろう。同様に男性にも飛行機の客室乗務員など実際問題としてできない仕事は依然としてある。
 男女にはそれぞれ向き不向きがあり、もちろんすべての場所で両者が平等ならばそれに越したことはないが、時に両者の適性の差が現れるのは致し方ないと思う。しかし就労環境が厳しい時代にとくにそうだが、まったく適性と関係のないことを適性の差扱いして職場を去らせるなどの横暴な行為がなされたせいでもあるのだろう。
 国会では夫婦別姓についての法案が審議される見通しである。親友に知名度のある女性ジャーナリストがいたのだが、結婚で別姓になるとまた一からすべてやり直しになると辛い心境を吐露されたことがある。結婚してもしなくても同じ人のはずなのに、社会的にはそうは見てもらえない部分がある。声高に反対する政治家はそのような女性の苦労というものを知らない境遇で育ったのだろうか。
 競馬界も一時、女性騎手ブームが起こった。しかしそのJRA所属の女性騎手はだんだんと減っていきいまや二人を残すだけなのだが、そのうちの一人、西原玲奈騎手が今月末で引退するという。寂しい気持ちもあるが、いまやオープンな世界に生まれ変わってそれでも女性騎手が増えないというのは、やはり適性の差というものだろうか。

2010/02/09(火)   預金保険制度

 災害は突然起こる。いきなり火山が噴火して被災したとか、大地震で家屋が倒壊したとか、ほかにも風水害、自動車などの事故など、様々なことがある。そうした予期せぬリスク事象に対しどう対処するか。そういう事象のためにお金を貯めておくことをリスクの保有といい、保険に加入することをリスクの移転という。基本的にはこの二つの比率の組み合わせで人は災害に対処している。100%リスクの移転をとる人もいるが、100%リスクを保有する人は稀である。ほかにはたとえば飛行機事故を避けるために飛行機を利用しないなどのリスクの回避という行動もある。
 銀行の破綻というのは今では突発的な災害だろうか。一時期に比べて金融環境は落ち着き、すぐの金融機関の破綻というのはなかなか想像しがたい。しかし過去には突然金融機関がつぶれた例もいくつかあり、その際には預金保険機構によりペイオフにはならず、全額保護された。
 ある人が100万円預けたとすると、その0.081%を銀行は預金保険機構に対する基金として支払わなければいけない。利率が0.10%だから年に1000円、預金保険料が810円、合計1810円を銀行が負担しなければいけない。もちろん実際にはこれ以上の収益を得、銀行は諸経費などを負担した後も利益を上げているわけである。
 ゼロ金利時代は定期預金の利率が年0.03%ほどしかなく、預金保険料率は0.084%であった。低金利の環境下、有効な投資先が見当たらない銀行にとって負担は重かったが、かと言って預金保険を払わなければ取り付け騒ぎがおきてつぶれてしまう。預金保険料率のことまで考慮に入れている預金者はほぼ皆無で、好景気の折りには銀行は儲けすぎなどと批判され、不景気の折りには公的資金の補助など許せないとやはり批判にさらされる。厳しい業種である。
 オーストラリアでは昨日、3月31日をもって預金保険制度を廃止するとスワン財務相が表明した。銀行がつぶれそうにないような金融情勢ならば不要なコスト削減につながり、預金者の利益にもなるだろう。ウエストパックやANZなどの銀行株は総じて急騰した。一方日本人などからすればそんな状況などはるかに遠い存在である。失われた年月が20年にもおよび、いったいいつになれば金利が上がるのか、首がろくろ首になりそうな印象である。

2010/02/08(月)   予想通りの破談

 自身は鶏料理、とくに鶏刺身が好きで鶏料理屋には良く行く。サントリーの経営するとりひめという料理屋に行ったことも多かった。あいにく関西地盤のため、現在は縁遠い存在になってしまっている。常連だったので10%割引券を持っているのだけれど、それを見せると同伴した人がそれは株主優待かと聞いてくることがあった。サントリーの株式は非上場。だからと言って入手できないわけではないが、とてもそんなコネなどない。そもそも優待制度があるのかどうかも不明である。
 予想通りの破談というべきだろうか。キリンとサントリーの経営統合交渉が破談に終わった。キリンの加藤社長は記者会見で「どういう経営するか認識が一致しなかった」と述べた。キリンはもちろんのことだが、非上場のサントリーとて株式会社。会社が営利を追求するのは上場でも非上場でも変わりない。では何がいけなかったのか。

昨年の7月16日のニュース短評にこう書いていた。
> 麒麟麦酒とサントリーの統合交渉が明るみに出たけど、きっとうまくいかないと思っている。
> 利益あとまわしのサントリーの同族非上場経営と、三菱系の上場企業との脈はあわないと思えてね。

 最近の上場企業は少しでも赤字になると文化事業を切ってでも利益を追求しろなどと株主からの追及が激しい。一方、ビール事業の通年黒字化が目前になったときにサントリーの佐治社長がそれを喜ばず、大規模販促キャンペーンを行って赤字のままになったことは有名である。その販促キャンペーンはシェア拡大に寄与し収益構造の改善には役立ったのだが、それは結果的な話。もしサントリーが上場企業だったら社長の一存だけで赤字事業に大々的に資金を投入できただろうか。
 方や一般の大上場企業、方や社長が実質オーナーの大企業。合併すればある程度の大株主を抱える一般大上場企業となったのだろうけれど、サントリー経営サイドからすれば一般株主に口を出されるなど屈辱であろう。それと同時にそこまで切羽詰った合併が必要なほど飲料業界は追い込まれていないということでもあろう。「やってみなはれ」という有名な社是があるけれど、やってみて引き返せない合併に関してはさすがにやってみることはできなかったのだろう。

2010/02/07(日)   G7と日本の国会

 G7が閉幕した。アメリカの言い出した金融規制は結局実を結ばず、西南欧の財政問題など現在抱える問題に対する様々な声明に関しても意見表明のような形で終わってしまった。何のための会合なのか知りたいものだ。
 そもそもG7という名前がいけない。自分たちが世界の代表であるかのように振る舞うなど傲慢に過ぎる。先進国の国際金融失政のツケはいつもその他の国々に回されるのである。中国の人民元規制の是非はともかくとしてもやはり切り下げ議論の対象になる。しかし中国のように抵抗できる国はまだ良いかもしれない。ブラジルやメキシコなどは自由貿易という名の下、知らないうちに為替が自国にとって不利なように変わっていくし、香港などは完全に金融政策が雁字搦めであるから。
 しかしそれでもまだ議論をするだけマシかもしれないとも思えてくる。日本の国会の空転などひどいものであるから。政局と政策が常に国会という舞台で戦わされている。あの歴史的な前回衆院選を受ける前も、受けた後も。まともに審議すら進まない国会の現状は不毛極まりないといわざるを得ない。国のために、国民のために政策を実現するのが政党というものの存在意義だと思うのだけれど。しかし上層部の国会議員(先進国)が底辺の国民(途上国)にしわ寄せを与え続けるという意味では同じ構図であるようだ。世界がそうだから日本国内でもあきらめよということか。

2010/02/06(土)   ブレーキの違い

 ホンダのVFR800という真っ赤なバイクに乗っていたことがある。このバイクの愛称が「せっきー」であって、自分自身のハンドルネームはずっと「とり」だったんだけどいつの間にか皆が自分のことを「せっきー」と呼ぶようになってしまった(笑)。シート高も適当で加減速も大型機らしさがあり、燃費もよかったしいいバイクだった。そのほかにも何台か乗ったのだけれど一番思い入れが深いかもしれない。
 バイクのブレーキと言えば前輪後輪が別に制御されるようになっている。ハンドルが前輪でペダルが後輪である。タンデムしているときはブレーキの掛け方を調整しないと転倒してしまうので大変である。もっとも、それが二輪の良さなのであるが。
 そのVFRはABSがついた最初のバイクであった。ABSというのは前後連動ブレーキというものでバイクなのにブレーキロックすることがまずなく、なかなか奇異な感触であった。同じくVFRを乗っていた人ややはりABS搭載の1100ccのCBR1100XXという車種を乗っていた人たちの中にはABSを切っている人も結構いた。やはりブレーキのかかり具合が従来のバイクのそれとは致命的に異なる部分があった。
 トヨタのプリウスのブレーキの効きがおかしいというクレームが多く寄せられているようである。もっともABSでありそんなのは当然とも思うのだが、ブレーキの性能の違いなど意識せず購入する人も多いのだろう。そういう人たちからすれば掛け心地が従来品と異なるブレーキなど、安全性に欠けた欠陥品と言われれば確かにそうである。製造物責任法などが施行されているけれど、上市する製品というのは多くの難しい問題を孕んでいる。

2010/02/05(金)   シビアな世界

 朝青龍が暴行の責任を取って引退すると電撃表明した。つい先月の初場所で優勝したばかり。白鵬の存在感が増してきているとは言っても決して朝青龍の成績が芳しくないわけではない。大関10勝、横綱12勝がノルマと言われる中、昨年は休場なしで72勝18敗、場所あたり12勝3敗のペースであった。暴行に限らずサッカーに無断帰国などいろいろなトラブルメーカーであったが、このような形で土俵を去るのは本人も本意ではなかろう。
 白と黒しかない勝負の世界というものは本当につらく厳しいものなのだろう。自分自身はオセロリーグぐらいでしかそういう体験をしないのだが、本当にひとつ勝つというのは大変なこと。自分が少しいいときにはなかなか踏み込んだ手を打てないものなのだが、その一瞬の緩みを衝かれて逆転負けするなどするととても辛くなる。とはいえ勝負を決めに行って盲点を衝かれて負けるともっと辛くなる。なんとか勝ち切れても疲れるが、負けると疲労感は倍増どころではない。
 将棋のA級順位戦で佐藤康光九段が降級の憂き目にあった。佐藤といえば名人2期を含めタイトル12期の経験者で、押しも押されもせぬ第一線の棋士である。10人の総当りで6連敗という出だし。2年前にも佐藤は同じく6連敗の出だしから年明け3連勝で3−6で残留を果たしている。しかし今度は2年前の再現はならなかった。さすがにトップ棋士10名とあれば力量の差は少ないということだろうか。
 また、74歳の有吉道夫九段がC2順位戦で敗れ、現役引退が決まった。70歳を過ぎてなおも研究熱心で、若手をつかまえて練習将棋を何番もこなしていた。昨年も引退の危機であったが最終戦で若手の有望株、高崎四段を破って残留を果たしていた(その高崎は今年昇級を果たした)。3月末の引退までに史上二人目となる1000敗も達成すると思われる。タイトルは1期獲得のみであったが、半世紀にも渡って一度の休場もなく戦えることが何よりの勲章である。タイトルの立会いや普及の場でまた有吉先生の姿を拝見することを近いうちの楽しみにしたい。

2010/02/04(木)   情報を生みだす人々に情報にのまれる人々

 米中関係が冷え込んでいる。私見を真っ先に述べれば政府検閲を覚悟してまで中国進出したグーグルが今更何を言っているのかという印象なのだが。日米では中国のネット規制は異常という論調のほうが強いようである。それは事実かもしれないが、だからと言ってグーグルを擁護する理由にはあたらないと思う。
 中国の情報統制は内政上の理由が強い。国民感情が政府にとって思わしくない方向に傾斜するのを防いでおり、反日、反印や今回のような反米報道を出すことにより国民の不満を外へ向けさせることに一役も二役も買っている。そんなところに外部からの情報が入ってくるなど中国政府にとって到底容認できることではない。だからグーグルの進出に際して検閲という条件を課したのであり、いまさらそれに反発するなど馬鹿げている。元から進出しなければよいだけの話である。
 一連の中国の行為をみて日本人はどう思っているのだろう。所詮は共産国家、閉鎖国家だと思っているのだろうか。しかし日本とて大差ない部分もある。長銀裁判では、公的資金を投入された銀行経営陣は許せないという論調が冤罪を生んだ。しかし冤罪だけではない。本当に叱責されるべき金融行政に向けられるべき非難の声が誤って経営陣に向けられ、政治のガス抜き要因にもなった。失政を覆い隠すために検察を利用し都合の良い論調を盛り上げ、挙句の果てに何十名もの人生を狂わせているような国家に中国を非難する資格などあるだろうか。
 過熱する一方の犯罪被疑者報道をみて、誰がありがたいと思うのだろう。飽きもせず毎日情報が小出しに速報され、必ず検察にとって有利な内容ばかりである。しかも誤報も多く含まれているのに、訂正のニュースは全く流れないのは奇異である。真のマスコミであればこんなときに速報合戦などに乗らず冷静な検証記事の作成に着手するのであろうが、欧米とは異なり日本にはそんな気骨のあるマスコミは存在しないのが非常に残念である。マスコミの腐敗は検察から伝染したものか、それとも逆なのか。鶏と卵の関係は不明だが、日本のマスコミの堕落ぶりは目も当てられない惨状である。そしてその堕落したマスコミの情報を鵜呑みにする人の多さも日本の惨状を顕著に示している。

2010/02/03(水)   JR東海

 東海道新幹線で架線が断線し3時間以上も乗客が缶詰にされるという事故が起こった。原因はなんとパンタグラフのボルトのつけ忘れという。なにしろ時速250kmものスピードで走行する新幹線のことである。部品がホームの乗客や線路脇の民家などにぶつかれば大惨事であった。何事もなくてよかったというべきなのかどうかは分からぬが、念入りなチェックをお願いしたい。
 同新幹線を運営するJR東海は新幹線だけで利益の70%を上げている。品川新駅を開業してからは東海道新幹線のダイヤは過密状態。ほぼ4分に1本の態勢でダイヤが組まれており異常とも言える。一本にもしものことがあれば玉突き状態になる恐怖がいつもついて回るため、5年に1度ほどしか新幹線を利用しない有様である。
 しかし最近のJR東海の動きを見ていると、新幹線依存の体制を改めるどころかさらに新幹線依存を進めようとしているようにしか見えない。台湾に日本式新幹線が輸出されたことは記憶に新しいけれど、米国のグリーンニューディール政策の一環である高速鉄道建設に名乗りをあげ、のみならずリニアの輸出までやると言い出した。そんなタイミングで今回の事故とはなんと間の悪いニュースだろう。
 一方、利益にあまり貢献しないJR東海の在来線はほぼ捨て置かれている。高山線が台風で不通になっても復旧には1年もかかる。同じく被災した名松線の一部区間に至っては復旧すらさせずにそのまま廃止にされた。JR東日本や西日本、北海道などと違い赤字ローカル線が最も少ないにもかかわらず、その少ない路線が簡単に見捨てられる。
 高速鉄道による輸送や輸出で単価の高いビジネスを構築しようというのがJR東海の言い分なのかもしれないし、それは営利会社としては当然かもしれない。しかし鉄道というのは公共性があってこそのもの。新幹線はもちろんのこと、あまり利幅が乗らない在来線でも必要な経費をかけて今回のような事故が起こらないよう、安全運行に努めてほしい。

2010/02/02(火)   中央銀行と物価変動

 10年前の日銀の議事録が開示され、谷垣大臣(現自民党総裁)が日銀の政策に量的緩和などの圧力をかけていたことが明らかになった。日銀法が施行され、政治からの独立を保障されたにもかかわらずである。むろん円高論者の速水総裁(当時)には受け入れがたい圧力であり、実現はしなかった。日銀と政府が独立な関係にあるとは言っても日本の抱える危機に対処するために方向性を同じくしてほしいとは当然期待されることであり、対話による金融政策の実現でなく圧力という形になったのは残念である。
 では現在はどうか。圧力をかけたという話こそ聞かないが、政府と日銀の連携は相変わらずうまくいっていない。菅財務大臣はデフレへの懸念を示したが、日銀は現在の政策で事足りるという認識である。現状以上の金融緩和が逆に危機をもたらすと日銀が考えても、何も不思議ではない。
 しかし果たしてインフレ・デフレを撃退するのは中央銀行の役割なのか。是とする論調はどちらかといえばフランスなど欧州系の思想で、非とする論調は米国系の思想である。だから菅財務大臣と白川日銀総裁のどちらが正しい、という話に意味はなく、政府と日銀のどちらが責任を取るか、あるいはどちらに責任を取らせるかという話である。
 オーストラリアの金利が据え置かれた。もし今日利上げがなされていれば過去5か月で4度の利上げ、中央銀行が定例会議を開かない1月を除けば4回連続の利上げとなるところであった。過去にそのような急ピッチで金利を引き上げた例はなく、妥当な判断かもしれない。しかし先行金利のひとつである銀行の住宅ローン金利は上がり続けている。住宅バブルも沈静化しそうにない。利上げによる金融引き締めが遅れた結果として豪州経済は致命的な打撃を受ける可能性もある。来月以降も難しい舵取りを迫られよう。
 物価変動対策に過敏気味ともいえる豪中銀は、金融政策の手札に乏しいとは言え動きを見せない日銀に比べるとしっかりしているように見える。日銀の政策がどの範囲までなされれば妥当かはわからぬが、低迷する日本経済を立て直すためにも過敏気味にでも動いてほしい。そして同じような働きは当然政府に対しても期待されていることである。

2010/02/01(月)   飛行機トラブル

 飛行機というのはたとえ短距離便であっても怖いものである。よくプロスポーツ選手などでも飛行機嫌いというのを耳にするが、福岡から札幌までの移動などでも陸路移動などだと本当に大変だろう。東海道山陽新幹線ののぞみと東北新幹線のはやてを乗り継いで9時間。八戸から函館乗り継ぎで札幌まで特急で6時間半とくればほぼ丸一日を移動に費やしているのだ。プロならばコンディション調整も当然の責務とはいえ、どれほど大変か想像もつかない。
 成田空港でニュージーランド航空の飛行機がトラブルを起こした。なんらかの理由で離陸を取りやめ急ブレーキをかけたらしい。当然タイヤはほぼすべてパンク、運航は取りやめになり乗客は成田市内で泊まったという。近年の国際線の縮小ぶりから考えれば予備の機材ぐらいすぐに捻出できそうなものだが、そうもいかないのだろう。
 長距離便はやはり怖い。とくに離陸後となれば何が起こっても自己防衛の手段などないわけで、ひたすら祈るしかない。乱気流に遭遇するなどはたまにあることだけど、それが30分も続くとほぼ乗客すべてが吐き気を催している。でもそれぐらいのことは墜落に比べればかわいいものかもしれない。
 今回の機長の判断の根拠はいったい何だったのだろう。詳細は不明としても離陸後に何かあると大変なわけで、最悪の事態に備え離陸を中止するという英断はすごいものである。旅客は日程が狂ったり長時間も缶詰にされたりで大変だっただろうが、もし自身のことだったら「いたしかたなき事象」だと甘受していられるだろうか。

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