ランペルール シナリオ5(後編)
◎シナリオ5リプレイ(後編)

前編はこちら。前編と違ってかなり省略しています。
1819/06 イギリス攻略(分解写真)
都市数17
国政ターン:貿易×2

打倒イギリスが難しいという声をよく聞く。
人によって異なるだろうが、個人的にはロシアはおろか、スペインよりもくみしやすい相手である。
イギリス上陸作戦にはいくつかあるが、ここでは自己焦土作戦(勝手に命名)を採用した。
他には沿岸の造船所をフル稼働させてちまちま船を作り、制海権を得てから攻略するという王道の海路遠征もある。
時間に余裕があるならそれでも構わないのだが、あいにく軍人不足の上に寿命が迫っている状況。
多少強引であってもイギリスを片づけなければならない。いずれは倒さなければならない相手なのだし。

というよりもなにしろ同盟相手が多すぎて、叩くところがイギリスしかない。
同盟戦略は完全に失敗だったと思っている。相手をよく見極めよう。

さて、陛下らはものすごい勢いでワルシャワから移動中である。

1819年8月、フランスの大西洋側の情勢はこうである。



画面を編集して2都市が分かるようになっているが、サンマロは船50、ボルドーは船65であり合計は115である。
それではイギリスはと言えば・・・




船舶は合計255。食糧も足りており軍勢も各5万程度いる。

27サンマロの兵士を24だけ残してボルドーに移動すると、さっそく餌にかかったブリテン軍がサンマロ攻撃にやってくる。
当然のように戦わずに撤退し、26リールから27サンマロを逆襲する。奪回は容易である。



50だった船が占領されて99になり、奪回した後は45になっている。
だいたい都市占領後は船舶は0.45倍になる印象である。
68いたとすれば計算上は68×0.45=31となる感じである。31隻前後が残る。

おとりにしたサンマロの船は5減った。では、イギリス軍のほうはどうだろうか。




ブリストルの歩兵2つがダブリンとリスボンに1つずつ帰還している。
その他の違いは、以下の通り。
・ダブリンは金が575減って病院が75→84と9増えている。
・リバプールは訓練して訓練度が97→98になっている。
・ブリストルは船舶が1になっている。っていうか商業投資してから戦争したように見えなくもない?二回ターンが回ったかも。
・リスボンは金650投資で工業を42→43と1あげている。

これで上陸できそうに見えるがそれはあくまでボルドーの船舶数が100ならばの話。
迎撃艦隊は80前後が予測されるので、確実に撃破するためにはその1.2倍の96隻は必要である。
残念ながらボルドーには65隻しかいない。
もう1回自己焦土作戦を実行してから逆上陸すればよいだろう。
1819/09 イギリス本土上陸へ
都市数17→18(ブリストル増)
国政ターン:貿易×2

国政ターンで陛下らをボルドーに移動させ、もう一度サンマロを自己焦土作戦。
今度はブリストルからの来客である。
かなり人口が減ってしまった。25%もの減少。
パリでできれば7000ぐらいまで抑制できるということだろうか。
ただ、減少するのは工業や農業もなので、そう簡単には行かない。
困ったものである。



船が60ということは、奪回後は60×0.45=27というあたりか。



ぴったりである。
しかし、制海権はこう。



ボルドーは5隻建造して70隻になったから、合計で97隻あるはずなのだが。。。




なんだか一瞬の隙をついて亡命した許せない野郎がいるんですが。。。
それはともかく、リスボンのことをすっかり忘れていて、あれ?制海権バグってない?と思ってしまった。
まあいいや、とそのまま上陸を決行。

説明が面倒くさいので連続写真で。制海権に絡む迎撃、都市の迎撃、気づきにくいが船がボルドーからブリストルに動いている、敵前逃亡。






【重要】迎撃の56隻というのは敵艦隊総数113のちょうど半分である(端数切り捨て)。
海域、都市で計2回の迎撃があるが、2回とも1.2倍以上の船舶があれば、要するに67隻あれば、制海権など必要ないということである。
確実に上陸可能である。

さて、敵の逃亡でイギリス上陸を果たした。
船舶、部隊の犠牲はさほどなく、一番の損害はサンマロの人口などの都市パラメータ。
しかし戦勝のためにはある程度の犠牲はつきものである。サンマロ市民も納得してくれるであろう。


上陸後も相変わらず制海権はイギリスのもの。当たり前ですが。



結論:制海権など飾りである。偉い人(CPU)にはそれがわからんのです。

ただし、防衛部隊の配置にはきわめて重要。
実際、制海権を握っていれば敵(CPU)は絶対に攻めてこず、マルセイユやナポリといった都市は陥落寸前の状態で放置されていることも珍しくない。

しかし、逆の場合はどうなのか。
制海権がないから攻めないなど、CPUと全く同程度の思考でしかない。
勝機を逃して敵の肥大化を招いているだけである。
自分の都合以外、何も考えなくてよい。
もっとも、ある程度の船舶は必須である。船なしで上陸できるほど甘くはない。
船舶が少ないのであれば、敵の船舶を減らせばよい。相対的な船舶数が増えるからである。

1819/12 イギリス、イベリアに引き籠る
都市数18→20(ロンドン、リバプール増)
国政ターン:貿易×2



オレンジ氏の捕虜登用を試みる前に捕虜交換で奪われる・・・
とはいえ仕方のないこと。

イギリスが上陸さえしてしまえばもろい存在だということは有名なので、省略します。

12月にロンドンを制圧、年が明けて編成を経て2月にはリバプールを占領。
さくさく進む。
1820/03 オーストリア包囲網
都市数20→22(エジンバラ、ダブリン増)
国政ターン:軍事費(2200)、ロシアと同盟

予備軍人はマルモンのみ。




いっきに五カ国との同盟が切れる。
そのうちオーストリア、デンマークから貿易停止。
ボルドーにふたをしていれば攻めてこないスペイン、兵弱のトルコ&デンマーク、分断されたオーストリアのいずれも怖くはない。
同盟を続ける気などないのはよいが、イギリスを滅亡とはいかないまでも本土だけはカタをつけてから他の戦線に移りたいところ。
なんとかそれまで時間が稼げるだろうか。

とりあえずロシアはまだ倒せないので同盟を結ぶ。
これも好みの分かれるところ。
友好状態を維持したままのほうが機動的に対応できてよいかもしれない。

3月にはエジンバラを制圧、4月はリバプールに戻って5月にはダブリン上陸を決め、イギリスを本土から駆逐する。
次の部隊展開をどうするか。同盟国に囲まれていた時期とは違い、逆に悩ましい。
とりあえずは兵力分散を解消できるという点でオーストリア狙いが正着だろうか。
1820/06 慌てて本土帰還
都市数22
国政ターン:貿易×2

デンマークが宣戦布告、トルコが貿易停止。
期待していたオーストリアからの宣戦布告はなかった。
こちらから宣戦するのがよいのか、どうか。
なによりダブリンは遠い。
ナポレオンはサンマロ経由でパリに戻った。
予備兵を回収してオーストリアを打倒する予定である。
1820/09 オーストリア滅亡
都市数22→27(フィレンツェ、ローマ、ナポリ、ブダペスト、プラハ増)
国政ターン:オーストリアに宣戦布告、貿易

宣戦布告をすると忠誠度が下がるという仕様なのであるが、国家の数が少なくなってくるとどんなに反仏があがっても向こうからは宣戦布告をしてこなくなったりする。
じゃあこちらから・・・と思っても、いつの間にか軍人が亡命したりする。
どうしようもないことなのか。

スペインとはいまだ友好を保ってはいるが、反仏は78。いつ貿易を停止されても文句を言えない状況である。

9月。オーストリアへの宣戦布告を機に情勢が動く。
23プラハから24ミュンヘンに侵攻され、陥落する。
一方こちらはウジェーヌが32ミラノから33フィレンツェを攻め、陥落させる。



10月は33フィレンツェから37ローマに侵攻。



11月はルイが21ブダペストを、ジェロームが23プラハを、ナポレオンが24ミュンヘンを、ウジェーヌが38ナポリをそれぞれ陥落させ、オーストリアはついに滅亡する。
1820/12 軍再編へ
都市数27
国政ターン:貿易×2



オーストリアは散り散りだったのだけれど、その分こちらも兵力を分散させられていたということ。
オーストリアを滅ぼして地図的には非常にすっきりした。
西か東か、それとも北か。と思っていたらデンマークから使者が来て講和したいという。
トルコの宣戦はこないし・・・どちらに部隊展開をすればよいのか。


1821/03 待ち人来ず
都市数27
国政ターン:デンマークと貿易停止、スペインと貿易停止

予備軍人はマクシミリアン、クレーヴェ。
正直言って能力値うんぬんよりも人数がほしいところ。
後方の都市からの陳情はほぼすべて「軍人が足りません」状態。

こっちだって足らんのじゃ!!少しは我慢しろ!!

1820年台前半でこれである。あと10年も経とうものなら大変だろう。

トルコからの宣戦を待ち焦がれているが来ない。もうどこども同盟を結ぶつもりはなく、デンマーク・スペインとも貿易を停止しておく。
しかしトルコ・・・怖気づいたのか。
1821/06 トルコ滅亡ならず
都市数27→30(ベオグラード、イスタンブール、アテネ増)
国政ターン:オスマントルコに宣戦布告、貿易

どうしても宣戦布告がこないのでこちらからせざるを得ない。
ベオグラード、アテネ、イスタンブールと順調に陥落させていざブカレストはと言えば陥落できなかった。

なんてこったい。
1821/09 トルコと講和、ジブラルタル上陸へ
都市数30→33(コペンハーゲン、ジブラルタル、サラコーザ増)
国政ターン:貿易×2



当たり前のようにトルコから停戦。受けなくてもよいのだが受ける。
ここまできたらもういっきにロシア→トルコといくのが良いのだろうか。
それとも一旦退いてイベリアか北欧に向かうのが良いのか。どうだろう。。。
北欧ぐらいは別働隊でなんとかしたいものなのだが。

ナポレオンがイスタンブールにいるので、最長距離遠征をすることにした。
とりあえずジブラルタルを陥落させ、ゲリラや人民蜂起の時期である11月初頭を過ぎてから29ボルドーから45サラコーザを占領させる。
とはいえこの行軍はなかなか大変である。
46バルセロナには800+予備兵800。ルイ率いる軍勢では勝てる気がしない。



一方、北欧はと言えばジョゼフがコペンハーゲンを陥落させ、デンマークは滅亡。
ベルナドッテ家のスウェーデンを残すのみとなった。
1821/12 イベリアでの苦闘
都市数33→32(サラコーザ減)
国政ターン:捕虜登用 ヤンセン(英)、貿易




軍人不足が深刻で攻略が思うに任せない。
だらだらとやっていれば人民蜂起&ゲリラの餌食になるのは目に見えている。
1月、一度ルイをサラコーザから撤退させる。

念のため何をしているのかを書いておく。
2・5・8・11月の初頭に41ラコルニャ、42リスボン、44マドリード、45サラコーザ、46バルセロナのいずれかにスペインと敵対する勢力がいる場合、人民蜂起が起こる可能性がある。前述5都市のスペイン領でスペインの予備兵が激増する。
また、ゲリラが軍を襲撃することがあり、前述5都市を占領しているスペイン以外の国の軍隊が被害を受け1〜2割も兵士が減少する。
それに加えてイベリアでは金品の輸送の際に妨害されることがある。国庫からでも同じであり、強奪され都市に届かなかったりする。

なので、2・5・8・11月から攻略を開始し、直後の国政ターンでの講和を蹴り、それに次ぐ2か月で片を付ければこれらのイベントは起こらないということ。
1月にルイはサラコーザを明け渡しているが、そうすることによって2月のゲリラと人民蜂起を避けているのである。

なぜだか42リスボンがこのイベントではスペイン領扱いになっている点は注意が必要である。



もっとよい軍人を予備軍人として起用しないものか。マクドナルドはましなほうであるのだが。
1822/03 イギリス滅亡
都市数32→33(クリスチャイナ増)
国政ターン:軍事費改定、貿易

3月、リスボンを攻略。イギリスが滅亡する。
これで予備軍人の起用も変わってくるだろうか。っていうか、気づくのが遅すぎるかもしれない。

しかし同月、あっさりスペインに取り返される。
というより、軍備が落ち着くまでは上述ゲリラなどの絡みがあり不要なので、プレゼントしたというところ。

北欧はジョゼフがクリスチャイナを占領。
あとは歩兵、騎兵、砲兵各1つのストックホルムを残すのみである。
1822/06 続くスペイン役
都市数33→34(マドリード増)
国政ターン:以下略。



あのベルナドッテが折れた。
無理もない。
しかしはじめて講和を蹴る。当然といえば当然なのかもしれないが、ジョゼフ率いる軍であのストックホルムを陥落できるのか。
ど真ん中の都市かその上の山地に砲兵を置かれるともう攻略にひと苦労なのである。

ゲリラと人民蜂起を一度は避けて8月、ジブラルタルからマドリードを陥落させる。
国政ターンでナポレオンはジブラルタルに戻し、9月にはリスボン戦に起用する予定である。


1822/09 スペイン滅亡
都市数34→38(リスボン、ラコルニャ、サラコーザ、バルセロナ増)


9月には29ボルドーから45サラコーザを攻略、43ジブラルタルから42リスボンを攻略。
10月には42リスボンから41ラコルニャを攻略したものの、46バルセロナ攻略は失敗してしまう。

残す兵士は23ぐらいだったのだが、11月の初頭。人民蜂起が起き、いきなり兵が200になる。
それに加えてゲリラがイベリア駐留フランス軍を襲撃して損害。なんてこったい。

手負いながらも11月にはやっとバルセロナを陥落させる。イベリアも片付きあと少しである。
1822/12 スウェーデン対策
都市数38



ゲリラはやはり痛い。スペインに派遣した軍人のうちナポレオンらはクリスチャイナへ、スルトらはイスタンブールへと移動させる。
最後の戦いはロシア戦になりそうだが、その前にトルコとスウェーデンを血祭にあげなければ。
そんなふうに思っている矢先、スウェーデンから講和の使節が。
冬だしあのMAPのストックホルムを攻めるのは考えものか。
1823/03 曲者外交
都市数38
ウェリントンを予備軍人に登用。
さっそく最前線に派遣する。

トルコとスウェーデンに攻め込むべくどちらにも条約破棄を送りつけたものの、宣戦布告を期待していた返礼の使者が揃って「友好条約を締結したい」なのだもの。
がっくりきたわ。
まだ軍の再編・訓練・演説などが済んでいないのでしぶしぶ受諾しておく。
1823/06 スウェーデン滅亡
都市数38→39(ストックホルム増)
今度は友好状態から直接宣戦布告を送りつける。おかげさまでなんとか1823年6月、スウェーデンも滅亡。
1823/09 オスマントルコ滅亡
都市数39→40(ブカレスト増)
39イスタンブールに駐屯していた部隊が20ブカレストに雪崩れ込み、ついでトルコも滅亡。
いよいよロシアとの最終決戦である。
1823/12 春よ来い
都市数40
貿易はとっくに停止しているものの、宣戦布告を送ってこないので困っている。
もうこちらから送っても良いのだがいまは冬。
東欧の冬は豪雪で砲兵が役に立たない。
春になれば宣戦の腹積もりである。
1824/03 ヒット&アウェイ戦略
都市数40→43(クラウゼンブルク、ミンスク、キエフ増)
結局こちらからロシアに宣戦を送る。
いきなり36ベオグラードから19クラウゼンブルクに攻め込み勝利を収めると、12ワルシャワに居たナポレオンで15ミンスクを陥落させる。しかもバルクラーイを捕虜にする。
しかしその先がひどい。14ペテルスブルクの兵力が予備兵込みで2000もいる。
一度ミンスクまで誘い出し、ワルシャワまで撤退。コサックを避ける狙いもある。

スペインのときとほとんど同じなのですが、念のため何をしているのかを書いておく。
2・5・8・11月の初頭に14ぺテルスブルク、15ミンスク、16スモレンスク、17モスクワ、18キエフのいずれかにロシアと敵対する勢力がいる場合、コサック兵が暴れることがあり、前述5都市を占領しているロシア以外の国の軍隊が被害を受け1〜2割も兵士が減少する。
それに加えてロシアは焦土戦術を使う。大軍をもって攻略すると戦わずに撤退するのはロシアも他国と同じなのだが、そのときに焦土化して撤退する。
農業値が1になるなど都市パラメータは激減し、戦線の維持が大変になる。
ちなみに焦土戦略については前述ロシア5都市の縛りはなく、ロシア領でさえあればパリでもリスボンでも起こる。

なので、2・5・8・11月から攻略を開始し、直後の国政ターンでの講和を蹴り、それに次ぐ2か月で片を付ければコサックの襲撃は起こらないということ。

5月になったのを見計らい、12ワルシャワからナポレオンが18キエフに攻め込み占領、13ケーニヒスベルクからウエリントン、オレンジ、ポンソンビー、ベレスフォードらがミンスクを陥落させる。
すっかりフランス軍も多国籍軍化したようだ。
うん?誰ですか?英軍化したなどと言っているのは?
1824/06 欧州統一
都市数43→46(スモレンスク、モスクワ、ぺテルスブルク増)
もう出番はナポレオンのみである。
立て続けに3都市を落とし、なんとか統一。




最後にバルクラーイがダブリンに移動して統一というのも変な気がする。
島流しにしていたバラス先生がお亡くなりになってしまったもので。。


やや慎重すぎた感もある。めったに宣戦しなかったり、スペインやロシア戦でごり押ししなかったり。
後半は本当に大きくダレた印象である。前半というより開幕直後はいきなり滅亡の危機を綱渡りしており、気を抜く暇がないというのも原因なのだろう。
終盤になってくれば半年や1年ぐらい敵国の攻略が遅れようが、フランスの立場そのものがひっくり返るわけではないからね。
総じてまだ実力不足ということでしょう。

慎重を通り越してもっとも臆病に感じたのはオーストリアとの3年不戦同盟。
予備軍人のバラス先生の怨霊にとりつかれてしまっていたのだろうか。
ほかにもバイエルン領ミュンヘンやイギリス領アムステルダムの占領が1ヵ月早く反撃に遭ったり、ナポレオンのいない戦線であったトルコ戦や北欧戦の砲兵部隊をもっと早く整えておくべきだったり、連戦のため軍備が不十分で撤退を余儀なくされたケースがままあったり、ジブラルタル攻略のためにマルセイユかヴェネツィアで自己焦土作戦を実行しておくべきだったかと思ったりなど、反省点もいっぱいある。
うまくやればもう2〜3年は早く統一できるのではと思っているが、はたしてどうだろうか。


皆様がこのゲームに対するとっつきにくさを解消されること、いずれは最難関シナリオ5をクリアされる際のお役に立てることを祈っています。
(おわり)

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